2010.5/27 747回
四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(8)
大君が、硯に手習いのようにして文字を書いていますので、八の宮が、「硯に書くものではありません。この紙にお書きなさい」といいますと、恥ずかしそうにして「歌」をお書きになりましたのは、
(歌)「いかでかく巣立ちけるぞとおもふにもうき水鳥のちぎりをぞ知る」
――どうして大きくなったのかしらと思うにつけても、水鳥のように不安な行く末が思い知られます――
大して上手な歌ではありませんが、宮は今の状態を、身にしみてお感じになります。
御筆跡はまだまだですが、将来に希望のもてる御手筋です。「中の君も書いてごらんなさい」と言いますと、幼げに少し手間取りながら、
(歌)「泣く泣くもはねうち着する君なくばわれぞ巣守になりは果てまし」
――涙ながらお育てくださる父上がいらっしゃらなければ、私は育つことができなかったでしょう――
姫君達のお召物は着馴らされていて張りもなく、お側には女房とてもおらず、たいそう淋しくつれづれのようなご生活ですが、お二人ともとても可愛らしくて、どうして父宮として放っておけましょうか。経の合間には、謡物の節回しをお教えになり、大君には琵琶を、中の君には筝の琴を伝授なさって、姫君達はいつも合奏しながらお習いになりますので、たいそう面白くきこえるのでした。
この八の宮という御方は、
「父帝にも女御にも、疾く後れきこえ給ひて、はかばかしき御後見の、取り立てたるおはせざりければ、才など深くもえ習ひ給はず。まいて世の中に住みつく御心掟は、いかでかは知り給はむ」
――御父の桐壺帝にも御母上の女御にも、幼い頃にお別れになって、しっかりした御後見役でこれという程の人もおられませんでしたので、学問なども深くはお修さめにならなかったのです。ましてや世を渡るお心構えなど、どうしてご存知のはずがありましょうか――
◆才など(ざえなど)=世渡りの経済など
ではまた。
四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(8)
大君が、硯に手習いのようにして文字を書いていますので、八の宮が、「硯に書くものではありません。この紙にお書きなさい」といいますと、恥ずかしそうにして「歌」をお書きになりましたのは、
(歌)「いかでかく巣立ちけるぞとおもふにもうき水鳥のちぎりをぞ知る」
――どうして大きくなったのかしらと思うにつけても、水鳥のように不安な行く末が思い知られます――
大して上手な歌ではありませんが、宮は今の状態を、身にしみてお感じになります。
御筆跡はまだまだですが、将来に希望のもてる御手筋です。「中の君も書いてごらんなさい」と言いますと、幼げに少し手間取りながら、
(歌)「泣く泣くもはねうち着する君なくばわれぞ巣守になりは果てまし」
――涙ながらお育てくださる父上がいらっしゃらなければ、私は育つことができなかったでしょう――
姫君達のお召物は着馴らされていて張りもなく、お側には女房とてもおらず、たいそう淋しくつれづれのようなご生活ですが、お二人ともとても可愛らしくて、どうして父宮として放っておけましょうか。経の合間には、謡物の節回しをお教えになり、大君には琵琶を、中の君には筝の琴を伝授なさって、姫君達はいつも合奏しながらお習いになりますので、たいそう面白くきこえるのでした。
この八の宮という御方は、
「父帝にも女御にも、疾く後れきこえ給ひて、はかばかしき御後見の、取り立てたるおはせざりければ、才など深くもえ習ひ給はず。まいて世の中に住みつく御心掟は、いかでかは知り給はむ」
――御父の桐壺帝にも御母上の女御にも、幼い頃にお別れになって、しっかりした御後見役でこれという程の人もおられませんでしたので、学問なども深くはお修さめにならなかったのです。ましてや世を渡るお心構えなど、どうしてご存知のはずがありましょうか――
◆才など(ざえなど)=世渡りの経済など
ではまた。