活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

スローテンポだった書籍の活版化

2011-06-12 10:41:37 | 活版印刷のふるさと紀行
 江戸東京博物館に銀座煉瓦街のミニチュアがあります。よく出来た模型で
親切な学芸員が「これがパンの木村屋が最初にあったところです」などと
設明してくれます。

 明治5年の銀座の大火のあと、燃えない街づくりをめざしてつくられたの
ですが、やはり、実際に街づくりが完成したのは明治20年代になってから
で、皮肉なことに大正12年の関東大震災で姿を消したわけですから、かな
り短命だったといえます。

 しかし、日本の活版印刷の企業経営は明治5年の大火から銀座煉瓦街がで
きあがるころまでの十数年の間に徐々に形を整えたと見られますから,煉瓦
街の街づくりと印刷企業の企業化は時期的に重なると見てよいでしょう。

 活版印刷は新聞にはかなり新局面を開いたものの、書籍には急にとはいき
ませんでした。明治5年ごろの本はどうだったかといいますと、和紙に活版
刷りで袋とじ、いわゆる和装本が幅を利かしておりました。それよりもまだ、
木版でバレン刷りの和装本がかなり残っていたのが現実でした。

 身近な書物が洋紙に活版で刷られ、洋式の装丁に変わったのは、煉瓦街の
完成とほぼ同じ1887年、明治20年ごろだったようです。
 もっとも活版印刷工が東京府下で3600人程度(明治18年11月8日
朝野新聞)だったといいますから出版物の活版印刷化がスローテンポだった
ことが肯けます。

 川田久長さんの『活版印刷史』によれば、そのヨチヨチ歩きの揺籃期の日
本の活版印刷が1873年(明治6)ウイーンで開催された万国博覧会で
「進歩賞牌」を受けたとあります。前述の印刷のお役所工部省勧工寮活字局
から出品した活字版が授賞対象だったといいます。
 



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