信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

東日本大震災 2年目

2013年03月11日 23時02分24秒 | Weblog
毎年、3月11日は晴れの日であることが気分を明るく持ち上げてくれる。
昨日までの強風と、生暖かい気温にはつい油断をしてしまったが
今朝起きて温度計を見たら、マイナス6度。

一晩で一気に20度は下がってしまった。
車は凍って、窓ガラスは霜で真っ白になっていた。

子供も含めて誕生日のメッセージが届いた。
仏様には今日まで生かされてきたことを感謝した。

職場では2時46分に院内放送があり東日本大震災で亡くなられた方々に
黙祷を捧げた。

夜、帰宅してテレビをつけたが追悼番組が大半で、
この2年間の復興状況を放送している。
そんな中、郡山に住んでいる高校時代からの友人から電話が入った。
懐かしい福島訛りで、やっと郡山の近所でも家の取り壊しが始まったという。
手つかずの状態から少しずつ順番が来たようだが、もう2年もかかってこの
ノロノロ状態で先が読めないという。
親戚も家族もどんどん歳をとってきて税金はこれから上がるし
生活費も苦しくなるし良いことないねとしんみりと語った。

高校時代のあのピチピチとした若さはどこへ行ってしまったんだろうね
と遠くに去った過去の確かにあったあの弾けるような年は幻のようだ。

昔母親から自分が生まれた時の話を聞いたが、福島の父親の実家で
大雪の降る3月11日の午後3時近くに生まれたのよ、それで陽子という名前を付けたのよ
と母は言った。
それから数10年経ち、同じ時間のこの日は誕生日どころではなくなり
毎年黙祷を捧げる時間へと変わって行ってしまった。