礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

松下大三郎のいう「利益態」は、国語特有の語法

2022-11-26 03:13:11 | コラムと名言

◎松下大三郎のいう「利益態」は、国語特有の語法

 松尾捨治郎著『国語論叢』(井田書店、一九四三)から、「第三 外国人に教へる基本文型」を紹介している。本日は、その五回目。文中の傍線、一字アキは原文のまま。

    八 やる型 もらふ型 等

  1/2 > 甲が乙に本を読んでやる。 <  君が僕に本を読んでくれる
                      甲が乙に本をよんでもらふ
  3 甲が乙に本を読んで上げる。               甲が乙に本を読んで下さる
  4 甲が乙に本を読んでさし上げる。         甲が乙に本を読んでいたゞく(頂戴する)
 此等は松下大三郎博士の所謂利益態であつて、我が国語特有の語法中著しい者の一つである。上段は何れも其の動作の影響を授与する意、下段は何れも其の動作の影響を受得する意であつて、同博士の説の如く、我が国民が思ひやりの深い所から生じた言語現象といへる。更に言へば、われ人〈ワレヒト〉の一挙一動は、必ず其の利害を他に及す者であるといふ、国民一体の思想から生じたのである。但し、
  殺してくれ。  あれを殴つてやる。  少々いぢめてあげる
の如く影響が害となることもあるが、松下博士に従へば、此は害を利と見たのである。さて1の下段 くれる だけは標準語としては、其の主語が二人称又は三人称で、客語は一人称に限る。「おれがお前をなぐつてくれる」の如きは、方言である。此の外   を以て表した 主語 客語 には人称的制限が無い。然るに松下博士が上段のやうな者を自行他利(自分の行〈オコナイ〉が他の利となる)、下段のやうな者を他行自利(他人の行が自分の利となる)と説いて居るのは、千慮の一失で、賛成出来ない。此は主行客利(主語の行が自分の利となる)客行主利(客語の行が主語の利となる)とも云ふべき者である。主客といふべきを、自他と説く混乱は、遠く「一歩」や宣長の説からであるが、今日なほ其の流弊が残つてゐるのは嘆はしい。国語各般の事象は、出来るだけ、之を文句の成分に関連させて説明すべき者であるといふのが、筆者多年の信念である。(以上昭和一六・一・一三)〈三八~四〇ページ〉【以下、次回】

 松下大三郎(まつした・だいざぶろう、一八七八~一九三五)は、文法学者、文学博士。「松下文法」と呼ばれる日本語文法理論を打ち立てた。

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