分かれた道

2022-07-02 11:17:02 | 学習塾・勉強の仕方
もう10年以上も前のことですが、藤沢の教室に通って来てくれていた子達の中に、どちらかと言えば不良の部類の集団がありました。

「君ら、何しに塾に来てるの?」というくらい、その態度は悪く、そんなでしたから、頭の出来云々を判断する以前に、そもそも「勉強しないから点を取れないんだよ。それは、やっているけど出来ないというのとは違う、とても勿体無いし時間や費用面で大きなムダでもあるんだよ」というレペルの話ばかりしていた覚えがあります。

こういう子は、なかなかそうした言葉を受け入れられず、頼みの綱というか、その時点での幽かな希望は、保護者の冷静な判断力と忍耐力、これに尽きます。それすらもないなら、あとは脱落しかありません。

この子たちの集団の保護者は半々に分かれました。一方は「(勉強を)しないのは子供の責任。そんな子にお金なんかかけられない」と言って(←聞きようによっては極めて無責任な響きを感じます)退会していきました。

もう一方の組はこれとは対照的に、決して諦めない人達で、それからも数え切れない位何度も何度も面談をしたりあの手この手の搦め手で子供を囲い込んで行った結果(本当はそんな表現の仕方では到底言い尽くせない苦労もありましたが)、結果のみを見る限り、全員が公私立の高校に進学して、一部はその後大学迄進んで、今は聞いて驚くような立派な仕事をする社会人(何人かは元気な子供もいる)として地元、或いは東京でバリバリ働いています。  

先日、この中の一人の子と町で偶然会いました。ホンの数分立ち話で、あの時の彼とは別の脱落組のその後の消息に話題が及んだ時、職業に貴賤はないという原則論を持ち出す以前に、そもそも定職に就いていないとか、悪さをしでかして今は行方知らず等という、そんなことを言葉少なに語る彼の寂しさというか、ある種の惻隠の情をすら感じました。私は別れ際、「君のお母さんお父さんはその後も元気?宜しく伝えてね」と言い、彼はニコッと笑って静かに「はい、有難うございます」と言いました。
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