昨日やっと福島の友人と連絡がつき話が出来た。
郡山に住んでいるが、被害地図に載っている地域だったので、どの程度かわからず
ただ元気でいて欲しいと願うばかりだった。
福島は中通地方、浜通り、会津地方と区別されるが今回は浜通りの被害で
地震 津波 原発との3重被害だが中通りは地震だけで大丈夫よという。
生まれ故郷も無事だという。
それでも屋根瓦は落ち二階のタンスは倒れ、家具は散らかりというがそれでもそんなもの相馬地方に比べたらどうにでもなると。
屋根瓦は今瓦の製造がなく新建材の屋根のため、店も職人そのものがいないのである。
もう屋根全体を何年かかかって改築しなければならいが、今はそれも考えられず
ビニールシートを張ってその場しのぎよと言う。
壁が落ちたり屋根が飛んだりしても、建築屋さんがいないのでそのままになっている家々が増え始めている。
今回長野も地震の被害が一部有り、そのため友人や知人から大分連絡を受けた。
ありがたいことである。
通常通り勤務していたので留守電になり、通話できず余計心配したそうである。
先方では長野で一人暮らしの老人は大丈夫かと真っ先に心配する対象だそうである。
そうか、私は自分を老人と思わず、若い者以上に働いている毎日なので、その差は大きい。
保健師の資格なのでこの際はお役に立ちたいと思うが、所属する身は自由にならず
毎日の業務を精一杯こなすのみでジレンマは大きい。
今日は篭城の実家に保存食品を宅急便で送る。
夏、取れた野菜を漬物にしたり、保存食をつくりいったい一人暮らしの私は
食べきれないが、誰が食べるのだ?と言いながらせっせと貴い野菜を加工した。
これが今回役立った。
諏訪には漬物用の味噌が売られており、これが評判が良く、野菜の保存用に、
荷物に入れた。
何か出来ないかとニュースを見ては考えるが、現実は暖かい家の中で被害地を
想像しても空しさと背中合わせである。
義援金や物資を届けてもそれ以上できないが、毎日の生活をひたすらつつましく
質素に絞り被災地に思いを寄せることしかない。
多方面からの大きな援助が続くが日本国民それぞれ被災地に想いをよせ、同じ思いで繋がっていきたい。