永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(741)

2010年05月21日 | Weblog
2010.5/21  741回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(28)

 玉鬘はさらにお続けになって、

「宮達は、さてさぶらひ給ふ、このいとまじらひにくげなる自らは、かくて心安くだにながめ過い給へ、とて、まかでさせたるを、それにつけても、聞き憎くなむ、上にもよろしからず思しのたまはすなる。ついであらば、ほのめかし奏し給へ」
――若宮たちはそのまま院のお側におられます。この全く御奉公しづらい大姫君は、里に帰って、せめて気楽にのんびりなさいと言いまして退出させましたのに、なんと院も里下がりなど怪しからぬとお思いにも、おっしゃりもしていらっしゃいます。おついでがありましたら、それとなくこのような訳をおっしゃってくださいませ――

さらに、

「とざまかうざまに、たのもしく思ひ給へて、いだし立て侍りし程は、いづかたをも心安く、うちとけ頼み聞こえしかど、今は、かかる事あやまりに、幼うおほけなかりける、
みづからの心を、もどかしくなむ」
――あれやこれやと頼もしい気持ちで出仕させました時は、お二方とも心安く打ち解けてお頼り申し上げておりましたが、今となっては、このような手違いも起こり、つたない身の程知らずの自分でありましたことが厭になります――

 と、お泣きになっているご様子です。薫が、

「さらにかうまで思すまじき事になむ。かかる御まじはりの安からぬ事は、昔より然ることとなり侍りにけるを、位を去りて、静かにおはしまし、何事もけざやかならぬ御有様となりにたるに、誰もうちとけ給へるやうなれど、おのおの内々は、いかがいどましくも思すこともなからむ」
――決してそれ程ご心配なさるには及びません。宮仕えというものが気遣いな事は、昔からそうときまっていたものでしょう。院は退位なさって閑居なされ、万事華やかではないご生活となりました為、后や妃方は皆仲好くしておられるようですが、それぞれ内心では、どうして競争心がない筈がありましょう――

つづけて、

「人は何の咎と見ぬことも、わが御身にとりてはうらめしくなむ、あいなき事に心を動かい給ふこと、女御后の常の御癖なるべし」
――他人の目には何の欠点と見えないことでも、御当人となれば恨めしいお気持で、少しの事にでも気を揉まれるというのが、女御や后のお癖なのでしょう――

「さばかりの紛れのあらじものとてやは、思し立ちけむ。ただなだらかにもてなして、御覧じ過ごすべきことに侍るなり。男の方にて、奏すべきことにも侍らぬことになむ」
――このような面倒なことも無いとお考えになって、大姫君を院の宮仕えを思い立たれたのでしょうか。ただ穏やかにお振舞いになって、見過ごされるのが良いと存じます。男の私の口から、奏上する筋合いのものではないでしょう――

 と、はっきりとお思いのままおっしゃいますので、玉鬘は「なんとあっさりとした御裁断ですこと」と少し微笑んでいらっしゃる。薫は玉鬘が、人の親として何かときりもりしていらっしゃる割には、たいそう若々しくおっとりしている方とお見受けし、お心の内で、

「御息所も、かやうにぞおはすべかめる、宇治の姫君の心とまりて覚ゆるも、かうざまなるけはひのをかしきぞかし」
――(玉鬘の御娘である大姫君の)御息所も、きっとこのように大様なお方でいらっしゃるのだろう。宇治の八の宮様の大君(おおいぎみ)に心惹かれるのも、自分はこのような、おっとりした方が気に入っているからなのだ――

 などと思いながら、几帳越しに座っておりました。

◆とざまかうざまに=あれやこれや。

◆いどましく=挑ましく=競争心が強い。張り合うさまである。

ではまた。

源氏物語を読んできて(740)

2010年05月20日 | Weblog
2010.5/20  740回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(27)

「御息所安げなき世のむつかしさに、里がちになり給ひにけり。かんの君、思ひしやうにはあらぬ御有様を、くちをしと思す。内裏の君は、なかなか今めかしう心安げにもてなして、世にもゆゑあり、心にくきおぼえにて、さぶらひ給ふ」
――大姫君は、お心の休まらない不安な宮仕えの煩わしさに、実家に帰っていらっしゃることが多くなりました。玉鬘は考えておられたようにならぬこの成り行きを、何とも残念でならないのでした。今帝に上がられた中の君の方は、むしろ却って華やかにのんびりと振る舞って、風情もあり床しくもあるとの評判でお仕えなさっています――

さて、竹河左大臣が亡くなられて、右大臣の夕霧が左大臣に、籐大納言(紅梅の巻の紅梅大納言)は左大将兼務の右大臣になりました。薫中将は中納言になられ、三位中将(元の蔵人の少将)は宰相に昇進なさって、源家である夕霧の一族が今をときめいていらっしゃるのでした。

 薫が中納言への昇進のご挨拶に玉鬘の御邸にお出でになり、物語なさいます。髭黒大臣が亡くなられてから段々に人の出入りも寂しくなって、誰もが素通りしてしまいそうなこの御邸に、薫は律儀にも礼儀をつくされているのでした。玉鬘はご挨拶のあとで、

「今日は、さだすぎにたる身のうれへなど、聞ゆべきついでにもあらず、とつつみ侍れど、わざと立ち寄り給はむ事は難きを、対面なくてはた、さすがにくだくだしき事になむ」
――(お目出度い)今日に、年寄りの愚痴など申し上げる場合でもない、御遠慮せねばとも思いますが、そう度々お立ち寄りくださることは難しいでしょうし、このようにお目にかかります時でなくては、申し上げにくい事ですので――

「院にさぶらはるるが、いといたう世の中を思ひ乱れ、中空なるやうにただよふを、女御を頼み聞こえ、また后の宮の御方にも、さりとも思しゆるされなむ、と思ひ給へ過ぐすに、いづかたにも、なめげにゆるさるものに思されたなれば、いとかたはらいたくて」
――冷泉院にお仕えしております大姫君は、ひどく宮仕えのことで苦労をしておりまして、中空を漂うようなどっちつかずの生活をしております。弘徽殿女御をお頼りにし、また秋好中宮も何とかお見逃しくださるでしょうと思って過ごしておりますのに、どちら様も大姫君を無礼で許し難いものに思っておられる由ですので、まったく心苦しくて――

◆なめげに=無礼だ。失礼だ。

ではまた。

源氏物語を読んできて(739)

2010年05月19日 | Weblog
2010.5/19  739回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(26)

 かつて大姫君に求婚した人々が、今では順調に出世なさって、婿にしても良い人がなんと大勢いることでしょう。その中で、源侍従と申して年若くまだ弱々しいと思っていました薫は宰相の中将におなりになって、

「『匂ふや薫や』と、聞きにくく愛で騒がるなる、げにいと人柄重りかに心にくきを、やむごとなき親王達大臣の、御女を志ありて宣ふなるなども、聞き入れずなどあるにつけても」
――「匂うの君よ、薫の君よ」と、大げさに誉めそやされていらっしゃるようですが、なるほど実にお人柄が重々しく奥ゆかしくおなりで、高貴な親王方や、大臣がわが娘ををその妻にと仰せられるそうですが、どうも聞き入れずにいらっしゃる、などということを耳になさるにつけても――

 玉鬘は、立派にご成人になられた薫を好ましく思うのでした。

「少将なりしも、三位の中将とか言ひておぼえあり。『容貌さへ、あらまほしかりきや』など、なま心わろき仕うまつり人は、うちしのびつつ、『うるさげなる御有様よりは』など言ふもありて、いとほしうぞ見えし」
――あの、蔵人の少将も、三位の中将になって世間のご信望もおありで、「お顔も、申し分ありませんでしたよ」などと言ったり、少し浮気っぽい女房達が陰でこっそり、「面倒な宮仕えよりは、こちらの大姫君を少将に差し上げた方がよかったのに」などという者もいて、玉鬘がお気の毒にお見えになるのでした――

「この中将は、なほ思ひそめし心絶えず、憂くもつらくも思ひつつ、左大臣の御女を得たれど、をさをさ心も留めず、『道のはてなる常陸帯の』と、手習ひにも言種にもするは、いかに思ふやうのあるにかありけむ」
――この三位中将は、最初に思い焦がれた大姫君への愛情が納まらず、ああ悲しかった、辛かったと思い続けて、竹河左大臣の姫君を妻にしながら、一向に気に食わず、古歌の「道のはてなる常陸帯の…」と、手すさびにも書き、口癖にも言っているようで、ほんの少しでもあの御息所に逢いたいものだという下心が今でもあるようです。いったいどのように思っているのでしょうね――

◆『道のはてなる常陸帯の』=新古今集の「東路の道の果てなる常陸帯(ひたちおび)のかごとばかりも逢はんとぞ思ふ」ちょっとでも逢いたいの意。

ではまた。


源氏物語を読んできて(738)

2010年05月18日 | Weblog
2010.5/18  738回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(25)

 数年たって、御息所は男御子をお産みになりました。

「そこらさぶらひ給ふ御方々にかかる事なくて、年頃になりにけるを、疎かならざりける御宿世など、世人おどろく。帝はまして限りなくめづらし、と、この今宮をば思ひ聞こえ給へり」
――大勢お仕えになっておられる后、女御方に皇子ご誕生がないまま年月が経っておりましたから、これは並大抵ではない御宿縁だなどと、世間の人々も驚いております。院(帝とあるが間違い)はまして、この上もなく珍しく愛らしいと、この新しい御子を大切になさいます――

 こうして大姫君の御腹にお二人が御誕生になりましたので、院はますます御息所をご寵愛になりますため、

「女御も、あまりかうてはものしからむ、と、御心うごきける。事にふれて安からず、くねくねしき事出で来などして、おのづから御中もへだたるべかめり」
――弘徽殿女御も、これではあまりにもひどい事と面白くなく、何かにつけて心穏やかではなく、女房同士の底意地の悪い事件などが起こったりして、自然に、女御と御息所の御仲も疎々しくなるようです――

「世の事として、数ならぬ人の中らひにも、もとより道理えたる方にこそ、あいなきおほよその人も、心を寄するわざなめれば、
――たいていの世の中の常として、何でもない普通の人であっても、元々理屈の通る本妻の方に、一般の人は味方するものらしいので――

 ゆるぎない地位で長年お仕えになって来られた弘徽殿女御の方にばかり、筋道を立てて、大姫君の方を悪く取り扱われますので、御息所(大姫君)のご兄弟たち、特に兄君の中将が、母上の玉鬘に、

「さればよ。あしうやは聞こえおきける」
――ですから申し上げたではありませんか。悪い事は申しませんでしたよ――

と、ますます主張します。玉鬘も、お心が休まらず聞くのも辛いままに、

「かからで、のどやかに目安くて、世を過ぐす人も多かめりかし。限りなき幸なくて、宮仕への筋は、思ひ寄るまじきわざなりけり」
――このような気苦労などせず、のんびりと人の気受けもよく、世の中を過ごしていく者もおおいでしょうに。よほど幸運でない限りは、宮仕えなど思い立つものではありませんでした――

 と、深く溜息をついておられる。

ではまた。

源氏物語を読んできて(737)

2010年05月17日 | Weblog
2010.5/17  737回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(24)

 前の尚侍(以前までの尚侍である玉鬘)は、いっそのこと尼になろうと心に決めますが、ご子息たちが、

「方々にあつかひ聞こえ給ふ程に、おこなひも心あわただしうこそ思されめ。今すこし何方も心のどかに見奉りなし給ひて、もどかしき所なく、ひたみちにつとめ給へ」
――大姫君や中姫君のお世話をなさる間は、仏のお勤めも、心落ち着いてお出来になれないでしょう。もう少し、どちらも安心できるまで見届けられてから、世間の非難がないように、お勤めなさいませ――

 と、お止になりますので、出家は思い留まられます。

「内裏には時々しのびて参り給ふ折もあり。院には、わづらはしき御心ばへのなほ絶えねば、さるべき折もさらに参り給はず」
――(玉鬘は)中の君(新尚侍)のお世話に、ときどきこっそりと内裏に参上される時もありますが、冷泉院の恋心が今でもご面倒にも絶えないご様子ですので、院の方へは
参らねばならぬ時にも参上なさらない――

 玉鬘はお心の中で、

「いにしへを思ひ出でしが、さすがに、かたじけなう覚えしかしこまりに、人の皆ゆるさぬ事に思へりしをも、知らず顔に思ひて参らせ奉りて、みづからさへ、たはぶれにても、若々しきことの世に聞こえたらむこそ、いとまばゆく見苦しかるべけれ」
――昔、自分が冷泉院の御意に背いて、髭黒に嫁したことが思い出され、さすがに勿体なくも畏れ多くも思われて、そのお詫びにと、世間の人が皆筋違いだと考えていらした様子をも知らぬ顔に、大姫君を差し上げて、その上自分までも、ご冗談にも院との間に、年甲斐もない噂がひろまったなら、どんなに恥ずかしく見っともない事でしょう――

 もっとも、このような事情を、

「さる忌により、と、はた御息所にもあかし聞こえ給はねば」
――口にすることのできない理由のあることを、御娘の御息所にも打ち明けてはおられませんので――

 大姫君は、母上は昔から私よりも妹の中の君に愛情が強くていらっしゃると、恨めしく思っておられる。院は別な意味で玉鬘を情れない人だと仰せられて、院と御息所のお二人は、日毎ますます仲睦まじくなっていらっしゃるのでした。

ではまた。

源氏物語を読んできて(736)

2010年05月16日 | Weblog
2010.5/16  736回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(23)

「かくて、心安くて内裏住みもし給へかし、と思すにも、いとほしう、少将の事を、母北の方のわざと宣ひしものを、頼め聞こえしやうにほのめかし聞こえしも、いかに思ひ給ふらむ、と、おぼしあつかふ」
――このようにして、中の君が気楽に宮仕えもなされるようにと思われるにつけても、あの蔵人の少将にはお気の毒で、母君の雲居の雁が特に頼んでこられましたものを、その時、中の君を当てにして頂くような仄めかしかたをしてしまったことを、こんな成り行きになってしまって、どうお考えになられるかと、思案に暮れながらも――

 次男の弁の君を使者として、悪意のない風に、夕霧に申し上げます。

「内裏よりかかる仰せ言のあれば、さまざまにあながちなるまじらひの好みと、世の聞き耳のいかがと思う給へてなむ、わづらひぬる」
――帝から中の君を尚侍にとの仰せがありますが、なんとまあ宮仕えが好きな事よ、などと、世間に噂されますのもどうかと考えまして、困っております――

 と、ご伝言にして申し上げますと、夕霧は、

「内裏の御気色は、思しとがむるも、道理になむ承る。公事につけても、宮仕へし給はぬは、さるまじきわざになむ。はや思し立つべきになむ」
――帝のご機嫌のお悪いのは尤もの事と存じますよ。やはり女官としてでも中の君が宮仕えなさらないことになれば、宜しくないでしょう。そのように早々にお進めになるべきです――

 とおっしゃいましたので、この度は、明石中宮のご機嫌を伺ってから参内されました。
夫の髭黒大臣がご在世中なら、明石中宮としても、中の君を抑えつけるようなことはなさらないであろうと、玉鬘はものあわれに沈み込んでおられます。

「姉君は、容貌など名高う、をかしげなり、と、きこし召しおきたりけるを、引きかへ給へるを、なま心ゆかぬやうなれど、これもいとらうらうじく、心にくくもてなしてさぶらひ給ふ」
――(帝は)ご長女の大姫君が美人の誉れ高く、たいそう綺麗だと聞いて期待していおられましたのに、入内が叶わなかった事がご不満でいらっしゃいましたが、この中の君も、たいそう才気があって、奥ゆかしい態度でお仕えになっておられます――

◆なま心ゆかぬやう=思いどおりにいかなかった

◆中の君は新しい尚侍となって出仕します。

ではまた。

源氏物語を読んできて(735)

2010年05月15日 | Weblog
2010.5/15  735回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(22)

「正身の御心どもは、ことに軽々しくそむき給ふにあらねど、さぶらふ人々の中に、くせぐせしき事も出で来などしつつ、かの中将の君の、さいへど人の兄にて、宣ひし事かなひて、かんの君も、無下にかく言ひ言ひの果いかならむ、人わらへに、はしななうもやもてなされむ」
――御当人たち(弘徽殿女御と御息所)のお心もちとしては、殊更軽々しく仲違いなさるわけではないのですが、女房たちの中に意地の悪い者もいたりして、気まずい行動もでてきているのでした。あの玉鬘のご長男の中将の君はさすがに人の兄だけあって、かつて玉鬘におっしゃったことが、その通りになってきているのでした。玉鬘も、女御方が頑なに我を張られたならば、結局どうなっていくことか。物笑いに具合悪くも取り沙汰されるのだろうか――

「上の御心ばへは浅からねど、年経て侍ひ給ふ御方々、よろしからず思ひ放ち給はば、苦しくもあるべきかな、とおもほすに、内裏にはまことにものしと思しつつ、たびたび御気色ありと、人の告げ聞こゆれば、わづらはしくて、中の姫君を、おほやけ様にてまじらはせ奉らむことを思して、尚侍をゆづり給ふ」
――(あの御方々への)冷泉院の御愛情が浅くはないとしても、長年仕えていらっしゃる秋好中宮や弘徽殿女御を、おもしろからぬ御気分でお見棄てになったならば、それこそ御息所の御身としては、お辛いことでしょうと、玉鬘は御心配が尽きないのでした。また今帝は、大姫君をご自分に差し出さず、冷泉院へ出仕させたことを、心底不愉快の思われて、度々その旨仰せられますことを、人伝てに伺うにつけても玉鬘はいよいよ困り果てて、中の姫君を公式の御役目につけて御所に差し出そうとお思いになり、尚侍の職をお譲りになることにしました――

 朝廷では、尚侍の君(玉鬘)の辞任を、長い年月お許しになりませんでしたが、こちらから昔の例も引き合いにお出しして、やっと辞職がかなったのでした。この辞職が中の姫君の尚侍としての宮仕えにつながりますのも、宿縁なのだったのかしらと、玉鬘はしみじみとお思いになるのでした。

◆くせぐせしき事=癖癖しきこと=ひねくれている。意地が悪い。

◆尚侍(ないしのかみ)=内侍司(ないしつかさ)の長官。常に天皇の側近くにあって、天皇への取り次ぎなどを司どった。妃(きさき)となる場合もあり、その時には、更衣に次ぐ地位として遇された。「しょうじ」「かんの君」とも言う。

◆尚侍の職をお譲りに=玉鬘は、はじめ尚侍(ないしのかみ)として冷泉帝に出仕の筈のところ、髭黒大将がさらうようにして北の方にしてしまいました。結婚後、尚侍としての公職を貰い、在宅にいて職務を続けていたものと思われます。

ではまた。

源氏物語を読んできて(734)

2010年05月14日 | Weblog
2010.5/14  734回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(21)

「さるは限りなき御おもひのみ、月日に添へてまさる。七月より孕み給ひにけり」
――とは言え、冷泉院の大君(大姫君)への限りないご寵愛ばかりは、日々に増しておいでになって、七月には身ごもられました――

 年が明けて、世の中はいつものように宮中の行事などがおこなわれます。

「卯月に女宮生まれ給ひぬ。ことにけざやかなる物の栄えもなきやうなれど、院の御気色に従ひて、右の大殿よりはじめて、御産養ひし給ふ所々多かり」
――この御息所(大姫君)に、四月女宮がお生まれになりました。冷泉院は(ご退位の御身でいらっしゃるので)特別目立って栄々しさはありませんが、院のご意向に添って、夕霧大臣をはじめ、お産のお祝いにお出でになる方が多いのでした。(お産は実家の玉鬘邸でします)――

「かんの君つと抱きもちてうつくしみ給ふに、疾う参り給ふべき由のみあれば、五十日のほど参り給ひぬ」
――玉鬘はいつも女宮をお抱きになって慈しんでいらっしゃいましたが、冷泉院から速く御所に参るようにとの再三の御催促に、五十日ほどに参上なさいました――

「女一の宮一所おはしますに、いとめづらしくうつくしうておはすれば、いといみじう思したり。いとどただこなたにのみおはします。女御方の人々、いとかからでありぬべき世かな、と、ただならず言ひ思へり」
――(冷泉院には)弘徽殿女御腹に女一の宮ただお一人お子様がいらっしゃいますが、久々の御子様の可愛らしく愛らしいご様子に、たいそう嬉しく思われて、前にも増して大君の所にばかりいらっしゃいます。弘徽殿女御付きの女房達は、「全くあれほど御寵愛なさらなくても。あんまりなお仕打ちですこと」と、口に出しても言い合っております――

ではまた。


源氏物語を読んできて(733)

2010年05月13日 | Weblog
2010.5/13  733回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(20)

 玉鬘は、

「いさや、ただ今かう、にはかにしも思ひ立たざりしを、あながちに、いとほしう宣はせしかば、後見なきまじらひの、内裏わたりははしたなげなめるを、今は心やすき御有様なめるに、任せ聞こえて、と思ひ寄りしなり。誰も誰も、便なからむ事は、ありのままにも諌め給はで、今引き返し、右の大臣も、ひがひがしきやうに、おもむけて宣ふなれば、苦しうなむ。これも然るべきにこそは」
――いえね、私もこれほど急に思い立ったわけでもありませんのに、冷泉院から無理矢理にお気の毒なほどの仰せがありましたので。後見のない宮仕えは肩身が狭く具合が悪いでしょうし、院は今では気楽なご様子らしくお見受けしますので、それではお任せ申してと、考えついたのです。誰一人、不都合なこととは率直に諫めてもくださらず、今になって急に、夕霧大臣も私のやり方が悪いように仰るそうで、困ってしまいます。これも前世の宿縁というものでしょう――

 と、おだやかに、少しも心騒がしい風はなくおっしゃる。中将はまた、

「その昔の御宿世は、目に見えぬものなれば、かう思し宣はするを、これは契りことなるとも、いかがは奏し直すべき事ならむ。中宮を憚り聞こえ給ふとて、院の女御をば、いかがし奉り給はむとする」
――お言葉の、前世の宿縁は目に見えないものですから、帝がこれほどおっしゃるものを、「それは御縁のなかったことでした」などと、どうしてお言葉をお返しできるでしょう。明石中宮にご遠慮なさるとおっしゃるなら、では弘徽殿女御にはどうなさるおつもりなのですか――

 さらに、

「後見や何やと、かねて思し交はすとも、さしもえ侍らじ。よし、見聞き侍らむ。よう思へば、内裏は、中宮おはしますとて、他人はまじらひ給はずや。君に仕うまつることは、それが心やすきこそ、昔より興あることにはしけれ」
――弘徽殿女御を御後見とかなんとか、今はお力を頼っていらっしゃいますが、実際にはそうも出来ませんでしょう。まあご様子を見聞きしておりましょう。よく考えてみませば、帝には明石中宮がれっきとしておられると言いましても、他にお仕えなさっている方がいらっしゃらなくはないでしょう。君子へのご奉公というものは、誰でも競い合いが気軽でこそ、昔から興があったのですから――

そして、さらに、

「女御は、いささかなる事の違目ありて、よろしからず思ひ聞こえ給はむに、ひがみたるやうになむ、世のきき耳も侍らむ」
――弘徽殿女御の場合、ちょっとした行き違いでもあって、御不快にお思いになることでもありましたら、世間体も妙なことになるでしょう――

 と、中将と弟の弁と二人がお責めになりますので、玉鬘は心苦しくていらっしゃる。

ではまた。


源氏物語を読んできて(732)

2010年05月12日 | Weblog
2010.5/12  732回

四十四帖 【竹河(たけがわ)の巻】 その(19)

「少将の君をば、母北の方の御うらみにより、さもや、と思ほして、ほのめかし聞こえ給ひしを、絶えておとづれずなりにたり」
――(玉鬘としては)蔵人の少将のことでは、母君の雲居の雁の恨みから、それなら少将を中の君の婿にしてはどうかと思われて、仄めかすように申し上げましたのに、少将からは、とんと音信が途絶えておしまいになりました――

 冷泉院には夕霧の子息たちも、親しくお仕えしておりましたが、大姫君が参院されてからは、蔵人の少将はほとんど参上せず、たまにお顔をお見せになっても、つまらなそうに逃げるように退出するのでした。

 一方、今帝からは、

「故大臣の志おき給へるさま異なりしを、かく引き違へたる御宮仕えを、いかなるにか、と思して、中将を召してなむ宣はせける」
――故髭黒大臣が、大姫君を帝に差し上げようと、特に定めておられましたのに、それに反して、冷泉院に参ったことをどうした訳かとお考えになって、中将(大姫君の兄君)を呼び出してお咎めがありました――

「御気色よろしからず。さればこそ世人の心の中も、傾きぬべきことなり、と、かねて申ししことを、思しとる方異にて、かう思し立ちにしかば、ともかくも聞こえ難くて侍るに、かかる仰せ言の侍るは、なにがしらが身の為にも、あぢきなくなむ侍る」
――(帝の)御機嫌が悪うございました。ですから、冷泉院へ差し上げては世間も必ず不審に思うに違いないことですと、前々から私が申しました事を、母上のご意見が私と違って、このように決意されましたので、私としては何とも申し上げにくいのですのに、帝からこういう仰せがありますのは、私共の将来のためにも面白くないしだいなのです――

 と、母上を非難なさる。

ではまた。