前回紹介した柿田川の湧水にもここに至るまでいろいろ苦難があったらしいのです。
というのは、毎秒12トンも湧き出すこの世界一の水質の湧水が一時は繊維工場の独占するところとなり、薬剤や汚染した廃水処理で魚も住めない死の川になっていたといいいます。
そこで地元の人たちが両岸の土地を買い、いわゆるナショナルトラスト運動を展開して
23年の歳月をかけて現在のような清冽な柿田川を蘇らせたのです。イギリスなどでナショナルトラストの土地に接したことはありますが、日本での事例は知りませんでした。
なんでも、昭和63年に日本で2番目のナショナルトラスト「公益法人柿田川みどりのトラスト委員会」が設置され今日に及んでいると聞きました。
湧水や周辺の自然を目にする展望台は第1から第3までありましたが、写真は第2展望台ののぞきこんで見た直径4メートルほどの湧水井戸、コンコンと湧き出る青い水にしばし見とれてしまったほどです。
途中から幸い雨はすっかりあがってきました。
神田川大曲塾の面々の次なる目的地は三島の鰻の代表格の「桜家」、店の脇を流れる湧水でしめた味は抜群です。この店で旧友中川和郎氏に登場願って三島の歴史を拝聴。
彼も三島市内を流れる川の水質浄化に取り組んだひとりです。
「三島女郎衆ァノーエ」まさしく富士の白雪は溶けて流れて三島に注いでいました。
というのは、毎秒12トンも湧き出すこの世界一の水質の湧水が一時は繊維工場の独占するところとなり、薬剤や汚染した廃水処理で魚も住めない死の川になっていたといいいます。
そこで地元の人たちが両岸の土地を買い、いわゆるナショナルトラスト運動を展開して
23年の歳月をかけて現在のような清冽な柿田川を蘇らせたのです。イギリスなどでナショナルトラストの土地に接したことはありますが、日本での事例は知りませんでした。
なんでも、昭和63年に日本で2番目のナショナルトラスト「公益法人柿田川みどりのトラスト委員会」が設置され今日に及んでいると聞きました。
湧水や周辺の自然を目にする展望台は第1から第3までありましたが、写真は第2展望台ののぞきこんで見た直径4メートルほどの湧水井戸、コンコンと湧き出る青い水にしばし見とれてしまったほどです。
途中から幸い雨はすっかりあがってきました。
神田川大曲塾の面々の次なる目的地は三島の鰻の代表格の「桜家」、店の脇を流れる湧水でしめた味は抜群です。この店で旧友中川和郎氏に登場願って三島の歴史を拝聴。
彼も三島市内を流れる川の水質浄化に取り組んだひとりです。
「三島女郎衆ァノーエ」まさしく富士の白雪は溶けて流れて三島に注いでいました。