活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

明治5年にタイムスリップすると

2011-06-06 11:07:15 | 活版印刷のふるさと紀行
 もし、明治5年(1872)にタイム・スリップするとしたら場所を
どこにするかです。やはり、新橋あたりにしたい気がします。銀座の大
火のあった年ですから銀座は敬遠しましょう。そうでなくとも、当時は
銀座よりも新橋の方がはるかに新興都市東京の中心でした。

 鉄道が出来て横浜からの列車が着くとチラホラ外人さんが降り立つ
光景が見られるようになりました。外人さんがいちばんびっくりしたの
は街路にひびく「カラン、コロン」という下駄の音だったといいます。
たしかに、日本人にはめずらしい汽車や馬車などは彼らにとっては目新
しいものではなかったでしょう。

 印刷はどうだったでしょうか。色刷りでおどろおどろしい絵入りの
「錦絵新聞」が明治初年のメディアとして人々をひきつけていましたが、
活版印刷の書籍などはまだまだ限られた人のものでした。

 第一、活版印刷所としては東京にはまだ、文部省の活版所、平野活版
所(長崎新塾出張活版製造所)、博聞社、啓蒙社ぐらいしかなく、日就
社(のちの読売新聞)もまだ社屋は横浜にありました。


 砂埃と馬糞の臭いがただよう道路を歩く日本人は大半が着物姿、ザン
ギリ頭が目立ちました。ガス灯が東京に点いたのは横浜に遅れること2
年、明治7年になってからでした。(写真のガス灯)
 明治5年2月の「銀座大火」は銀座をひとなめにしましたが、翌年に
は銀座に煉瓦街が出現していますから、復興のスピードは早く、むしろ、
その火事が印刷・出版の町、銀座を生んだともいえます。

 
コメント
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