活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

牧水や一葉の時代と出版・印刷

2011-01-06 11:31:37 | 活版印刷のふるさと紀行
 神田川大曲塾は印刷文化の研究サークルです。
 だからというわけではありませんが、若山牧水記念館の展示室で私の目に止まったのが
これです。(上の雑誌のことです。、下は若山牧水記念館に復元されている牧水の書斎です)

  牧水の短歌の掲載された明治38年10月1日発行の雑誌『新聲』です。この雑誌はいまの新潮社を明治29年に創業した佐藤義亮が出して、当時、評判になったものです。
佐藤は秀英舎(大日本印刷の旧社名)で働いていて、志を立て秀英舎の応援のもと出版界に乗りだしました。

 最初は社名も「新聲社」でした。当時、日清戦争が終わって、日露戦争までの間、日本の印刷も大きな飛躍を見ました。博文館の『日清戦争実記』のようなベストセラーや雑誌
『太陽』、樋口一葉の名をたからしめた同じく博文館の『文芸倶楽部』が気を吐きました。若山牧水は『新聲』によったわけです。
 金港堂、春陽堂、冨山房、三省堂、丸善、経済雑誌社、民友社、実業之日本社とぞくぞく出版社が生まれたのもこのころですし、博文館の大橋佐平が息子とともに印刷工場をおこしたのが明治30年(共同印刷の前身)、明治33年には凸版印刷が凸版印刷合資会社としてスタートをきっています。

 
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幾山河こえさりゆかば

2011-01-06 10:36:54 | 活版印刷のふるさと紀行
 沼津市若山牧水記念館のラウンジから展示室に歩みを進めます。
 すると、入り口右手で入館者が、真っ先に目にするのがこの「幾山河」の掛け軸です。
     
     幾山河
     越えさりゆかば
     寂しさのはてなむ国ぞ
     けふも旅ゆく 牧水

 牧水の没後1年、昭和4年沼津千本松原に短歌史上あまりにも有名なこの歌の碑が建てられました。しかし、この歌の誕生は明治40年の夏ですから22年も前のことでした。
早稲田の学生だった彼が宮崎への帰省途中に立ち寄ったいまの岡山県新見市哲西町で詠んだといわれております。この地にも幾山河の歌碑がありますが、当時は備後と備中の国境、かなりの僻地であったにちがいありませんから、いささか感傷的になって、思わずこんな詩情にかられたと推察できます。

 この歌は明治41年刊行の第一歌集「海の声」におさめられました。
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