HOTなおちゃタイム

保護猫八匹、21歳のリンをはじめとした楽しい日記をお読みくださいね。

幾層にも重なった歴史の国 トルコのトロイ、トルコ旅行その2

2011-05-11 15:34:57 | 

 

関西国際空港から、トルコ航空で13時間、イスタンブールへ、

中部国際空港からでは、フランクフルト経由の予定でしたからもっとハードです。ラッキー

夜中の12時近くの出発ですので、

大阪の海遊館や通天閣、道頓堀、お好み焼き、タコ焼きを満喫しての出発です~

飛行場で化粧も落とし、歯も磨いて寝るばっかり!!

現地時間の朝5時半コロ到着

イスタンブールの市内の渋滞は激しいそうで、(帰りの金曜日に体験します。)

ここからトロイに行く前に、イスタンブールの予定を半日分こなすことに・・

その様子は最終日のイスタンブールと併せてご報告しますね。

でイスタンブールとチャナッカレの間は船でクルージングです。

右手はヨーロッパ、左アアジアの大陸を眺めながら船は進みます。

約320キロ、6時間です。

この日はトロイの手まえ30キロのチャナカレで泊まり

トロイ観光は翌日

湿度が低くてからりとしてとっても気持ちのいい日です。

「トロイの木馬」で有名なトロイ。

 

紀元前800年ころ、成立したとされるホメロスのギリシャ最古、最大の英雄叙事詩全24巻「イーリアス」

その中で、トロイ戦争が書かれているんです。

お話は、

トロイの王の子、パリスは女神アフロディーテの助けを借りて、絶世の美女スパルタ王妃のヘレネを奪った。

もともと戦争の口実を狙っていたスパルタ王は

ギリシャ軍を組んで、トロイを攻めるんですね。

ギリシャの戦士アキレス、(もともとここで死ぬ運命を予言されていた逸話あり。)の活躍などもあるが。

トロイは落ちない。それで木馬をのこし撤退したように見せかける。

木馬はトロイの城内にひきいれられる、戦勝に沸き立つ宴もおわったたころ木馬に潜んだ兵士たちが、戻ってきたギリシャ軍を城の中に引き込み、ギリシャ軍は大勝する

最近映画で「トロイ」が制作上演されました。

大好きなオーラランドブルームパリス(超美形~)、

ブラッドピッアキレスを演じ、(すばらしい見惚れてしまうヌードを披露してくれます。)、ピーターオツールもよかった~

この話は以前は神話とされ、

1871年からドイツのシュリーマンがトロイ遺跡を発掘させて驚かせました。

今でもテーベンビンゲン大学による発掘調査が進んでいるのです。

この後、トルコのいろんなギリシャローマ等の遺跡を回るのですが

その保護状態はホントにお粗末です。

遺跡が多すぎると言えばそれまでなのですが、

トルコ自体が経済的お文化遺産保護にお金が回るほど豊かな国でないという実態があるそうです。

実はみっちゃんはろくにトルコの事を知らなくて

トルコとペルシャの区別がしっかりしてなかったのです.

ペルシャも昔同じ領土だった時代もあるのですね、

(オスマントルコ1299~1922)の最盛期時代らしい。

 

それと隣の国の、ななんとギリシャが、オスマントルコから独立をしたのも、

1821年なんです。

それもロシアの南下政策のあと押しのような形で・・

ロシアの進出に脅威を持ったフランスやイギリスが干渉して・・

ここにエジプトも参戦したり・・(オスマン帝国の支配下だったからです。)

西は中国チンギスハンからの侵略のことも・・・

ロシアのエカテリーナとの戦いも・・ロシアに行った時に知りました。

調べれば調べるほどいろんな歴史的事実

いかに私たち日本人がトルコの事を知らないか。

うらがえしてに言うと西洋文明の方に目を向けているかをかんじた次第です。

幾層にも重なったトルコの歴史は駆け足の旅行では描ききれませんが

ヨーロッパの今の中心といわれるフランス、

イギリスがまだ人の影もうかがえないくらいのころ

トロイの歴史と、当時の文明の中心であったトルコを今日は感じてくださったら

うれしいです

まだまだこの旅は続きます。

読んでくださってありがとう

 

 

 

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