活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

想説/活版印刷人あれこれ23

2009-09-27 09:41:29 | 活版印刷のふるさと紀行
 話しを天正遣欧使節と「世界地図」について戻します。
 私の想説としては出発時点で彼らは「世界地図」を見ていたと思います。それはあくまでヴァリニャーノが持っていた地図でということですが。

 それがどんな地図であったかというと、アブラハム・オルテリウスが出した3ヶ国版のどれかであったであろうと考えるのが一番、順当ではないでしょうか。
 
 われわれがよく目にするルイス・ティセラの日本図(1595)というのがあります。あれは、ヴァリニャーノが日本で手に入れた行基図によったといわれていますが、ひょっとしてローマ教皇に献上した地図と同じ版のものだったかも知れません。ヴァリニャーノという人、意外に「地図」とも縁が深いのですね。

 また、戻します。もし、ヴァリニャーノが親しかったマテオ・リッチから譲り受けた地図だったとしたら、往路、マカオで『坤輿万国地図』の原型になった企画段階の地図を受け取った可能性はないでしょうか。
 それに、ひょっとしてヴァリニャーノが使節たちに愛弟子マテオ・リッチをひきあわせ地図について使節一行みんなで講義を受けたなんて想像したらもっと楽しいではありませんか。

 残念ですが記録がないので、この世界地図と天正遣欧使節のかかわりについて確定的なことは申せません。
 このことを前述、神田川大曲塾の勉強会で質問したところ、金子先生は「持っていなかった、帰国のときに世界地図を持ってきたことはたしかですが」という回答でした。

 わたくしも自信が持てなかったので、自著『千々石ミゲル』のなかでは、「ヴァリニャーノは最近、愛用している美濃紙を手箱から取り出すと、墨をたっぷり含ませた筆でいっきに地図らしき絵型を描いた。
 「ここが日本、船が出る長崎、この東シナ海を抜けてマカオに着く。マカオの次はマラッカ…」などと書きました。
案外、マカオでマテオ・リッチとの交流を描いた方がおもしろかったかも知れません。 みなさんはいかがお考えでしょうか。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 想説/活版印刷人あれこれ22 | トップ | 想説/活版印刷人あれこれ24 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

活版印刷のふるさと紀行」カテゴリの最新記事