信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

転換期

2008年09月28日 20時55分58秒 |  日記
いやぁーこの土、日は良く働いた。
土曜日の午前中は勤務先の災害シュミレーションに参加する。
休日に出勤するのは気が重い。それに朝早く、月に2回しかない、資源ごみの収集日で、今回は役場の敷地内だから、出勤前に出していかなければならなく、こちらのほうがむしろ前日から気が張っている。
原村の資源ごみは分別が細かく分れていて、それぞれ入れる袋が異なるから走り回ることになる。紙であれば新聞、雑誌、その他の紙類など5種類に別れ、プラや白色トレイ、びん、ペットボトル、それぞれの袋を探し、まるで宝探しのようだ。これで軽く2,30分は掛かってしまう。
災害シュミレーションの集合時間に遅れそうになり、車を飛ばして諏訪まで一気に走る。

病院での災害シュミレーションは病人がいるので細かく部門別に、今回は診療がない日の震度6の地震を想定した。
結果的には2時間半の訓練を行なうが、事前説明のように行かず、途中で流れが止まり、反省事項ばかりが続出した。
事態は深刻だ。
実際に地震が起きれば想定どうりに進行しない。
30分も車に乗って病院まで駆けつけることは不可能かもしれない。
自分の居場所が危ういかもしれないのだから、シュミレーションの訓練は100分の1くらいの訓練場面になるのかも知れないと思われる。

帰宅してから2時間のスペシャルサービスで犬を散歩に連れ出す。
昨日から気温が急に下がり、日中でも風があるので9度しかない。
もう冬だ。顔が冷たくぴりぴりして、いくら歩いても身体が温まらない。
何と北アルプスの頂上が白く、初冠雪になり、いつの間に?
空気が冷たいはずね。
庭の草を取り、花の手入れをして花壇をすっかり秋の仕様に替えた。
暗くなるのが早く、かくして土曜日は終わっていった。

この足掛け10年の重い、心の重石がこの数日で取り払われた。
20代は青春時代を楽しいと思えることも見つからなく、結婚して30代すれすれで年子の母になった。
30代は早かった。年子の育児と姑の病気に付き合い病院通い、学校の役員や仕事にもちょびっとずつ復帰し子供の教育にどっぷり浸かった

40代に再就職したが家族が次々に病気や事故に合い、そのなかを駆け回り最後に自分も車にぶつかり締めくくった。
これでもか、これでもかと毎年、毎年立て続けに病気や災難ばかりが続き、自分の運命を流石に疑った。
子供たち2人は滅多に無い、13日の金曜日、仏滅の3りんぼうの生まれである。別にクリスチャンではないが、毎年毎年交互に怪我をして、私はしょっちゅう、救急病院を巡っていた。救急対応ではベテランになった。
やがて子供は大学に入り、氷河期といわれる就職困難期を潜り抜け、独立した時に私は54歳になっていた。
自分の生き方をしたいとその後は約10年に及ぶ果てしない苦労の中、定年を迎え信州での生活に入った。
兎に角私の30年間は飛ぶように過ぎて行った。
やっと望んだ区切りのついた生活を手にしたが、あまりにもこの10年近くが重い気持ちで暮してきたせいか、身軽になった時に意外な事に嬉しくてたまらないという気持ちがなく、抜け殻のようになっている自分に気が付いた。何だか手につかない。落ち着かない。すかすかした気分。
いけない、いけない、これから自由な自分になれるはずが何だこの気分は?

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一人でワインを飲んでお祝いしてみた。
酒の肴はBSでのニュージーランドの旅物語。ムスメが1年間WHで過ごした国だからとても興味深い。


犬はストーブのそばで温まって気絶状態・・・・・。
何と怠惰な寒がりな奴らではないか!

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