神田川大曲塾は印刷文化の研究サークルです。
だからというわけではありませんが、若山牧水記念館の展示室で私の目に止まったのが
これです。(上の雑誌のことです。、下は若山牧水記念館に復元されている牧水の書斎です)
牧水の短歌の掲載された明治38年10月1日発行の雑誌『新聲』です。この雑誌はいまの新潮社を明治29年に創業した佐藤義亮が出して、当時、評判になったものです。
佐藤は秀英舎(大日本印刷の旧社名)で働いていて、志を立て秀英舎の応援のもと出版界に乗りだしました。
最初は社名も「新聲社」でした。当時、日清戦争が終わって、日露戦争までの間、日本の印刷も大きな飛躍を見ました。博文館の『日清戦争実記』のようなベストセラーや雑誌
『太陽』、樋口一葉の名をたからしめた同じく博文館の『文芸倶楽部』が気を吐きました。若山牧水は『新聲』によったわけです。
金港堂、春陽堂、冨山房、三省堂、丸善、経済雑誌社、民友社、実業之日本社とぞくぞく出版社が生まれたのもこのころですし、博文館の大橋佐平が息子とともに印刷工場をおこしたのが明治30年(共同印刷の前身)、明治33年には凸版印刷が凸版印刷合資会社としてスタートをきっています。
だからというわけではありませんが、若山牧水記念館の展示室で私の目に止まったのが
これです。(上の雑誌のことです。、下は若山牧水記念館に復元されている牧水の書斎です)
牧水の短歌の掲載された明治38年10月1日発行の雑誌『新聲』です。この雑誌はいまの新潮社を明治29年に創業した佐藤義亮が出して、当時、評判になったものです。
佐藤は秀英舎(大日本印刷の旧社名)で働いていて、志を立て秀英舎の応援のもと出版界に乗りだしました。
最初は社名も「新聲社」でした。当時、日清戦争が終わって、日露戦争までの間、日本の印刷も大きな飛躍を見ました。博文館の『日清戦争実記』のようなベストセラーや雑誌
『太陽』、樋口一葉の名をたからしめた同じく博文館の『文芸倶楽部』が気を吐きました。若山牧水は『新聲』によったわけです。
金港堂、春陽堂、冨山房、三省堂、丸善、経済雑誌社、民友社、実業之日本社とぞくぞく出版社が生まれたのもこのころですし、博文館の大橋佐平が息子とともに印刷工場をおこしたのが明治30年(共同印刷の前身)、明治33年には凸版印刷が凸版印刷合資会社としてスタートをきっています。