ロンドンに行って、朝の7時にピカデリーサーカスに行くと、エドガーに会えそうな気が、50歳になった今もするんだぞー。少年少女のヴァンパネラ(手塚治虫先生が狼男にヴァンパイヤって使っちゃったから・・・)に人一倍思い入れがあるんだぞー。
だから、期待しすぎちゃったじゃん。
白い雪、孤独ないじめられっ子の少年、クロエ・グレース・モリッツがヴァンパイヤ、赤い血や肉、凍える息・・・。いい素材じゃん。
それなのに、なぜ、血を吸うと、CGの、色気もへったくれもない猫娘が登場するんだ? 雰囲気ぶち壊しじゃん。
殺され方も早い。あんな短時間でものすごい量の血を吸ってるんだったら、もうクロエ・グレース・モリッツの口はバキュームカー並みじゃん。想像すると・・・笑う。
もっと、ゆっくり、殺さなければならない側も、殺されてしまう側も、哀しくじっくり描いて欲しいじゃん。
元のスウェーデン映画「ぼくのエリ 200歳の少女」は観てないので、比較できません。
出だし、雪が降る山の中の道路を救急車とそれを先導するパトカーの回転灯をじっくり映したカメラには、おおっ!良い感じと思ったのに。少年のお母さんの顔をワザと写さないようにしたり。でも、だんだん、車両搭載カメラ映像の多さには飽きた。でも、一生懸命工夫してるじゃん。
でも、本当に少年少女の純愛映画?
「こいつは次の保護者に使える!」と、少年はアビーに目を付けられただけじゃん。この男の子も、「お父さん」のように、人生をアビーに捧げて、恋愛感情を持ったまま、でもHはさせてもらえないから保護者として生きて、命令されて、最後は硫酸かぶって血を捧げるのかあ・・・。そして、自殺なんか考えず、生に(本当に生?)執着するアビーは生き続けるのか・・・。
でも、きっとあと十数年後に、アビーは病院訪ねて「すいません。私、なんか病気みたいなんだすけど・・・」と、ちゃっかり言いそうな女だ。
なんか、全体的に惜しいなあ。
中庭の2人の雰囲気は最高なのに。
私の見方が意地悪なのかしらん。
しかし、本当にアメリカのいじめっ子は怖い。アビーより怖いかも。
80年代の設定なので、デビット・ボウイやカルチャー・クラブの曲が流れるのはうれしかったけど、原題の「LET ME IN」の意味の分かるシーンで、クロエが着てたのがKISSのTシャツだった、というのは笑いをとるためじゃないよね。
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