平成最後のツーリングは平成を迎えた清水の地にした。
もちろん平成生まれの6fである。
季節外れの寒冷渦によって箱根は早朝1℃まで気温が下がり、藤沢BPや新湘南BPから真冬の様な富士山が顔を出していた。
これは大観山へ立ち寄らねばならない。
行楽渋滞をすり抜けて大観山にたどり着いたらエラいことになっていた。
芦ノ湖側はヤマハ2スト軍団、
ロッジ側はFZとその系統でにらみ合っている。
やたらRZやTZRが多くいきなりシールドをオイルで汚されたが、そう言うことなら仕方がない。
聞けば偶然らしいが余所者感極まりなく写真だけとってそそくさと退散した。
富士川の道の駅で一服し由比には立ち寄らず、まずは平成を迎えた我がアパート跡地に行ってみた。
当時は6,3畳の2DK、汲み取り便所に洗濯と風呂は別棟の長屋で暮らしていてバイトと卒論のためにゼミに入り浸っていた。
今はエスパルスの観戦客向けの臨時駐車場になっているらしいが、内風呂に水洗トイレな向かいの長屋はまだ健在で学生が住んでいるのだろう。
日本平へは昔と同じ様に裏道を使った。今はサッカー場までは様変わりしているが、上の方は茶畑用舗装林道でここも走って愉しい道だ。
所々に有る展望も素晴らしい。
日本平は立派な観光地になっていたが取り敢えず往復流して昼飯にした。
桜エビ不良につき玉ねぎが美味しいかき揚げ丼だ。
もう一つの目的地はアルペンブルーという小さな喫茶店で、当時はW1Sに乗り釣り好きなマスターと近所の常連さん達が集っていた。
大人の単車乗りの世界が面白くて通う内にいつの間にか常連になり清水にいた2年間の良き思い出の一つだ。
昔と変わらない一時を過ごした後、再訪を約して引き上げた。次はGPzが10万km達成したら行くと決めてある。画像は地球深部探査船のちきゅう。清水港が母港で異様な風体がひときわ目立つ。
帰路は富士から高速で2時間弱、御殿場の事故渋滞15kmが有ったのでロスしたが6fのすり抜け番長ぶりに助けられて大きなロスにならずに済んだ。6fはGPzやDトラよりすり抜けが楽で、120km/h辺りの巡航がちょうど良いので高速も使いやすい。
ただサスの動きが気に入らないのでフォークオイルの交換とリヤサスマウントのグリスアップを考えたい。