そりゃ既視感は凄いけど、でも、私はもっと評価されていい映画のような気がする。
ただ、設定がいろいろ甘いから、SF映画としてのカルトムービーにはならないかなあ。
予告編だと、「AI vs 人間」のSF映画だったけど、実際は、「寛容な(ニュー)アジア vs 超巨大国になり過ぎたアメリカ」 の、なんか精神論争みたいな映画だった。
原案・監督・脚本は「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」のギャレス・エドワーズ。
今から50年後位の、一応地球(私達が今生きてる地球ではないかも知れないが)。
AIが暴走したからと、やたら目の敵にして撲滅しようとするアメリカ軍はNOMAD(ノマド)という巨大宇宙船(ほとんど大気圏内にいるけど)で、AI搭載の人間型ロボット(この映画ではシミュラントと言う)と共存しているニューアジアの村や町にどんどんミサイルを落とす。ハマスがいるからと病院を破壊するイスラエル状態だ。
あんなに低空飛行で、肉眼でも見えるNOMAD(ノマド)が上空にくるまで、AIサイドはなんで気が付かないんだ?
ニューアジアは、どんな国家体制になっておるんだろう? アメリカに、あんなに攻撃されているのに。ガザ地区状態か。『地獄の黙示録』か。
しかもニューアジアの農村は、今から50年位前の東南アジアだ。高床式住居に貧しくみえるけど幸せそうな家族が生活している。(国家として存在しているなら)日本もニューアジアのグループで、しかも技術面では進化しているのであちこちに日本語が満載。どーせ翻訳機が訳すから、渡辺謙もちょくちょく日本語でしゃべっている。ちょっと『ブレードランナー』っぽい。ただ、ニューアジアに中国色は全くない。
チベットらしい場所では、オレンジの袈裟を着ている人間型ロボット(『チャッピー』型)は並んで正座させられて、アメリカ軍から後方から撃たれて破壊されている。
しかも『ターミネイター』になりかけたロス核爆発事件は、実はアメリカ軍側の入力ミスなんだが、その事実は伏せられたままAI撲滅の理由になっている。アメリカが仕掛けたイラク戦争みたいだ。
で、結局は、当初の原題通り「愛」なんだよ。ジョン・デヴィッド・ワシントン(デンゼル・ワシントンの長男)は奥さんのマヤをずっと思い続け、アンドリュースもシミュラントを本当に愛してしまい、ドリューも軍人としての報告より奥さんへの最期の言葉を伝えようとし。でもなあ、男女間の愛って脆いのに・・・。
NOMAD(ノマド)が破壊されても、ニューアジアが国家としてアメリカと正式に渡り合わないと、アメリカのAI狩りは繰り返されるんではないだろうか。
アルフィー、5年後っていうのがキーだったから5歳の女の子の姿をしていたシミュラントだったけど、クリエイターがいなくなった今、誰が彼女を大人の体にするんだろうか? 近い将来、彼女はレプリカントやスピルバーグの『A.I.』のデイビッドみたいに、「自分は何者か」と悩むんじゃないか。
マヤ、旦那に気が付かれないで、時間的にも設備的にも、よく創造したもんだな。それが最大の謎かも。
いろいろ書いたけど、良い雰囲気のSF映画だった。