2010.5/14 734回
四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(21)
「さるは限りなき御おもひのみ、月日に添へてまさる。七月より孕み給ひにけり」
――とは言え、冷泉院の大君(大姫君)への限りないご寵愛ばかりは、日々に増しておいでになって、七月には身ごもられました――
年が明けて、世の中はいつものように宮中の行事などがおこなわれます。
「卯月に女宮生まれ給ひぬ。ことにけざやかなる物の栄えもなきやうなれど、院の御気色に従ひて、右の大殿よりはじめて、御産養ひし給ふ所々多かり」
――この御息所(大姫君)に、四月女宮がお生まれになりました。冷泉院は(ご退位の御身でいらっしゃるので)特別目立って栄々しさはありませんが、院のご意向に添って、夕霧大臣をはじめ、お産のお祝いにお出でになる方が多いのでした。(お産は実家の玉鬘邸でします)――
「かんの君つと抱きもちてうつくしみ給ふに、疾う参り給ふべき由のみあれば、五十日のほど参り給ひぬ」
――玉鬘はいつも女宮をお抱きになって慈しんでいらっしゃいましたが、冷泉院から速く御所に参るようにとの再三の御催促に、五十日ほどに参上なさいました――
「女一の宮一所おはしますに、いとめづらしくうつくしうておはすれば、いといみじう思したり。いとどただこなたにのみおはします。女御方の人々、いとかからでありぬべき世かな、と、ただならず言ひ思へり」
――(冷泉院には)弘徽殿女御腹に女一の宮ただお一人お子様がいらっしゃいますが、久々の御子様の可愛らしく愛らしいご様子に、たいそう嬉しく思われて、前にも増して大君の所にばかりいらっしゃいます。弘徽殿女御付きの女房達は、「全くあれほど御寵愛なさらなくても。あんまりなお仕打ちですこと」と、口に出しても言い合っております――
ではまた。
四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(21)
「さるは限りなき御おもひのみ、月日に添へてまさる。七月より孕み給ひにけり」
――とは言え、冷泉院の大君(大姫君)への限りないご寵愛ばかりは、日々に増しておいでになって、七月には身ごもられました――
年が明けて、世の中はいつものように宮中の行事などがおこなわれます。
「卯月に女宮生まれ給ひぬ。ことにけざやかなる物の栄えもなきやうなれど、院の御気色に従ひて、右の大殿よりはじめて、御産養ひし給ふ所々多かり」
――この御息所(大姫君)に、四月女宮がお生まれになりました。冷泉院は(ご退位の御身でいらっしゃるので)特別目立って栄々しさはありませんが、院のご意向に添って、夕霧大臣をはじめ、お産のお祝いにお出でになる方が多いのでした。(お産は実家の玉鬘邸でします)――
「かんの君つと抱きもちてうつくしみ給ふに、疾う参り給ふべき由のみあれば、五十日のほど参り給ひぬ」
――玉鬘はいつも女宮をお抱きになって慈しんでいらっしゃいましたが、冷泉院から速く御所に参るようにとの再三の御催促に、五十日ほどに参上なさいました――
「女一の宮一所おはしますに、いとめづらしくうつくしうておはすれば、いといみじう思したり。いとどただこなたにのみおはします。女御方の人々、いとかからでありぬべき世かな、と、ただならず言ひ思へり」
――(冷泉院には)弘徽殿女御腹に女一の宮ただお一人お子様がいらっしゃいますが、久々の御子様の可愛らしく愛らしいご様子に、たいそう嬉しく思われて、前にも増して大君の所にばかりいらっしゃいます。弘徽殿女御付きの女房達は、「全くあれほど御寵愛なさらなくても。あんまりなお仕打ちですこと」と、口に出しても言い合っております――
ではまた。