◎ドーリットル隊長機は左から右に飛んでいった
昨日、松尾文夫氏の『銃を持つ民主主義』(小学館、二〇〇四)から、松尾氏が、小学生のころ目撃したドーリットル空襲の隊長機について回想しているところを紹介した。
その際、そこに誤記が含まれていることを指摘した。それは、次の部分である。
突然、東の保善商業、海城学園の方向の空から大きなエンジン音が聞こえ、双発で尾翼の両端がたてに立った見たこともない、巨大な飛行機が現われ、あっという間に西の新宿の方に消えていった。つまり私の目のななめ上を右から左に飛んでいった。
この下線部分「右から左に」は、「左から右に」でなければならない。なぜか。ドーリットル中佐が乗る隊長機は、日暮里方面から中野方面に向かって、東から西に飛んでいった。松尾少年は、その爆撃機の「進行方向右側にすわっていた白人の乗組員の顔」を見たという。ということは、爆撃機は、松尾少年がいた戸山戸山国民学校よりも、南側を通ったことになる。であれば、松尾少年の目から見た場合、「左から右に飛んでいった」としないと、理窟に合わない。
念のため、マービン・ルロイ監督の『東京上空三十秒』(MGM、一九四四)のDVDを観てみた。この映画は、ドーリットル空襲の一部始終を、「戦争中」に再現した映画である。空母ホーネットから、一番機(隊長機)が発進する場面も、細かく描写されている。B25の正操縦士席は左側で、左側に名優スペンサー・トレーシーが演じるドーリットル正操縦士、右側にコール副操縦士が座っている。
作家の吉村昭もまた、このドーリットル隊長機を目撃しているという。「歴史探偵」の半藤一利〈ハンドウ・カズトシ〉氏の調査によれば、隊長機は、吉村少年の自宅(日暮里)の「南側」を通過していった。この点は、国会図書館に赴き、月刊『文藝春秋』二〇〇二年五月号に載った半藤氏の記事を閲覧して確認した。記事には、ドーリットル隊長機の航跡を示す小さい地図も付されていた。たしかに、隊長機は、吉村昭の自宅の南側を通過している。
吉村昭は、「二人の飛行士は、オレンジ色のマフラーを首にまいていた」と回想しているらしい。しかし、実際に見えたのは、手前の副操縦士リチャード・コール中尉「ひとり」だった可能性が高い。ちなみに、映画『東京上空三十秒』では、ドーリットル正操縦士、コール副操縦士とも、マフラーは着けていない。
半藤氏の記事にあった図から、松尾少年のいた戸山国民学校の位置を読みとるのは難しい。しかし、この図では、隊長機は新宿駅付近を通過している。戸山国民学校の「南側」を通過していることは、ほぼ間違いないと判断した。
国会図書館では、『銃を持つ民主主義』の文庫版(小学館文庫、二〇〇八)も閲覧した。当該個所を見ると、何と「左から右に」となっているはないか(一〇ページ)。「右から左に」は、誤記だったのである。数年来の疑問が解消した瞬間であった。