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「ハリ.ポッター」最終章発売間近な22日に朝日新聞に載った記事です。
☆1、児童書、大人もはまった魔法の世界
☆2、時代の緊張感と連動
児童書なのに、容赦なく主要人物が闇の魔法で次々と死んでしまう。
「戦争のアンチテーゼや現実を変えようとする力が必要とされる時、
ファンタジーが求められる。
ファンタジーは甘くて優しい物でなく、
残酷さや生きづらさと結びつくことが多い。」と
SF評論家の小谷真理さんはいっている。とか
☆ 3「ハリ。ポッター」の道具立ても設定も今までのファンタジーの借り物に過ぎない、
とマニアックなファンタジーフアンから厳しい声が出る。
歴史や地図を思い描けるくらいに架空世界を精密に作り上げた「指輪物語」「ナルニア物語」「ゲド戦記」と比べるとものたりない。
翻訳家で、法政大学の金原瑞人教授は、
「指輪物語」や「ナルニヤ物語」は文学的価値の高い物として、子供から取り上げてしまった一面がある
。汽車に乗って魔法学校に行き現実の中に魔法使いがいる「ハリー。ポッター」は圧倒的に分かりやすい。
といろいろな人の意見を載せている。
こういう意見は今までにもよく見聞きしたことである。良くある「ポッター」記事です。
どうしてこんな楽しいお話を むつかしく いわなくてはいけないのかなと
いうのが感想ですし、
今江祥智さんは
「何を言ってもひがみになるけれど」
「3巻まで読んでモウいいかなと思った。」
の話に至っては、
物語は「起承転結」とあり、其の承の部分くらいで「モウいいかな」
といってるとおもいます。何にも楽しんでない。分かってない。
ファンタジーは大人の話とか子供の話でなくて、どれくらい楽しめるかだと思う。
大人は頭が固い人が多くて、ありもしない空想の世界のことは子供の世界と決め付けてません?
「ハリー。ポッター」以前に「妖精国の騎士」の少女マンガで暗いファンタジーが書かれているのですが、、、
時代の緊張?フーント思ってしまう
第7章は今までに書かれていたことの集大成です。
例えば、ハリーはお父さんに似て、目だけが母に似た緑であると何度も出てきます。このことがある男の最後の場面をより一段と感動を深くするのです。
ハーマイオニーが目指していた屋敷僕開放の話にも、
ダンブルドアの生い立ちや其の死、
ネビルロングボトムの勇気
まだまだいろいろ盛りだくさんのことの集大成です!
<<誰も本に書いてなかったこと。>>私の感想
それは今まで過去の偉大なファンタジー作家がのりこえるコトができなかった。当たり前のように受け入れていた節が在るコト,
J.Kローリングスはさらりとこえて書き表しているのを感じます。
それは既成の権威、偏見からの自由です。
既成の権威、偏見とは物語の中で、純血主義、貴族、屋敷僕、ダーヅリー家の行き方、ハーマイオニーの変貌と実力、 一杯ありますよね。
私はイギリス人は保守的で価値観をなかなか変えようとしない国民だと思います。
そういう体制を穏健に勝つ痛烈に批判していると思えてならないのです。
「面白くなかったんじゃない?」だって。
見てないそうなの。素朴なポニョは若者には受けないのか?
タムドク(知ってる?ヨン様のドラマ)もファンタジーなのに、意見が飛び交ってますよ~
何も総理大臣の演説だけでないよね
わかり安いほうがいいのは
ハリーポッターは映画も本も読んでいないけれども宗なんだ。
崖の上のポニョみてきたよ。甘くてやさしい素朴なファンタジーでした。
記事UPしたよ。