第二段が、「しーふぁきゃふぁん、ひろしゃだじょらい・・・」と始まる。冒頭に「時薄伽梵毘廬遮那如来」とあるように、大日如来が登場する。初段は大日如来の教えを金剛薩埵が代弁して、自と他の壁が解消することによって、どんな煩悩もその本質は清らかなものであり、自分だけの小さな欲から、より多くの生きとし生けるものの幸せのためになる大きな欲に転じていく教えを説いた。ここでは大日如来みずからがお出ましになり、その覚りそのものについてより具体的にお説きになる。
「一切の如来の静寂法性」とは、静かなる真に完全なる覚りということ。現にいま正にそのあらゆる対立を越えた平等の覚りに至った、その究極の教えを説く、と簡潔にこの段の趣旨を説明する。
理趣経は、このあとずっと、各段ごとに各々四つずつに内容を分解して教えを展開していく。これは、大日如来の、周りに配置される四仏の覚りの境地をいろいろな角度から解明していくというスタイルで説かれていくため。真言宗の仏様の世界を表す曼荼羅の、金剛界の仏様たちの中心に位置するのが大日如来で、その周りを東南西北の順で四仏が取り囲む。四仏とは、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来(釈迦如来)の四人の如来を言い、この四仏は大日如来の智慧を四つに分けたものとも言われる。その四つの智慧とは、
①[絶対に怒らないと誓った誠に意志の堅い仏・阿閦如来の智慧]大きな円い鏡がすべてのものを映し出すように永遠なる天地宇宙の一切を了解している誠に大きく深い智慧(大円鏡智という)、
②[世の中の宝を見つけ出す仏・宝生如来の智慧]すべてのどんなものにでも平等に価値を見出す智慧(平等性智という)、
③[誠に清らかな心で衆生をご覧になる仏・阿弥陀如来の智慧]個々の違いを見出してその尊さに目を向け無限の優しさをたたえる智慧(妙観察智という)、
④[衆生を救う仕事が円満に成就せしめる仏・不空成就如来の智慧]すべてのものを成長させ育む智慧(成所作智という)を言う。
そして、この第二段は、大日如来の覚り・大菩提とは、これら四つの智慧の平等なる覚りであると説かれる。ここで言う平等とは、等しいという意味ではなく、初段で述べた清浄と同義で、みな一つ、一体、不二同体ということ。
四つの平等なる覚りとは、①ダイヤモンドのように堅固でかつ永遠なる覚りがすべてのものに周遍しているから金剛平等の覚りといい、金剛平等の覚りでは、覚りは永遠に不変で滅することもないので、永遠なるいのちの平等に目覚めよと教えられている。みな初めのない輪廻を生きている衆生は、平等にいのちの連続を生きている。誰にも刻一刻、時間が平等に経過していくように、今という瞬間の連続であるいのちは平等なるものと言えよう。
②すべてのもの、生きとし生けるものに何でも願いをかなえてくれる宝珠の如く、等しく福徳をもたらすので義平等の覚りといい、義平等の覚りでは、覚りはすべて平等に福徳をもたらすので、すべてのものの無限なる福徳の平等に目覚めよと教えられている。どんなものにも価値がある、使いようによっては宝になる。ゴミから沢山の資源が回収されるように。どんなものにも無限の価値、可能性があり、私たちはみんな違ういのちを生きている、だからこそ一人一人に平等に生きる意味と価値、可能性がある。
③泥の中から咲く蓮のように、すべてのもの、また生きとし生けるものも本来その本性は清らかなものであるから法平等の覚りといい、法平等の覚りでは、覚りは清く穢れないものであるので、すべてのもの、生きとし生けるものもその本性清浄なることの平等に目覚めよと教えられている。ひとつひとつ、一人一人、みんな違うものを持っている。その違いを優しい眼差しできちんと観察し見つめてみれば、みんな平等に清らかな輝きに充ちている。
④すべての働きや行いがみな人間のはからい分別を越えた仏の衆生済度の働きになるので一切業平等の覚りといい、一切業平等の覚りでは、覚りはすべてのはからいを越えたものであるので、不滅の業の平等に目覚めよと教えられている。一人一人すべての過去からの身と口と心による行いの果報・業はすべての者たちの覚り着く先にあってはそれらすべてがその帰結のため、つまり覚りのための行いと見ることが出来る。相互に関係し合っている私たちの業を考えればそれぞれの行いは平等に相互に済度し合っていると捉えることが出来よう。
このあと、「きんこうしゅじゃくゆうぶんし・・・」と、この段の功徳が説かれる。この四出生の法を聞くことあらばとあり、この四つの智慧の教えを信じ、受け入れ、読誦するならば、いかなる重罪も消滅して、死後地獄・畜生・修羅などの三悪趣に落ちるようなことがあってもそれを乗り越え、自己の完成を求め、覚りを強く求めるならば、無上なる覚りを得ることが出来ると説く。
そして、最後に、「しーふぁきぁふぁんじょしせっち・・・」と最後のまとめにはいる。世尊大日如来は、真実にして無上なる覚りをすべての人に授けんとされて、大悲の心を抱き、真実の智慧を表す智拳印を手に結び、すべて世界の究極の真理は平等心にあると説き示されて、その心髄を現す一字真言「アク」を唱えた。
(↓よろしければ、クリックいただき、教えの伝達にご協力下さい)
にほんブログ村
「一切の如来の静寂法性」とは、静かなる真に完全なる覚りということ。現にいま正にそのあらゆる対立を越えた平等の覚りに至った、その究極の教えを説く、と簡潔にこの段の趣旨を説明する。
理趣経は、このあとずっと、各段ごとに各々四つずつに内容を分解して教えを展開していく。これは、大日如来の、周りに配置される四仏の覚りの境地をいろいろな角度から解明していくというスタイルで説かれていくため。真言宗の仏様の世界を表す曼荼羅の、金剛界の仏様たちの中心に位置するのが大日如来で、その周りを東南西北の順で四仏が取り囲む。四仏とは、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来(釈迦如来)の四人の如来を言い、この四仏は大日如来の智慧を四つに分けたものとも言われる。その四つの智慧とは、
①[絶対に怒らないと誓った誠に意志の堅い仏・阿閦如来の智慧]大きな円い鏡がすべてのものを映し出すように永遠なる天地宇宙の一切を了解している誠に大きく深い智慧(大円鏡智という)、
②[世の中の宝を見つけ出す仏・宝生如来の智慧]すべてのどんなものにでも平等に価値を見出す智慧(平等性智という)、
③[誠に清らかな心で衆生をご覧になる仏・阿弥陀如来の智慧]個々の違いを見出してその尊さに目を向け無限の優しさをたたえる智慧(妙観察智という)、
④[衆生を救う仕事が円満に成就せしめる仏・不空成就如来の智慧]すべてのものを成長させ育む智慧(成所作智という)を言う。
そして、この第二段は、大日如来の覚り・大菩提とは、これら四つの智慧の平等なる覚りであると説かれる。ここで言う平等とは、等しいという意味ではなく、初段で述べた清浄と同義で、みな一つ、一体、不二同体ということ。
四つの平等なる覚りとは、①ダイヤモンドのように堅固でかつ永遠なる覚りがすべてのものに周遍しているから金剛平等の覚りといい、金剛平等の覚りでは、覚りは永遠に不変で滅することもないので、永遠なるいのちの平等に目覚めよと教えられている。みな初めのない輪廻を生きている衆生は、平等にいのちの連続を生きている。誰にも刻一刻、時間が平等に経過していくように、今という瞬間の連続であるいのちは平等なるものと言えよう。
②すべてのもの、生きとし生けるものに何でも願いをかなえてくれる宝珠の如く、等しく福徳をもたらすので義平等の覚りといい、義平等の覚りでは、覚りはすべて平等に福徳をもたらすので、すべてのものの無限なる福徳の平等に目覚めよと教えられている。どんなものにも価値がある、使いようによっては宝になる。ゴミから沢山の資源が回収されるように。どんなものにも無限の価値、可能性があり、私たちはみんな違ういのちを生きている、だからこそ一人一人に平等に生きる意味と価値、可能性がある。
③泥の中から咲く蓮のように、すべてのもの、また生きとし生けるものも本来その本性は清らかなものであるから法平等の覚りといい、法平等の覚りでは、覚りは清く穢れないものであるので、すべてのもの、生きとし生けるものもその本性清浄なることの平等に目覚めよと教えられている。ひとつひとつ、一人一人、みんな違うものを持っている。その違いを優しい眼差しできちんと観察し見つめてみれば、みんな平等に清らかな輝きに充ちている。
④すべての働きや行いがみな人間のはからい分別を越えた仏の衆生済度の働きになるので一切業平等の覚りといい、一切業平等の覚りでは、覚りはすべてのはからいを越えたものであるので、不滅の業の平等に目覚めよと教えられている。一人一人すべての過去からの身と口と心による行いの果報・業はすべての者たちの覚り着く先にあってはそれらすべてがその帰結のため、つまり覚りのための行いと見ることが出来る。相互に関係し合っている私たちの業を考えればそれぞれの行いは平等に相互に済度し合っていると捉えることが出来よう。
このあと、「きんこうしゅじゃくゆうぶんし・・・」と、この段の功徳が説かれる。この四出生の法を聞くことあらばとあり、この四つの智慧の教えを信じ、受け入れ、読誦するならば、いかなる重罪も消滅して、死後地獄・畜生・修羅などの三悪趣に落ちるようなことがあってもそれを乗り越え、自己の完成を求め、覚りを強く求めるならば、無上なる覚りを得ることが出来ると説く。
そして、最後に、「しーふぁきぁふぁんじょしせっち・・・」と最後のまとめにはいる。世尊大日如来は、真実にして無上なる覚りをすべての人に授けんとされて、大悲の心を抱き、真実の智慧を表す智拳印を手に結び、すべて世界の究極の真理は平等心にあると説き示されて、その心髄を現す一字真言「アク」を唱えた。
(↓よろしければ、クリックいただき、教えの伝達にご協力下さい)
にほんブログ村
更新していませんから、催促のように感じます。頑張ります。笑
分かりやすい解説ありがとうございます。
わかりやすくをモットーにしておりますが、それが一番難しいことです。
何かご指摘がありましたら、お気軽にコメント下さい。