今日の名古屋地方は昨夜は今年一番の冷え込みで最低気温1度くらい。
ベランダの観葉植物も気温が10度を切るとお家にとりこみます。
その際、育ち過ぎた枝を切り葉を綺麗にあらいます。
昼はぽかぽかと暖かく、以前から気になっていたベランダも、すの子を上げて、おそうじしました
でないと、ここでアブラムシが越冬することがあるからです。
調子に乗って、やり過ぎた~腰が最初に痛みだし、これは休み、休み・・
そのうち手がばね指と言ってつるんですね
涙が出っそうに痛みました。
何時もは、samurinさんにいただいた指のない手袋をしてるのですが、汚れるといやなので脱いでいたのもいけなかった!
薬を塗って、湿布を貼り、手袋をして、休養だ!やり過ぎた!!
いてえ~よ~とテレビにスイッチを!
なんと!あの中村勘三郎さんがなくなられたと・・
まだ57歳、これからが円熟の時なのに・・
歌舞伎を若い人やお茶の間に。
また世界公演を成功させ、伝統を守り流れをまえに進めたすごいエネルギーの持ち主・・
日本の伝統的な色つかいの衣装のよさ、芝居のしぐさ、又舞台装置・・世界に発信し続けてる人です。
ウ~ん、早いよな~っていう一言ですね。
さらに詳しくはこちらで・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%8B%98%E4%B8%89%E9%83%8E_(18%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
屋号は「中村屋」です。
それは初代勘三郎が名古屋の中村区の出身だったからです。
中村区というのは名古屋駅の南の地域のことです。
そういう理由で、06年平成中村座の公演を中村区の同朋高校の体育館を江戸時代の芝居小屋に見たて公演されたんですよ。
息子さんの勘九郎さんは、今、京都南座で襲名披露をなさってます。
テレビで、その中継が流れました。
素顔は似てると思わなかったのですが、その所作・声がお父様そっくりで思わず涙がこぼれてしまいました。
伝説になった勘三郎さん、
あなたの想いはきっと受けつがれて行きますよ。
伝統芸の伝承だけでなく、前に進み新しいことに挑戦していく姿勢。
彼が、世界の芝居に目の肥えたニューヨークでの公演をしたいといった時、中山会長は大反対!
日本でもう立派なの歌舞伎役者なのに失敗したらどうするかと・・問われた・
返事がすごい。
「腹を切ります」と!
会長は「まだ早い!!」といったとか。
こいういう話が伝説になりました。
日本の古来あるものを守り、さらに進めるための精進。
これはなみの努力ではないでしょう、
でも私達もできる限り、がんばりりたいな~って、あらためて、思ったんですよ。
読んでくださってありがとう