活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

「錦絵新聞」の全盛から活字新聞誕生まで

2011-06-07 16:32:56 | 活版印刷のふるさと紀行
 そうはいっても明治5年の東京ははまだ風景的には幕末とほとんど変わって
いなかったようです。銀座大火のあとの煉瓦街はよくひきあいに出されますが、
明治4年でしたか、イギリス人ウォートルスが竹橋の兵営に時計塔を作ったら
見物客が押し寄せたといいますから推して知るべしです。

 では、このころ、メディアはどうだったでしょう。
 メディアというのは大袈裟ですが、明治7年になると瓦版に変わって「錦絵
新聞」が登場してきます。浮世絵師歌川国芳の門下の落合芳幾、月岡芳年のよ
うな達者な絵師の錦絵が人々をひきつけたようです。
 殺人事件・情痴事件・怪談やお涙ちょうだいの美談が記事つきでセンセ-ショ
ナルに扱われていますので、刺激を求める庶民に引っ張りダコ、相当な売れ行き
を示しました。
 片面刷りで色数は結構たくさん使っています。

 
ちなみに、この東京日々新聞(明治8年5月17日)であたってみますと、
赤、緑、紫、紺、茶、ネズミ、浅黄、白、スミ、肌色と10色でした。
 しかし、この「錦絵新聞」も明治10年を過ぎるとほとんど姿を消します。
 理由はただ一つ活字による本格的な新聞が出てきたからです。
 


コメント
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