私はいま居候猫二匹と暮らしています。だから大抵の人は私のことを猫好きだと思っています。もちろん猫は好きですがホントのところ「猫派」・「犬派」で分けると犬を飼ったことは無いのですが「犬派」だと思います。
子供の頃は自宅が飲食関係の商売だったので犬を買うことは許されませんでしたが、中学生の頃は犬のカタログを通信販売会社から手に入れて日々うっとりと眺めていたことを思い出します。そのカタログの中で当時は実物を見たことが無かったのですが日本の猟犬らしい精悍な姿の中型犬「甲斐犬」がとても好きでした。「好き」というよりも「憧れ」と言ったほうが当たっていたかもしれません。
いまも散歩中の甲斐犬を見ると思わず振り返っている自分がいます。その「甲斐犬」が南部丘陵の公園で飼い主と一緒に夕景を楽しんでいたので写真を撮らせていただきました。
猟犬といえば東日本大震災で被災した地域、原発事故でペットは勿論のこと家畜なども置き去りにされて被曝され続けている地域はマタギの伝統が受け継がれる地域です。おそらく猟犬も受難の日々を過ごしているのではないかと思っています。天災の被害は諦めることも仕方ないことと思いますが、原発事故はあきらかに「人災」その人災による放射能汚染が続いていることは諦めることは出来ません。一刻も早い収束と、その人災をもたらした責任のありかを明確にして償いをさせなければならないと思っています。
子供の頃は自宅が飲食関係の商売だったので犬を買うことは許されませんでしたが、中学生の頃は犬のカタログを通信販売会社から手に入れて日々うっとりと眺めていたことを思い出します。そのカタログの中で当時は実物を見たことが無かったのですが日本の猟犬らしい精悍な姿の中型犬「甲斐犬」がとても好きでした。「好き」というよりも「憧れ」と言ったほうが当たっていたかもしれません。
いまも散歩中の甲斐犬を見ると思わず振り返っている自分がいます。その「甲斐犬」が南部丘陵の公園で飼い主と一緒に夕景を楽しんでいたので写真を撮らせていただきました。
猟犬といえば東日本大震災で被災した地域、原発事故でペットは勿論のこと家畜なども置き去りにされて被曝され続けている地域はマタギの伝統が受け継がれる地域です。おそらく猟犬も受難の日々を過ごしているのではないかと思っています。天災の被害は諦めることも仕方ないことと思いますが、原発事故はあきらかに「人災」その人災による放射能汚染が続いていることは諦めることは出来ません。一刻も早い収束と、その人災をもたらした責任のありかを明確にして償いをさせなければならないと思っています。