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「古代の“橘樹(たちばな)”を歩こう!!」川崎市

2023-06-16 19:04:49 | まち歩き・神奈川

6月10日 土曜日

川崎市教育委員会事務局文化財課主催の史跡巡りに参加した。

高津区役所橘出張所集合で13:00出発。参加者は30名位かな。教育委員会の、実際に調査にあたっている方々の熱い説明を聞きながら歩く。

 

Ⅰ.影向(ようごう)寺

谷になっている“たちばなふれあいの森”から坂道を登る。

なるほど、高台にあったから、7~8世紀にあった金堂や三重塔はさらに目立った訳かあ。

↓ 昨年9月に参加した、影向寺西側の調査元気見学会の場所は埋め戻されて雑草が生えていた。

①本堂(薬師堂)

特別に影向寺の本堂(薬師堂)の中に入れてもらった。この本堂は江戸時代の元禄7年(1694)に建立されたそうだ。

天井からさがっている金属は、まわりの木の壁をここにかけて窓を開けるみたいにするそうだ。

↑ 天井画

↑ 現在の薬師如来像

この金堂とほぼ同じ位置に7世紀末の建物もあったそうだ。

↑ 金堂背面。元々はグルっと縁側があったそうだ。で、柱の縁側の下が六角形、上部が円形なのは「下は見えないから効率化のため六角形のままにした」説を唱えていた。

あと、この板は外れるようになっていて、今は重要文化財になっているご本尊達を有事(火災とか空襲とか)の際、すぐに運びだせるようになっていたそうだ。

↑ 江戸時代より前にあった金堂のものを利用したのではないかと思われている礎石。石を平らに削っている。

江戸時代の方は、木を礎石の形に合わせていて、やはり効率化を狙ったのではないかという説。

 

②安置堂

この安置堂に、ご本尊が安置されている。

ここも特別に中に入らせてもらった。平安時代後期製作された仏像なのだが、誰が造ったとかもう少し詳しい事が分かれば国宝になれるそうだ。

 

③影向石

奈良朝時代創建の時の塔の心礎と言われている影向石

なぜか、中央のおそらく仏舎利が納めらた穴に溜まった水が目の病気に効くと評判になったそうだ。心柱の直径は1m近いかな。

 

Ⅱ.橘樹郡家[郡衙]跡(千年伊勢山台遺跡)

橘樹官衙遺跡群の古代影向寺から、西の正倉院方向へ。

途中のここも発掘作業中。

この畑の中にも正倉院(倉庫)跡があったらしい。

そして、なんと川崎市!土地を買って、史跡公園を造営中! 

この近所の空地も購入して、発掘作業中!

凄いなあ。どれだけの大勢の人が頑張って、史跡公園として残すように運動したんだろうか。川崎市教育委員会も予算捻出して、土地を購入して偉い!

来年3月頃完成予定だそうだ。

そして、中原街道まで下る。多分、奈良時代の中原街道は今の道路より10~20mずれてるそうだが、確かに見上げた場所に橘樹官衙遺跡群にあって、通行する人は権力を見せつけられる訳かあ。

 

Ⅲ.子母口富士見台古墳

ちょっと高台の住宅地の真ん中にあった。子供達が元気に遊んでた。

弟橘姫伝説は、横須賀にもあるからなあ。“橘”つながりで。この子母口古墳はちゃんと調査はしていないらしい。そして、古墳でなくて盛土説もあるらしい。

 

Ⅳ.橘樹神社

橘樹神社は橘樹と書いて“たちばな”と読ませる、奈良時代の“たちばな”の漢字が残っている神社。

ここの狛犬は、本当に犬!

山岡鉄舟の碑もある。個人的には、この社殿の西側の空地が気になった。

 

Ⅵ.子母口貝塚

この地区は縄文時代早期から人が住んでたんだぞ!という証拠の貝塚

とは言え、ただの遊具の少ない公園。

入り口のこの表示がないと、埋め戻されてるから、全く分からない。公園として整備する前は、結構近所の子供達が貝殻を掘って遊んでたので、貝塚保護のためにも公園にしたらしい。お母さんが子供を連れて遊びに来てた。

教育委員会の人の熱い伝わってくる説明会だった。そして、教育委員会が上手に土地を購入しているのに驚いた。

史跡公園、できたら行ってみようかなあ。

コメント
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