2010.5/28 748回
四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(9)
この八の宮は、貴人の中でも大そう上品な方で、ご先祖伝来の御宝物や女御の御父上から相続された遺産など、あれこれ沢山お持ちでしたのに、今では行方も知れなくなって、どうしたものでしょうか、お手回りのお道具類だけいかにも由緒ある宮家らしいものだけが残っているだけなのでした。
「参りとぶらひ聞こえ、心寄せ奉る人もなし。(……)その方はいとをかしうすぐれ給へり」
――こちらへ訪れる人もなく、なさる事とてもなく、つれづれなるままに(治部省の所管で朝廷の式楽を掌る楽師や舞人をお召しになって、音楽に打ち込まれた関係で)その方面には優れていらっしゃるのでした――
そして、この宮は、
「源氏の大臣の御弟におはせしを、冷泉院の東宮におはしましし時、朱雀院の大后の、よこざまにおぼし構へて、この宮を世の中に立ち継ぎ給ふべく、わが御時もてかしづき奉りける騒ぎに、あいなく、あなたざまの御中らひには、さし放たれ給ひにければ、いよいよかの御つぎつぎになりはてぬ世にて、えまじらひ給はず」
――源氏の御弟君で八の宮と申し上げる方でいらっしゃいまして、冷泉院がまだ東宮でいらっしゃった頃、朱雀院の御母弘徽殿大后が、あるまじき陰謀をたくらまれて、この八の宮を東宮にお立てしようと、ご権勢にまかせてお世話申し上げました騒動のために、八の宮は訳もなく源氏方とのご交際を断たれていまわれましたのでした。その後は、いよいよ源氏の御子、御孫の栄える世の中の事とて、今では世間並みのお付き合いもお出来になれないのでした――
「またこの年頃、かかる聖になりはてて、今は限りとよろづを思し棄てたり」
――こうしてここ数年は、勤行一筋の聖になりきって、今はもう、憂き世の望みの一切を思い捨てておいでになるのでした――
「かかる程に住み給ふ宮焼けにけり。いとどしき世に、あさましうあへなくて、うつろひ住み給ふべき所の、よろしきもなかりければ、宇治といふ所に、よしある山里持給へりけるに渡り給ふ」
――こうしているところ、長年お住みになっておられた御殿が焼けてしまいました。それでなくても辛い世に、いよいよ御住いまで俄かに失われて、すっかり落胆なさって、さしあたり京の都の内にはお移りになる格好な所もありませんでしたので、宇治というところにお持ちの、風流な山荘に移る事になさったのでした――
◆よこざまにおぼし構へて=異常な、正しくないやり方で
◆いとどしき世=いっそう(厭な)世の中。
◆冷泉院=表向きは桐壺帝と藤壺の御子。実は源氏と藤壺の不義の御子である。源氏は
その御子を東宮にし、帝にするべく政治的に動いたことがここで分かる。
ではまた。
四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(9)
この八の宮は、貴人の中でも大そう上品な方で、ご先祖伝来の御宝物や女御の御父上から相続された遺産など、あれこれ沢山お持ちでしたのに、今では行方も知れなくなって、どうしたものでしょうか、お手回りのお道具類だけいかにも由緒ある宮家らしいものだけが残っているだけなのでした。
「参りとぶらひ聞こえ、心寄せ奉る人もなし。(……)その方はいとをかしうすぐれ給へり」
――こちらへ訪れる人もなく、なさる事とてもなく、つれづれなるままに(治部省の所管で朝廷の式楽を掌る楽師や舞人をお召しになって、音楽に打ち込まれた関係で)その方面には優れていらっしゃるのでした――
そして、この宮は、
「源氏の大臣の御弟におはせしを、冷泉院の東宮におはしましし時、朱雀院の大后の、よこざまにおぼし構へて、この宮を世の中に立ち継ぎ給ふべく、わが御時もてかしづき奉りける騒ぎに、あいなく、あなたざまの御中らひには、さし放たれ給ひにければ、いよいよかの御つぎつぎになりはてぬ世にて、えまじらひ給はず」
――源氏の御弟君で八の宮と申し上げる方でいらっしゃいまして、冷泉院がまだ東宮でいらっしゃった頃、朱雀院の御母弘徽殿大后が、あるまじき陰謀をたくらまれて、この八の宮を東宮にお立てしようと、ご権勢にまかせてお世話申し上げました騒動のために、八の宮は訳もなく源氏方とのご交際を断たれていまわれましたのでした。その後は、いよいよ源氏の御子、御孫の栄える世の中の事とて、今では世間並みのお付き合いもお出来になれないのでした――
「またこの年頃、かかる聖になりはてて、今は限りとよろづを思し棄てたり」
――こうしてここ数年は、勤行一筋の聖になりきって、今はもう、憂き世の望みの一切を思い捨てておいでになるのでした――
「かかる程に住み給ふ宮焼けにけり。いとどしき世に、あさましうあへなくて、うつろひ住み給ふべき所の、よろしきもなかりければ、宇治といふ所に、よしある山里持給へりけるに渡り給ふ」
――こうしているところ、長年お住みになっておられた御殿が焼けてしまいました。それでなくても辛い世に、いよいよ御住いまで俄かに失われて、すっかり落胆なさって、さしあたり京の都の内にはお移りになる格好な所もありませんでしたので、宇治というところにお持ちの、風流な山荘に移る事になさったのでした――
◆よこざまにおぼし構へて=異常な、正しくないやり方で
◆いとどしき世=いっそう(厭な)世の中。
◆冷泉院=表向きは桐壺帝と藤壺の御子。実は源氏と藤壺の不義の御子である。源氏は
その御子を東宮にし、帝にするべく政治的に動いたことがここで分かる。
ではまた。