1月26日 土曜日
神奈川県埋蔵文化財センターの、令和6年度の第7回考古学講座の参加申し込みの抽選に応募して当たった。この手の講座、私のような暇な年寄りが大勢応募するらしくて、結構当選しない。
14:00から横浜市歴史博物館で講演会が始まるので、早目に着いて、隣接する「大塚・歳勝土遺跡公園」をまず見学。
最寄りの駅は、横浜市営地下鉄ブルーラインのセンター北駅。駅前は大型商業ビルがやたら建ってる。入っている店舗はチェーン店ばかり。
何が「センター」かというと、「港北ニュータウン」の北の第1地区と南の第2地区をつなぐ地区を「タウンセンター」と呼ぶらしい。ふ~ん。
実家が横浜市営地下鉄ブルーライン沿いにあるのだが、横浜駅や新横浜駅までは利用するけど、こっちまでは来ないし、港北ニュータウンのある都筑区自体が1994年と私が30歳超えてからできているので馴染もない。友達もいない。正直、あまり横浜感がない。ごめん。
横浜市歴史博物館まで歩いて、歩道橋で「歴博通り」を横切り大塚・歳勝土遺跡公園へ。
こんな感じの坂を登って行くと到着。大塚遺跡(環濠集落)と歳勝土遺跡(方形周溝墓群)の集合体で、弥生時代の同時期のムラの人の集落とお墓なのに、なんで大塚遺跡と歳勝土遺跡と別々に言うのか分からない。
1972(昭和47)年に港北ニュータウンの開発に伴う発掘作業で存在が明らかになったらしい。
その当時の主に大塚遺跡の写真 ↓
S16号という文字は、歳勝土遺跡(方形周溝墓群)の墓の番号。
で、1995年当時の写真 ↓
そうなの。港北ニュータウンのために大塚遺跡の3分の2はごそっ削られましたあ!これも飛鳥田市長の頃の計画です。
Ⅰ.大塚遺跡
外敵を防ぐために周囲には濠と木の塀があって、当時は100人くらいの人々が暮らしていたそうだ。元々90棟ほどあった竪穴住居跡27軒を保存(うち7軒を復元)高床式倉庫、型取り遺構、木橋などが復元している。
①型とり遺構
上行寺東遺跡と同じ保存方法だ。当時の流行なのかな?
②復元竪穴式住居
竪穴式住居の中には自由に入ることができる。
Y-39
平均的な大きさだそうだ。
Y-51
見た目は大きくないのに、中に入ったら広かった。
復元してない住居跡 ↓
③高床式倉庫
説明看板は南向きのせいか、日焼けで読めない・・・
Ⅱ.歳勝土遺跡(方形周溝墓群)
「大塚遺跡に住んだ人々のお墓で、方形周溝墓とよばれる形をしています。低い四角形の盛り土と、その四辺を溝で囲んだ形が特長です。発掘当時の状態や木棺を復元し埋葬の様子などが分かるようにしてあります。」
復元された木棺が方形の中心にポンとあったけど、一人の墓としては贅沢過ぎる造りだなあ。溝からも骨が発見されていると案内にあったけど、実際はどんな感じで墓地として使われてんだろうか? ガイドさんに説明を受けないと分からないなあ。