信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

冬山の変化

2013年11月23日 18時50分27秒 | Weblog
伊那に越してきて、早や2週間余経った。
越す前の時間も早かったが、更に毎日が短く、仕事は退職してからのほうが忙しいとムスメに言った。

毎朝カーテンをあけると、前方に山々が聳えており頂上付近の
雪の深さが刻々と変わっていくのがわかって面白い。

この2週間でこの変化が見れるのがたまらなく嬉しい。


 

宝剣岳と駒ケ岳


最近土地に慣れて来たので、朝の散歩の時間が長くなってきた。
歩いていて前の山の名前がわからずあの一番高い山の名前は?と畑で作業している農家の人々に
何回か尋ねたがさあ?
住んでいるけどわからないとの返事が返ってくる。
これは八ヶ岳の名前を原村の時に聞いたときも同じだった。
諏訪の勤務先の同僚も同じだった。

今日もキリスト教会のご婦人が尋ねてきて読んでくださいとチラシを置いて行った。
慌てて追いかけてあの一番高い山の名前は?
と聞いたところごめんなさい・・・・長く住んでいるけどわからないのと逃げ帰ってしまった。
グーグルの地図や伊那の地図で調べたがわからない。
いずれ何とかせねば毎日見ているのに気分がすっきりしない。

お昼からムスメの出産する病院での産前学級へ付き添って行く。
12月20日の予定日だがもう1ヶ月もなくなった。
立会い分娩だがオットは家業が繁忙期を迎え、多分実家のハハが運ぶことになるであろう
と今から練習をしている。
元勤務先だから便利さは大きい。

伊那に越してきたと同じ時間が過ぎると多分、孫が生まれてくる日になる。
今から42年前に神奈川県で助産師で働いていた時は遥かに遠くなり
今は妊産婦は機器類の管理の下に出産を迎えている。

前回の検診の際入院の説明で産科病棟を見学したが、いずれの部屋も
自分の若い時にはなかった機器類が部屋にずらりと並び、出産直後の
新生児のベッドも数100万かかるであろうと思われる高度の設備のものが分娩台の
傍に並んでいた。知識と経験と五感を総動員し、毎日5、6人ものお産でばたばた
働いていた時代は遠く、今や出産する産院は少なくなり簡単に選べることも出来なくなった。

若い後輩からお母さんの頃の昔の助産師は偉かったと言われたが、ムスメのお産となると
素人になってしまう自分が今の姿である。