礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

文部省、1917年に『独逸国民に告ぐ』を出版

2025-02-02 05:06:53 | コラムと名言
◎文部省、1917年に『独逸国民に告ぐ』を出版

 昨日の話の続きである。本日は、岩波文庫『改訂 ドイツ国民に告ぐ』(1940年3月改版)の「凡例」を読んでみたい。

    凡  例

 一、本輯は、一八〇七年の末より八年の初頭に亘りフィヒテがルリン学士院に於て、学者、教育者その他愛国の士を集めて行へる講演(ドイツ国民に告ぐ)Reden an die deutsche Nation を翻訳したものである。この講演は実にフィヒテの熱列なる愛国心とその勇気とを証明したもので、当時ベリンが仏軍の蹂躙するところとなり、フィヒテの講演は幾度か仏軍の太鼓の響に妨げられたりといふ。
 一、フィヒテはこの講演に於てドイツ国民が道徳の要素に於て欠くるところあるを摘発し、これ根柢より救済せんとした。即ちフィヒテは全欧洲の国民が挙つて〈コゾッテ〉道徳的に堕落の頂点に達せるを痛感し、当時の状態を批評して、最も完備せる罪悪の社会なりとし、極端なる利己主義流行の時代なりといつたのである。ここに於て、その国民を道徳的堕落より救済するには、国民教育を根柢より改良し、倫理的新時代を作らねばならぬと主張した。フィヒテによれば、この道徳的革新は世界的問題であると同時に、ドイツの民族的問題であつて、その目的とするところは、人類に鞏固〈キョウコ〉にして善良なる意志を養成するにある。故に教育は須く〈スベカラク〉具案的、方法的でなくてはならぬ。精神の純潔は思考の明晰を予想する。故に認識の明晰により純良なる意思を鍛錬することを得る。フィヒテはペスタロッチが児童教化の理想的方法に基礎を与へたことを称揚し、その主義を採り、これに自己の理想を加へ、以てこの論をなした。
 一、フィヒテが教育史上に於ける意義は、汎愛主義及び人文主義の曖昧なる理想を棄てて、強健なる人間の陶冶を説き、国民的教育の精神を鼓吹するにある。しかしてその主張がよく時勢を洞察し、国民の覚醒を促したるところは、今日のわが社会に対して参考となるべきもの多きを思ふ。
 一、本書は大正六年九月、「時局に関する教育資料」として、文部省普通学務局にて上梓したものを、今回文部省の好意ある許諾を得て、岩波文庫の一篇としたものである。謹んで同局に謝意を表する。
 一、訳者は六年前〔1922〕に長逝せられ、本年〔1928〕二月四日は丁度その七周忌にあたる。本書の翻訳は同氏以前に幾人もこれを試みられたが、難解苦渋何人もこれを判途に放擲〈ホウテキ〉した。大津氏を俟つて初めてこれを完成されたことを特記する。

  昭 和 三 年 二 月          〈3~4ページ〉

 岩波文庫『改訂 ドイツ国民に告ぐ』には、「解題」、「解説」と題されたものがなく、この「凡例」が、「解題」の役割を果たしている。
 凡例の第四項によれば、本書は、1917年(大正6)9月、「時局に関する教育資料」として、文部省普通学務局から上梓されているという。これは、耳よりな情報であった。
 そこで、国立国会図書館の検索システムで、「独逸国民に告ぐ 文部省普通学務局」と検索してみた。たしかに1件ヒットする。「時局に関する教育資料特別輯 第三輯」である。こちらの文献は、「インターネットで読める」となっている。
 1917年(大正6)に出た『独逸国民に告ぐ』がインターネットで読めるのに、1928年(昭和3)に出た岩波文庫『独逸国民に告ぐ』がインターネットで読めないのは、どういうわけなのか。ともかく、文部省普通学務局から上梓された『独逸国民に告ぐ』を読んでみよう。【この話、続く】

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