礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

歴史家とその文章

2012-05-29 05:45:56 | 日記
◎歴史家とその文章
 
 まず、A・B二つの文章を挙げてみる。

 A 国民的ブルジョアジーであるマニュ資本家の発生は、信州・北関東・福島・甲府の製糸地帯や畿内・東海の織物地帯に顕著にみられるところであり、明治十年代にはマニュファクチュアが支配的とすらなったほどである。だが、このマニュ資本家も、生糸の場合に典型的にみられるように、輸出用生糸を製造するうえで政府や県の規則に守られるという一面をもっていたため、反政府運動にはほとんど登場しなかった。だが、そのことをもって、彼らを反民権派であり政府の階級的基礎を形成したとみてはならない。

 B 対米交渉の失敗は、使節団の旅程を大幅に狂わせただけではない。全権委任状再交付のいきさつにも現れたように、留守政府から軽率だと不信を投げかけられ、岩倉らの威信が著しく低下したのは疑いない。政局主導権の確保をねらって強引に使節団を組織した岩倉や大久保にとって、結果は裏目に出てしまったといえよう。逆に、使節団編成の際に妥協と屈伏を余儀なくさせられた三条や大隈がそれ見たことかと溜飲を下げたであろうと想像するのは、穿〈ウガ〉ちすぎであろうか。

 Aは、後藤靖氏の『自由民権』(中公新書、一九七二)の三五~三六ページにある文章、Bは、毛利敏彦氏の『明治六年政変』(中公新書、一九七九)の二八~二九ページにある文章である。
 どちらも中公新書の一冊で、ジャンルは、ともに近代日本史。後藤氏は、『自由民権』に先立って、『自由民権運動の展開』(有斐閣、一九六六)、『士族反乱の研究』(青木書店、一九六七)という専門書を刊行しており、毛利氏は、『明治六年政変』に先立って、『明治六年政変の研究』(有斐閣、一九七八)という専門書を世に問うている。『自由民権』、『明治六年政変』という二冊の新書は、それぞれ、既発表の専門的研究を踏まえている点においても共通性がある。
 そうした二冊の歴史書の間で、なぜこれほど、「文章」に違いが出るのか。Aは、マルクス主義的な歴史観を反映した文章である。こうした文章は、一九六〇年代までの歴史書には、珍しくなかった。一方、Bの文章は、妙に人間臭いところがあり、また「推量」が目立つ。これは、政治の中枢にいるメンバーの心理(心意)、相互の人間関係などに立ち入ろうとしているからであろうか。ちなみに毛利氏は、先行する専門書『明治六年政変の研究』の中でも、同様の文章を駆使しており、「新書」の読者を意識して、そうした文章を選んでいるわけではないようだ。
 
―〔一〇月〕二二日、西郷、板垣、江藤、副島の四参議は、太政大臣代理となった岩倉を訪問し、閣議決定を規程通り天皇に奏上するようにもとめた。しかし、岩倉は、すでに大久保にネジをまかれていたので、四参議の要請を断わった。江藤は、代理者(岩倉)は原任者(三条)の意思にしたがって事を運ぶべきだと法理論を説明したが、岩倉は、三条と自分とは違うから自分の考えどおりにやる、言い換えれば閣議決定に拘束されないと突っぱね、その没論理と無法に四名を憤慨させた。この模様を岩倉から知らされた大久保は、西郷らの抗議辞職を予想したにちがいない。―

 上記は、『明治六年政変の研究』からの引用である。かなり人間臭いところがあり、推量も含まれている。中公新書の文章と、本質的な差はない。
 毛利氏のいう「明治六年政変」とは、いわゆる「征韓論政変」(一八七三)のことである。氏は、『明治六年政変の研究』、『明治六年政変』という二つの著書において、この政変に関するそれまでの通説、すなわち征韓の是非をめぐって岩倉具視・大久保利通ら「内治派」と西郷隆盛・板垣退助・江藤新平ら「征韓派」とが対立し、内治派が敗れたとする通説を根底から批判し、この政変は、司法省に拠って長州汚職閥を追及していた江藤新平を追い出すための陰謀だったという新説を提示した。本のタイトルに「明治六年政変」という用語が使われているのは、この政変においては、「征韓」をめぐる議論は本質的な問題ではなかったとする著者の立場を示すものであった。
 しかし、ここで採りあげたいテーマは、「明治六年政変」の性格ではなく、あくまでも「歴史家の文章」である。つまり、毛利敏彦氏の文章は、そののち、他の歴史家に及ぼした影響が大きかったのではないかということを指摘したいのである。【この話、続く】

今日の名言 2012・5・29

◎寝て起きて、寝て起きて

 香川昭男さん(71歳)が、子どものころ聞いた「おふくろの口癖」。「雪深い東北の農家」に生まれた香川さんは、夜いつも、わら布団のなかで、母親がこの口癖をつぶやくのを聞いたという。今、「高齢者」となった香川さんは、娘や孫の前で、この口癖をつぶやいている。東京新聞2012年5月29日の「あけくれ」より。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする