2010.5/2 722回
四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(9)
この「梅が枝」は、呂の調子で、それは女の弾く楽器では、なかなか上手に合わせられないものを、実に上手く弾くものだと感心して、もう一度繰り返してお謡いになりますと、琵琶の調べも今風な撥さばきで、この御邸はなかなか風情をこらされた邸だと心惹かれて、薫は、今夜は少し気軽に冗談などもおっしゃるのでした。玉鬘が御簾の内から和琴を差し出されて、お進めになりますが、薫も少将もお互いに譲り合って手を触れようとなさらない。玉鬘は息子の藤侍従を通して、薫におっしゃいます。
「故致仕の大臣の御爪音になむ通ひ給へる、と聞きわたるを、まめやかにゆかしくなむ。今宵は、なほ鶯にもさそはれ給へ」
――(あなたの御琴の音は)私の亡き父致仕大臣の爪音に似ておられると以前から聞いておりました。私も心からお聞きしたいものと存じます。是非今夜は、あなたも鶯の音に誘われて一曲お弾きください――
薫は、ここではにかんで爪を噛んでいることもないと思われて、大して気を入れず、
さらりと搔き鳴らした音色は、まことに風情があります。玉鬘は亡き父とはそれほど長い年月馴れ親しんだわけではなかったものの、このようにちょっとしたことにつけても
思い出されて、
「『大方この君は、あやしう故大納言の御有様に、いとよう覚え、琴の音など、ただそれとこそ覚えつれ』とて泣き給ふも、古めい給ふしるしの涙もろさにや」
――「そういえばこの方は、不思議なほど私の弟の故大納言(柏木)のご様子に良く似ておいでになります。琴の音色などは、まったくそっくりに思われたことです」とお泣きになりますのも、歳とられたための涙もろさというものでしょうか――
蔵人の少将も良いお声で催馬楽の「三枝(さえぐさ・さきぐさ)」をお謡いになりました。こちらの主人側の藤侍従は、故父髭黒大臣に似ていらっしゃるのでしょうか、音楽の方は不得手で、盃ばかりを重ねていらしゃるので、「せめて御祝詞くらいなさいませんか」などと、責められて、催馬楽の「竹河」を他の方々と一緒にお謡いになります。なかなかによろしい調子でした。
◆催馬楽(さいばら)=古代歌謡の一種。もと民謡だったが、平安時代に宮廷に取りいれられ、宴席、儀式などで盛んに謡われた。舞いはなく、伴奏楽器に、笏拍子(しゃくひょうし)、和琴(わごん)、笛、ひちりき、笙、筝、琵琶などが用いられた。
◆呂の調子(りょのちょうし)=音楽の調子の名。雅楽で十二律のうち、陰に属する音の称。
ではまた。
四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(9)
この「梅が枝」は、呂の調子で、それは女の弾く楽器では、なかなか上手に合わせられないものを、実に上手く弾くものだと感心して、もう一度繰り返してお謡いになりますと、琵琶の調べも今風な撥さばきで、この御邸はなかなか風情をこらされた邸だと心惹かれて、薫は、今夜は少し気軽に冗談などもおっしゃるのでした。玉鬘が御簾の内から和琴を差し出されて、お進めになりますが、薫も少将もお互いに譲り合って手を触れようとなさらない。玉鬘は息子の藤侍従を通して、薫におっしゃいます。
「故致仕の大臣の御爪音になむ通ひ給へる、と聞きわたるを、まめやかにゆかしくなむ。今宵は、なほ鶯にもさそはれ給へ」
――(あなたの御琴の音は)私の亡き父致仕大臣の爪音に似ておられると以前から聞いておりました。私も心からお聞きしたいものと存じます。是非今夜は、あなたも鶯の音に誘われて一曲お弾きください――
薫は、ここではにかんで爪を噛んでいることもないと思われて、大して気を入れず、
さらりと搔き鳴らした音色は、まことに風情があります。玉鬘は亡き父とはそれほど長い年月馴れ親しんだわけではなかったものの、このようにちょっとしたことにつけても
思い出されて、
「『大方この君は、あやしう故大納言の御有様に、いとよう覚え、琴の音など、ただそれとこそ覚えつれ』とて泣き給ふも、古めい給ふしるしの涙もろさにや」
――「そういえばこの方は、不思議なほど私の弟の故大納言(柏木)のご様子に良く似ておいでになります。琴の音色などは、まったくそっくりに思われたことです」とお泣きになりますのも、歳とられたための涙もろさというものでしょうか――
蔵人の少将も良いお声で催馬楽の「三枝(さえぐさ・さきぐさ)」をお謡いになりました。こちらの主人側の藤侍従は、故父髭黒大臣に似ていらっしゃるのでしょうか、音楽の方は不得手で、盃ばかりを重ねていらしゃるので、「せめて御祝詞くらいなさいませんか」などと、責められて、催馬楽の「竹河」を他の方々と一緒にお謡いになります。なかなかによろしい調子でした。
◆催馬楽(さいばら)=古代歌謡の一種。もと民謡だったが、平安時代に宮廷に取りいれられ、宴席、儀式などで盛んに謡われた。舞いはなく、伴奏楽器に、笏拍子(しゃくひょうし)、和琴(わごん)、笛、ひちりき、笙、筝、琵琶などが用いられた。
◆呂の調子(りょのちょうし)=音楽の調子の名。雅楽で十二律のうち、陰に属する音の称。
ではまた。