腰痛は他人の目には全くその痛みが理解できないらしく、苦悶の表情でとぼとぼと道の端を歩く私の姿を憐れむようなさげすむような目で見ます。これが結構情けない。
でも昨日医師が処方してくれた薬を飲んだら多少これが緩和されて、今日は少し楽になりました。このまま明日になれば、また平常通り仕事に行かれます。
昨日医師に「大事なことは、今後如何に症状が悪化しないですむように日常生活の習慣を変える努力をすることです。具体的に腰痛の原因となるような要素を取り除くか、或いは軽減すること。また痛くなったら(病院に)来ます、というのではなく、如何に痛くならないようにするか、ということです」と言われました。
これって、普段私が子どもたちに言うこととかわらないじゃないですか(苦笑)。
続きです。
本気で自分の自分の子に勉強させたいと思うなら、勉強ができるようにさせたいのなら、そして現状それがうまく行っていないなら、ここはやり方を変えてみることです。
やり方を変えるのには様々なやり方がありますが、その一つは、今これが出来ている人の例を真似てみることです。
少し注意深く観察してみれば、うまくこれが出来ている人は自分と何が異なっているか、割とすぐに分かるはずです。わからあなければおかしいです。
うまく出来ている人とその子供の関係においては、遺伝的な素質や形質の連鎖を別にすれば、多くの部分で共通するものが見えてきます。ここではそれは書き上げません。ご自分で気づくことが大切です。
私は以前もここで書いたことがありますが、勉強(の仕方)を教師や塾などの専門家が教えることのそれ自体はこの際重要なことでは必ずしもありません。ここに至るまでよく勉強してきた者がその途上にある子供にこれを教えること自体にそれほどの困難があるわけはありません。あるのは、その子の周囲の環境の問題と、それがその子に及ぼしている影響の問題であって、それを修正したり矯正したりすること、つまりは環境整備をすることによってそれ以後の展開をプラスに持っていくことが重要なわけで、これこそが今からやるべき最重要ポイントです。
毎日毎日闇雲に「勉強しろ勉強しろ」と苛ついた怒声を浴びせたり、「俺が子供のときはやっていた」などと、言われた方からすれば「はいはいわかりましたよ」というしかないようなご立派な経験談を何度も繰り返すような指導は、子供がもう中学生になった頃にはもはや通用しないことを悟りましょう。
前回「出来る親⇒出来る子」、「出来ない親⇒出来ない子」の連鎖の構図について書きました。おそらくは多くの人がこれについては大した根拠もなく漠然と同じように感じてもいるのではないかと思います。
高学歴の親の子は高学歴になりがちですし、その反対も漠然とではあってもやはりあるようだということは色々なところで言われてもいます。高学歴の人の多くが高い所得水準であって、子供を高学歴にするんはそのことが非常に重要な要素であるということも言われています。
高学歴や所得水準の高さに人間としての根源的な価値があるのかどうかということは横に置いて、こうした傾向からは、子供に高いものを要求するには、まずその親自身が高い立ち位置に立っていることが大切だということがわかります。
私の立場で思うことに、このことが二の次にされているというか、そもそも最初から歯牙にも書けていない人が少なくないことの危惧があります。
そういう人はそういう人なりの考えがあってそうしているのかもしれませんが、子供に高いものを求めるに当たって的外れなこともそこには多々あったりします。ここはまず無条件に「出来る親」ならこの場合何をどうするかを考えて事に当たるのも必要ではないかと思います。
冬期講習が近づいています。
冬期講習は期間が短いため、例えば夏期講習などに比べてやることがギュッとコンパクトになると同時に、教える(覚える)内容も途中経過を極力省いたものにして、しかし身に着ける内容は盛りだくさんという欲張りな形になります。
言い方を換えれば、得点に直結するポイントを速射砲の如く繰り出して、それらを強制的に頭に入れてテストで即応できるようにするという、どちらかと言えば応用力というよりもポイントを押さえた暗記力の部分を強化したものが講習内容の中心を占めます。これで得点力を飛躍させます。
科目で言えば、社会や理科がこれに当たります。
勿論他の科目もこれを応用して基礎力を高め、得点力を確保することが出来ることは言うまでもありません。