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早いものでもうすぐ後期中間テストの季節。
今月下旬からこれに向けた対策講座を開講します。
前回テストでは理科で満点、その他の科目でも各自高得点が続きました。
前回波に乗りそこねた人も次のテストでは絶対挽回しようね!!
どちらかというと算数が苦手、というか、そもそも好きではない小学生の子を相手に、昨日理科の授業で、多少の計算が混じった単元を勉強しました。
それは、経度の違いから太陽の南中時刻を計算で出す問題と、同じくく南中時刻を出す問題で、こちらの方は日の出と日の入りの時刻を基に計算するものでした。
案の定、生徒は授業開始のところから強い拒否反応を示しましたが、やっているうちにあるポイントがヒットしたらしく(←それが何のポイントなのかが授業をしていた私自身よくわからなかったのですが)、そこから一気に本気モードに突入して、計算とそこから得られた答えは納得してくれましたが、与えられる条件をいろいろ変えては、今習ったばかりのやり方で南中時刻を割り出して、自分の中での納得度を確かめていました。
子供って、本当に何がきっかけでこのように興味関心を発揮しだすかわかりません。
やっていた私自身も改めてそれを体感した次第です。
昨日の夜、雨が降る中教室にやってきた私立中生が「明日は学校が休みになったので、友達と遊びに行く約束をしたんだ♪」などといっていました。
彼より前に来た公立中の女の子も「明日は部活が休みになったから友達と遊びに行くの」なんて言っていました。
子供は怖いもの知らずというか、自分だけは危険な目には遭わないと勝手に思い込んでいるところがあって、私は「台風なんだからやめておきなさい」と言っても馬耳東風。
でもやっぱり、今日は外出しない方がいいと思うんですよね。
教室の方は、やはり休みにして、今日の分は後日振替実施することにしました。
海に近い我が家は、庭の木々が風に大きく揺られていますが、風はこれからが本番とのことで、こう毎週のように台風がやってくると、これも異常気象の表れなのかと。
地球はこれからどうなっていくのでしょうか?
トランプみたいな粗野で乱暴な人間が主導する4ないし8年間に進展しない、或いはもしかしたら逆行する「環境に対する諸施策は(←そんなものがあったとしたら、ですが)」、この人間が退場した後の地球にどういう悪影響を及ぼすのだろかと、今も激しく降る雨を眺めて暗澹たる気持ちになります。
また週末に台風がやってくるそうです。
当日の授業実施について保護者の方から問い合わせがきていますが、それへの回答として、土曜日の昼ころの判断でその日の夕方以降の授業の開催有無をメール配信します。
これまでの何度かの台風で、大事を取って授業を休みにした時に限ってその台風がよそへ逸れたりしたことがありましたので、今回は今の段階で予報を鵜呑みにはしないことといたしました。
今日は、3年前に卒業退会して、今は市内の県立高校に通っている子が進路相談のためにやってきました。
相談の中身は多岐にわたり、誠心誠意応対したのと併せ、進路先に提出する書類~自己PR諸など~の作成アドバイスも行いました。この間全部でおよそ3時間。
通う学校での相談では足りず、このようにして教室にやってくる子が毎年何人かいます。
勿論全力で応対しています。
それと、「風が吹く」先がどこなのかをしっかり見極めることも、当たり前すぎるほど当たり前に大切です。
この場合の「先」というのは、たとえばこんな感じです。
定期テストがあって、今日のそれが数学で、明日は英語と国語だったとします。
そのとき、今日やるべき勉強はよほどの何かの事情でもない限り、「とりあえず数学はない」ですよね。
もしも英語と国語はもう自信満々で、間違いなく100点を取れると思っていても、それでも今日やるべきは国語と英語の勉強です。
今日吹いている風の先にあるのがこれです。
当たり前のことですが、稀に、これすら指示しないとしない、できない子がいたりします。
それはそれで実直で真面目といえないこともないですが、でも現実の話、この日の風は次の試験科目の英語と国語に向かって吹いている筈で、これが今やるべきことです。
こういう例は沢山ありますよ。
風と勉強については、もうひとつ重要なことがあります。
それは、風を受けている側の姿勢の問題です。
ご承知のとおり、風はいつも順風ということはありません。
一時順風に見えても、実は刻々と風の向きや強さは変わります。
これに対して、自分がそれまで予測していたのとは違う風であったり、あるいはある時点で予測から反れた時に右往左往したり、そこまでやってきたことを投げ出してしまったのでは、結局はじめから何もしていなかったこととほとんど同じです。
車の中から眺めた逗子の海のウィンドサーフィン。
あの日は風が強く、どの帆もまるでエンジンが付いてでもいるかのように速いスピードで海面を滑るように進んでいましたが、それでもよく観察していると、巧みなサーファーは、何度も体勢や方向をコントロールしてその動きを長く持続していました。
勉強にも同じことが言えると思います。
ちょっとやって、すぐに結果が伴わなかったら、もうやめてしまう。
そんなことをいくら繰り返しても、そこに進歩なんかありません。
残念なことに、これまで出会った生徒たちの中には、少数ではあっても、そういう行動傾向の子がいましたが、風を読む努力もしないで行き当たりばったりで進もうと思っても、仮に一瞬順風を受けて進んだかに見えることがあったにせよ、それが長く続くことなど決してありはしません。
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前回、勉強は風に乗って、ということを書きました。
どういうことかといいますと、吹く風の方向に何があるのかを見極めながら(ながら、というのは、事情や状況は刻々と変化していくからです)することが勉強の場合には効率的でり、重要だということです。
仮に風が吹く先に何も見えていないとしたら、そもそもこれをやる本人の中でモチベーションが沸き起こりませんし、維持もできません。
また、せっかくやっても、全くピントのずれたもので終わってしまうこともあります。
勉強それ自体には、効率もピンともありはしないという議論もあります。
これは、勉強ということには、これに短兵急に結果や効果を求めるべきではなく、長い時間の中で一つずつ着実に積み上げていくものだという考え方で、基本的には私もこれに賛成です。
でも、勉強に限りませんが、私たちが何かをする際には、殆どすべての場合、そこにはなにがしかの目的や目論見があります。
遊びでも趣味でも、仕事でも家事でも、何に対しても、です。
ですから、ここでいうのは、勉強するという行動の当面の目的をどこに置くかということに関して、これを明確にした上で行うことの効率についてないがしろにすることとは、上に書いたことは必ずしも一致しません。
風、と書いたのは、これらの目的の方向がまさに今行うことの先を示しているのだという比喩です。
昨日は三浦半島南端の町まで出張だったが、これに限らず、どこかに出かけた際は、クルマで移動するときの景色の中に学習塾や予備校の建物や看板に目が行きます。
山梨や静岡などが多いのですが、それぞれの町によく溶け込んだ、或いは根付いた感じのするところが少なくなく、見ず知らずの同業者に心の中で自然にエールを送っていたりします。
翻って我が教室も、近々看板を大きく変更しようと思います。
今のも当時(15年くらい前)に結構念入りにデザインの構想を練った上で架けたものなのですが(写真は夏期講習の前に撮影したもの)。
今日、教室に行く途中、車で横を通りかかった際、見ると三ツ境小学校の校庭で運動会らしき賑わいがありました。
学校は勉強が本文ですが、それだけでは勿論無く、体育で心身を鍛えたりもする中で全人的な教育をすることで将来の社会生活を正しく送れる人間をつくることにあるのでしょう。
運動会はいつ見ても楽しく、こちらも元気をもらえる気がして、自分もかつてはああして一生懸命走ったり跳んだりしていたんだなあ、と思います。
今日は天気もよく、きっと子供たちも気持ちよく体を動かしていたんだろうなあと。
それにしても、校庭が広いのか、少子化の影響なのか、会場のあちこちに隙間が沢山見えたのが少し残念ではありました。
良いところは素直のマネをするということは、何につけても上達するための一つのコツです。
前回のテストで理科の満点他、すべての科目において一際優れた点を取ってみせた子がいます。
才能という意味で、やはり抜きんでたものがあって(←そのように感じられます)、それに加えて平均を遥かに超えた自助努力の励行と蓄積とがこれまた備わっていますので、学校の定期テストレベルでなら、今のやり方を続けるならこれからも高得点を叩き出し続けてくれるでしょう。
普通、一度高得点を取れても、これを続けることはなかなか難しいものですが、そんな心配も多分無用でしょう。
で、私の立場としては、この子には最大限の称賛をし、次に他の生徒にこの成功をどう伝播させていくかということです。
目下これについて脳みそが汗をかくくらい頭をひねっています。