活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

気になるヴァリニャーノとハビアン 1

2011-10-16 22:34:37 | 活版印刷のふるさと紀行
 前々回、この二人の名前をあげました。
 まず、その一人、アレサンドゥロ・ヴァリニャーノは1579年(天正7)に、
口之津に上陸しました。イエズス会の日本の総括責任者、「巡察師」として。

 フランシスコ・ザビエルの来日から、ちょうど30年あとのことです。
 彼は本来ならローマのイエズス会本部に籍を置き、他の修道会と宣教を競う
戦略を立てる部署に配属になるエリートであったはずでした。

 まるで本社勤務候補生から極東の未開地駐在員にされたみたいですが、そうば
っかりとはいいきれません。学生時代ヴェネツィァで女子学生とトラブルがあ
ったのに、有力支社のゴアに派遣され、次が「巡察師」ですから。
 
 ゴアでヴァリニャーノは日本行を決めます。当時、ゴアにはかつてザビエル
が送った報告文や後任のトレースやオルガンティノ発信の日本情報がたくさんあり
興味をそそられたからです。法王の姻戚という身分も彼の希望の後押しをしました。

 そこまではいいのです。問題はそれからです。
 日本到着後、彼は一気呵成に自分の構想を押し進めます。大友・大村・有馬と
キリシタン大名の信頼を短時間でかちとり、はては、織田信長の心までわしづかみ
にします。評判の悪かったカブラルを切り捨て、全国から主だった宣教師を集め、
日本での布教計画の骨子を示します。やり手です。らっ腕家です。
 
 ただ、気になるのは、来日間もない段階で、どこから破天荒な少年使節の派遣を
思いつき、どうして、活版印刷の技術導入を思いついたかです。

コメント
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