活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

気になるヴァリニャーノとハビアン 2

2011-10-17 17:06:01 | 活版印刷のふるさと紀行
 ヴァリニャーノが口之津に着いて、使節たちを率いて船出するまでわずか
2年半。はたして、この短い間に使節の渡欧計画を立てて実行に移したので
しょうか。いくら敏腕家でもそれは無理だったと私は考えます。

 日本に着任したら、司祭を養成する教育システムを築こう。その資金稼ぎ
に、日本の少年をローマに派遣しよう。教皇やポルトガル国王に会わせて、
話題を作り寄付を得よう。

とにかく、日本人への布教の鍵は「教育」だ。そのためには、大量に教義書を
「印刷」できる活版印刷を日本に持ち込む必要がある。

 このような腹案を持ってヴァリニャーノは乗り込んで来たのです。とくに、
彼よりも10年も前から全日本布教長として君臨しているフランシスコ・カブラル
の日本人蔑視が許せませんでした。巡察師はいわばローマにいるイエズス会総長
の名代ですから「日本人に教育など必要ない、日本人司祭なんてとんでもない」
というカブラルを転出させ、さっそく新方針を打ち出しました。


 おそらく、ザビエルの日本人観を受け継ぎ、トレースやオルガンティーノのような
親日派の先輩のことばに勇気づけられての大きな構想を抱いてのことでした。
 キリシタン大名や信長との接近も構想実現のための布石でした。

 ただ、見逃せないのはこれは彼一人の構想ではなく、イエズス会ぐるみのことでは
なかったでしょうか。
 ひとつだけ例を挙げると少年使節たちと往路インドで別れ、復路に「インド副王代理
使節」という肩書で少年使節の帰国に同道させるというようなことが偶然で起こりうる
でしょうか。




コメント
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