8月12日 火曜日
スリランカ観光のメインだ。
山を登るので、涼しくて混まないうちにと、7:10にホテル出発。バスで20分程で入り口に到着。
脅迫観念に襲われた狂気の王が、5世紀のたった11年間だけ王宮だった岩山だ。22年前の1875年に西洋文明に“発見”された。
Ⅰ.水の広場
沐浴場やら噴水など、スリランカ史上最高(失礼か?でもガイドさんも植民地時代に技術が衰退したと言っていた。)の設備の後。水路が見事に残ってる。数年に1度位、実際に水を流してみたら面白いのに・・・と、思った。
石窟寺院を横目に見て、いよいよ階段を登りだす。
階段は、27人の団体なので遅い人を待ちながら進むのでゆったりしたペースなので、体力的にかなり楽だ。
Ⅱ.ミラーウォール
で、岩山にたどり着くと、左側にレンガを芯に漆喰が塗られて、その上に多量の卵白と街蜜と石灰を混ぜ合わせたものをさらに塗って磨いたという回廊の壁が岩肌に沿って80m位続く。
表面に光沢があるので、鏡の回廊と言うらしい。まあ、1,300年たってから、感覚の違う西洋人の付けた名前だからなあ。アジア人なら別の名前を付けると思うが・・・・
道幅は結構狭くて1m50cm位かな? ここを歩いたんだろうなあ。王やその家臣は。で、この道の10m位上の、オーバーハングした岩に、フレスコ画がある。ここからフレスコ画を見あげてたんだろうか?
ミラーウォールの途中、いきなり狭い鉄製の螺旋階段を登るとたどり着く。
螺旋階段は登りと下りの2本。
床は鉄板で、雨風を防ぐための防護布が貼られている。500体描かれていたそうだが、現在は18人が残る。
この鉄板のお陰で、見事な色彩のフレスコ画を間近に観られるのだが・・・。この鉄板、岩肌に打ちこまれている杭の上に固定されてるだけで・・・。その上に20人以上乗ってるわけで・・・。コワッ!
っと、見事な美女をじっくり堪能できなかった、高所恐怖症の私であった。
再びミラーウォールの道をすすみ、むき出しの階段を登る。風がかなり強い。ここを登りきると・・・。
Ⅳ.ライオンの入り口
現在は、前足しか残っていないが、王国があったときにはライオンの顔もあったそうだ。スフィンクスみたいだ。
ここは、広場になっている。絵葉書でみるとここから上はこんな感じ。↓
張り付いた階段の左側には大きな蜂の巣がいっぱい。観光客が時々襲われるそうだが、"殺生"はしてはいけないので、駆除はしないらしい。入り口前の広場には蜂の避難小屋があって、そこで防護服も貸してくれる。白人は防護服やレインコートなどを着ている人もいた。
で、この階段を登って行くと
Ⅴ.王宮跡
頂上は王宮跡。プール跡もある。ここにレンガ作りの王や一族・兵の住居もあったんだ。どんな建築様式だったんだろう?
上の写真の左の写真の横長の石が、シギリヤ・ロックで一番の高所となる。
今となっては、基礎しか残ってないのでマチュピチュか、竹田城か・・・。強風の中の11年間かあ。観光客は360度見渡せて気持ちいいが、王やその一族はどうだったんだろう?
ホテルの側から、シギリヤ・ロックを撮った画像を見たら、頂上にいる人々が写ってた。すっごく登ったんだが、下からは写真に写る位の大きさなんだ。不思議だ。
この後、ライオンの入り口まで降りると、下りは別の道になる。ライオンの入り口から頂上までの階段は、狭いのに登る人と降りる人が同時に使うので、結構待ち時間が長いので、これが幸いして足が疲れない。
Ⅶ.会議室・アサナ礼拝堂
岩山の下までくると、岩を削った会議室や礼拝堂がある。
おおっ、巨石文明だ。心が躍るぜ。
ここら辺になると木も生えてるので、猿が出迎えてくれる。
土産物屋が並ぶ小道を通ってバスへ。一度ホテルに戻る。ホテルに戻ったのは10:00。
で、シギリヤ・ロック、入場者にはDVDプレゼントがあるのだ。言語は、ドイツ・英語・フランス語なんだが。ヘリやクレーンを使っているので、結構見ごたえある映像だ。水の広場に水がある映像もあった。
DVDは、午後に行ったポロンナルワ遺跡、キャンディでももらった。太っ腹だ。
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