活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

戦時下の印刷史 1

2011-10-28 17:16:48 | 活版印刷のふるさと紀行
 私が属している「神田川大曲塾」の活動目的をひとことでいいますと、
《印刷文化》の研究・訴求にあります。ですから、《印刷文化》という
ことばは身近かですし、その中に学術的で平和な響きがこめられている
ように感じているのですが、ちょっとショックな《印刷文化》に遭遇し
ましたので、その報告です。

 日本の印刷史を調べていて「日本印刷文化協会の設立」という見出し
にぶつかりました。「おや、先駆者か」と思ったのですが大間違い。
1941年10月、昭和16年、日本が米英相手に宣戦布告をする2か月
前のことで、トンダ《印刷文化》でありました。

 この協会を設立したのは、当時、印刷業界を監督していた商工省、いま
の経産省らしいのですが、実際には軍をバックにした情報局の主導だった
ようです。平和産業の印刷業を締め付けてやろうというの目的でした。

 戦時下で紙が不足しているので、協会を配給体制を円滑にする窓口につ
かおう。印刷は国家のための重要な産業だとおだてて、経済体制の一翼を
担わせよう。さらに、防諜・戦時思想の伝達のために、印刷の窓口で、あ
らゆる文書の出版をチェックしよう。この3つがおもな狙いでした。

 印刷業界から抵抗や抗議はあったようですが、聞き届けられるはずが
ありません。全国17000社の印刷業者は「日本印刷文化協会」が割り
当て切符制で紙の配給権を握っていますから引っ込まざるを得ません。
それどころか、全国各地の印刷工業組合が解散に追い込まれてしまいます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする