活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

オランダ人ヤン・ヨーステン

2011-10-03 20:00:30 | 活版印刷のふるさと紀行
最近東京駅の八重洲口から出る地方都市行きの高速バスの数の多さには驚かされます.行き先の表示を見て、あれこれ想像しているだけで楽しくなります。
一昨日、私もその八重洲から高速バスで房総までやって来ました。

バソコン代わりに持って来たタブレツトで不慣れな手つきで八重洲について思いついたことを書いてみることにします。

「八重洲」がヤン・ヨーステンというオランダ人の名前に由来することはよく知られています。ヤン・ヨーステンなんて発音が当時の日本人に馴染めるはずがありません。ヤン・ヨーステンがヤン・ヨースになり、
それがヤエスになったというのです。
家康の覚えめでたかった彼はこの「八重洲」あたりに大きな屋敷を賜っていましたから、ヤエスが町名になったというわけです。

ヤン・ヨーステンはもともとオランダの商船リーフデ号の船員でした。遭難一歩手前で豊後に上陸を果たした彼は同僚イギリス人ウイリアム・アダムスとともに家康の外交顧問に任じられていたからです。

ちようど関ヶ原の戦いの直後のことと思ってください。
貿易相手としてはとボルトガルやスベインが重用されていた時代が長かっただけに、家康がなぜオランダを贔屓にしたのかわかりませんが、豊後にヨレヨレ状態で着いたリーフデ号を堺から江戸へ矢継ぎ早やに回航させたことから見ても最初からオランダに関心があったうえに、ヤン・ヨーステンやウイリアム・アダムスが氣にいってのことだったのでしよう。

少しまわり道になるかもしれませんが、もとはオランダ商船の乗組員だった彼らふたりが家康にもたらしたものは意外に大きく、果ては日本の「印刷史」にも関連があったと私は考えます。
そのことは次回に。
コメント
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