Il film del sogno

現実逃避の夢日記

くれないの 文字を辿れば 身の破滅

2006-01-19 00:42:00 | 日記
1/18(水)池袋・新文芸坐にて【スカーレット・レター】を再見。昨年度わがコリアン映画のベストワン。
物語は「善悪(禁断)の実」を食べたアダムとイブを描いた旧約聖書(創世記)の一節から始まる。

人間の抗えない欲望と本性、そして漆黒の闇・・それがこの物語の軸であり鍵でありましょう。

刑事ギフン(ハン・ソッキュ)は自信満々でタフな刑事課長。
元々善人面のハン・ソッキュではあるが、こういう癖のある役も難なくこなす。
さすが名優。
彼には愛人であるジャズ・シンガーのカヒ(イ・ウンジュ)がおり、頻繁に密通している。
ふたりのディープな濡れ場は、相当刺激的ですので覚悟召され。
(ちなみにレーティングは15歳未満不可)
ライブシーンでは、彼女のアンニュイで独特な声質を活かしたナンバーが堪能出来る。
まぁ、つまりなんだ、い~い女なんですな。
身重の妻スヒョン(オム・ジウォン)は清楚で従順、おまけにプロのチェロリストと、こちらも負けじと才色兼備。
カヒとは対極的な役柄設定にしてある。これは三角関係の常道。
彼女たちは友人同士でもある。これもまぁ良くあるお話。
そして殺人事件の関係者である写真館の夫人キョンヒを演じたのがソン・ヒョナ。
このひとがまた他の二人とは異なり、挑戦的なようで儚く、毅然としているようで誘惑的なオーラを放っているのでありますね。
彼女の謎めいた魅力が、事件をさらにミステリアスな方向へと導いて行く。
このあたりを単にサブプロットに終わらせないところにシナリオの非凡さがある。
主要登場人物のこうした配置で、後は奈落へまっしぐら。
魔性を秘めた御婦人方に翻弄される色男には破局が良く似合う。
つくづく女性は怖い。

凝った映像で綴られる筋立ては、サスペンティックに展開して、全くダレ場がない。
日常に潜む邪(よこしま)な不貞、劣情、猜疑、嫉妬・・・。
事件を追う主人公と、この三者三様の美女たちが複雑に絡み、観る者を愛憎の迷宮に誘うのだ。
周到に張られた精緻な伏線に、最後は絡め獲られて、身動きできなくなるような緊迫感を強いられる。
ラストの極限状態における、ふたりの【狂態】と【密着】には鳥肌が立った。

ここですこし薀蓄を垂れます。
原題は【朱紅文字】。これはつまり【緋文字】(ひもんじ)のこと。
【緋文字】(The Scarlet Letter)といえば19世紀アメリカ文学の名作、ナサニエル・ホーソーンの長編小説。
所謂【姦通小説】の古典で過去に何度か映画化もされている。
最近ではデミー・ムーアが4~5年前にヒロイン演じてました。
(しかしこれはいかにもハリウッドらしいハッピーエンドにした駄作だった)
罰人として処刑台の上に立たされた彼女の上衣の胸には姦婦(Adultery)の頭文字であるAが縫い付けられる。
緋文字は、神の道に背いた者が見せしめに付けられる大きな真紅のこの文字を指す。
冒頭の聖書の引用といい、題名とテーマの借用といい、この映画のテーマの一つは原罪でありましょう。

作中、愛さえあればどんな罪も許されるのか、と艶冶な未亡人は主人公に問う。
また、終幕近くにカヒが唐突に、前述した小説に重要な役回りで出てくる不義の子供(パールという名前)について語るシーンがある。
これは泣かせる。

初見は大人の街は有楽町の駅前・ビッグカメラ7階のシネカノン。
18:40の最終回、観客は3割程度の入りで、つまりガラガラであった。
しかし、本作は興行成績と内容はまったく比例しない好事例。
昨今の韓国映画は熱い。

蛇足だが、イ・ウンジュについて。
これは彼女の遺作。
その事実を踏まえて、本作を鑑賞すると、彼女の鬼気迫る熱演は、ある一線を越えていたんじゃないかとも思えるのだ。
断末魔の如くスクリーンに鮮烈な肢体を焼き付けた新進女優は、実は深刻なうつ病を患い、今年の2月22日、自らその命を絶った。
享年24。
韓国はその日、朝から冷たい雪が舞っていたという。
コメント
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