活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

印刷文化史のカゲの人 岸田吟香

2011-06-08 10:58:10 | 活版印刷のふるさと紀行
 「東京日々新聞」といいますと、つい、色刷りの錦絵新聞をイメージ
する人が多いと思いますが、同名の「東京日々新聞」や「朝野新聞」・
「郵便報知」・「日新真事誌」のような活字の新聞がとって代わるとき
が到来します。それが明治5、6年です。

 その理由としては、活字の普及、印刷術の進化もありますが、大きな
理由として明治政府の政策がありました。政府の動きに反対する新聞は
弾圧しますが、政策展開に役立つ新聞はあからさまに援助したようです。

 「東京日々」は政府派とされていましたが、東京最初の日刊紙として
で岸田吟香や福地源一郎が論説で活躍しました。
 さて、私が≪印刷文化史のカゲの人≫というのは、この、岸田吟香の
その人です。みなさんご存知の洋画家岸田劉生のオヤジさんです。

 「挙母」あなたは、この地名が読めますか?
コロモ、そうです。いまの豊田市です。岡山生まれの吟香は三河の挙母
藩に召し抱えられますが、文久元年に脱藩、江戸に出て眼病治療でヘボ
ンと知り合います。これが吟香と「印刷」との出会いになりました。

 30歳でした。彼はヘボンの『和英語林集成』の編集を手伝うことか
らジョセフ・ヒコに英語を習い、ヒコとともに新聞発行を考え、『新聞
紙』を実現させます。

 しかし、『和英語林集成』の印刷を進めるために、ヘボンに同道して
上海の美華書館に赴き、カナの鉛活字を造らせます。『和英語林集成』
を刊行したのち、横浜でヴァン・リードと『横浜新報もしお草』を出し
ますが、明治5年『東京日々新聞』創刊に手を貸します。
  
 1号は木版でしたが、2号から活字片面刷りになります。イラストは
銅版、定価は1枚140文。翌年、吟香は主筆になり、台湾出兵に従軍
したり、明治天皇の巡幸に随行したり、ジャーナリストとして大活躍し
ますが、平野富二と同じように、実業家としての活躍や教育界への貢献
が目だって、吟香は印刷文化史上ではカゲの人になっています。









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