活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

散歩途中の「相生橋」

2011-06-26 10:54:55 | Weblog
 日曜日ですから散歩の話のつづきです。
 前回の海洋大学の「明治丸」の前を通り過ぎると相生橋です。いま、
お化粧直しの最中ですが、遠くからでもはっきり見えるホワイトの橋
桁の貴婦人調のたたずまいは悪くありません。

 ただ、この「相生橋」は、私には晴海運河に架かっていると思える
のですが、隅田川18橋の一つで、上流に中央大橋、下流に勝鬨橋と 
説明されるので、いまだに解せないままでいます。

 橋の東側が越中島、西側が佃ですので、私は東から西へ渡っていく
わけです。橋の下に「中の島公園」という水上公園があります。
階段を下りていくと水面すれすれ、場合によっては通路まで浸水して
いることがあるので、モノ好きにもいつも下りてみるのです。
 この橋のできるまでは佃の渡し、月島の渡しが利用されていました。
中の島は文字通り、ポツンと中央に浮かんでいたのでしょう。

 橋を渡り終えて公園の中を右に辿ると石川島造船所の跡地の案内板が
あります。1853年(嘉永6)水戸藩主徳川斉昭がこの石川島に石
川島造船所をつくった『日本初の民営洋式造船所発祥の地』とあり、
『初の蒸気軍艦「千代田形」』の写真が示めされています。

 「明治丸」は1028トン、全長73メートル、幅9メートルでし
たが、「千代田形」は140トン、31.3メートル、4.5メート
ルとかわいいものですが、幕府軍艦として勝海舟や榎本武揚を乗せ、
箱館戦争にも出向いたはずです。

 この案内板の中に、平野富二が明治9年に民営造船所として再スタ
ートさせたとありましたが、水戸藩主徳川斉昭は幕府の命令でつくっ
たわけですから、私は平野を民営造船のトップランナーとして讃えた
いのですが如何なものでしょう。

コメント
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