
車の免許証の更新のお知らせの通知が届く。
そうか・・・・・もう5年が経つのだ。
平成23年3月11日の誕生日に塩尻まで出かけ免許証の更新手続きを行った。
その帰り道、大地震が起きた。
その日は誕生日祝いと称してやがて娘と結婚するであろうヒトに夜お祝いをしてもらった。
途中で地震のニュースが相次いで続き、これは大変なことになったと、お祝いそこそこに帰宅した。
ニュースは信じられない地獄のような画面が続く。
寝ることもできなくなり、寝不足のまま出勤した。
アフリカで働いているムスメから、海外では日本沈没というニュースが入ったと連絡が来る。
勤務先の日常業務をこなしながら、信州へ移住し定年を終え山梨から伊那に終の棲家を変える決心をして
移住計画を進めていく。
退職後1年半後には伊那市に引っ越し、その1か月後にはマゴの誕生でムスメとマゴの出産後を面倒見た。
マゴは今や2歳と2か月になりそのまま保育を続けるようになった。
大震災当時は自分の退職後の住み場所が漠然とし、ムスメがアフリカから帰国して伊那に嫁ぐことが
確約したのち自分も山梨ではなく伊那に住むことに決めるが不安の塊で地理感もなく親戚もなく
どんぶり勘定での家の建築計画は1年間続いた。
神奈川の中央林間から定年退職と同時に信州の原村へ引っ越して、諏訪の赤十字病院へ5年間勤め
東京暮らしからもう15年の時間が流れていった。
免許証も見るたびにこの5年間は我がことより東日本大震災の惨状とその後の復興に覆われており
自分の行き先を決めかねていた。
生まれ故郷の福島は地震と原発で最悪の状態になってしまった。
昨秋、小中学校時代の同級会に出席したが、原発の被害はなかったが地震の被害は離れていても
まだまだ土地自体の被害はもと通りには追い付かず若い人は減り町自体もさびれてしまったという。
生まれ育った風景はもうどこかへ行ってしまった。
今日で3月に入った。
あの11日の大震災の日は黙とうをささげ早く復興することを願い日本国中特別な日を送ることになるが
ささやかながら自分のこの5年間を頑張った生き方も誉めてあげようと思う。
そしてまた3月11日と刻印された誕生日の日の免許証を手に入れようと思う。
人生30年目の運転歴となるが、初めて今回はゴールド免許証を手に入れることになる。