思い出のブランコ

2024-05-31 17:05:40 | 学習塾・勉強の仕方
用事で中区に行った際、ふと思い立って小中学生の頃住んでいた石川町五丁目界隈をほんの短い時間でしたが散策しました。

子供の頃はそこそこの広さを感じさせてくれた公園(牛坂下公園)が「え?こんなに狭かったの?」というくらいに狭く感じましたが、まだ幼児だった頃、動いている滑り台にノコノコ近づいて、そのブランコにアゴを強打して大泣きしながらたまたまその公園にいた母親に飛び付いたそのブランコがまだありました。  








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井上成美大将宅跡

2024-05-26 16:11:27 | 学習塾・勉強の仕方
この前、多分ここが旧海軍大将井上成美さん宅跡、などと書いた記事を訂正します。

どこか気になったので、あのあと再びかの地を訪れてみました。  

結果、前回書いた内容は白紙とし、ここが正真正銘旧井上大将宅跡というところを確認しました。横須賀にソレイユの丘という公園があり、今回はそこを起点にかの地を探しました。前回は勧名寺というお寺を起点に探しましたが、その際、本の中にあった、お寺の前の細い坂道を昇る、という記述が誤りのもとでした。

旧井上大将宅は農道を進んだ突き当たりの丘の上にあって、そこからはすぐ目の前に海の景色が広がります。潮の風と丘の上に広がる農地の風がさわさわと心地よく、ウグイスが沢山歌っていました。

大将はもう50年前にお亡くなりになっていますが、でも確かにここにおられたのだと思うと感無量でした。














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もうすぐ夏期講習の季節

2024-05-26 09:40:57 | 学習塾・勉強の仕方
思うに、殆んどの科目において、インスタント的に勉強したくらいで劇的且つ継続的に理解力が上向くいうことはまず望めないのではないでしょうか。

目さきの試験でそこそこの結果を出すというくらいなら別ですが。

ですが、ある期間、例えば夏休みの40日間脇目もふらずに頑張れば、秋以降の学力向上のための小さなきっかけくらいは掴めます。

正直なところ、これだけであれもこれもと成功の果実を要求するのなら、ここでは安直にそれをお引き受けは出来ません。

ここは虚心坦懐に、真摯な気持ちで40日間の集中トレーニングをしてみませんか?
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高校生たちの意見

2024-05-25 08:16:31 | 学習塾・勉強の仕方
私は岸田という当代きっての無策無能白々しい薄っぺら底の浅いバカ丸出しピントずれまくり気持ち悪い反吐みたいなグズ野郎は1日も早く死ねばいいのにと思います、とは昨日行った小田原港に同じ時間帯に来ていた地元とみられる高校の生徒たちの会話から漏れ聞こえてきた、彼らなりのしっかりとした観察眼とそこからくるごもっともな正論の一端です。
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井上大将を偲ぶ

2024-05-15 22:35:32 | 学習塾・勉強の仕方
一週間かけて井上成美さんを描いた分厚い本を一冊読み終えました。

日本海軍最後の大将だった非常に優れた人格者です。お名前は以前から知っていましたが、本などで詳しく知ることはなく、先日ブックオフで見かけたのですぐに購入して、以後毎日少しずつ読んでいました。

氏は横須賀の長井というところ、お寺の前の坂道を登ったところに住んでおられ、そこでお亡くなりになりました。もう何十年も前のことです。住んでおられた家は地元の人に惜しまれる中解体され、今では別の人が家を建てて住んでいるそうです。

今日、三浦に出かける途中に立ち寄ってみました。
坂道の登り口のお寺は歓名寺(多分字は違うと思います)といい、今もあります。

坂道も登ってみました。登りきったところにまだそれほど古くない家が建っていて、その家の脇の向こうに井上大将も眺めたに違いない海が見えました。







(↑多分ここ)
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教える側の工夫

2024-05-15 09:29:20 | 学習塾・勉強の仕方
昨日、「勉強の仕方」「選択すべき策のあれこれ」について書きました。

読み返してみると、いずれも勉強する側~子供たちの立場に立っての考え方に過ぎた感なきにしもあらずでした。

これと反対の立場、つまり教える側のアプローチにも様々策があって然るべきです。

解説を中心にしたもの、その割合を微妙に変化させたもの、設問処理の仕方に特化したもの、基礎力養成に重点を置いたもの、そうではなく目先の得点力確保とアップにのみ力点を置いたもの等々、これらは教える側が工夫をこらすべきものです。

私自身は英語国語社会全般、それに化学を除いた理科が専門ですので、上に書いた解説の仕方有り方については自分でいうのもなんですが、引出しは豊富です。
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策を選ぶ

2024-05-14 22:01:52 | 学習塾・勉強の仕方
言わずもがなではありますが、一言。
勉強の仕方には幾つか有用な各種策があります。

科目別、学年別、時期別、各自の性格別などの違いによって、それらをどう組み立てて臨むかで多くの場合、結果が違って来ます。

もうまもなく、来月には今年度初の学内定期テストがありますよね。

それに成功をおさめるにはどういう策を用いるのが良いか、何が最も効果的かをよく考えて、必要に応じてプロの意見や助言を聞いて臨みましょう。
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日暮里へ

2024-05-14 09:00:34 | 学習塾・勉強の仕方
昨日、激しい風雨の中を東京の日暮里に行って来ました。目的はそこにある大きな検診センターで健康診断を受けるため。

日暮里には過去一度だけ行ったことがあります。大手町の損保につとめていた頃、営業活動をしていたある日の午後にふと思い立ってふらっと行ってみました。あの時は駅のすぐ横の谷中墓地を散策しただけで、町らしいものは見なかったのですが、昨日はちょっとだけ町を見てみました。といっても駅の近辺だけでしたが。
  
日暮里は何年か前に亡くなった吉村昭さんの生家のあった町。氏の本の中にも、年月の経過と共に町の様子が全く変わってしまったと書いてあったのを覚えています。その吉村昭さんが書いた「彰義隊」の記述に、戦いに破れた輪王寺宮が上野の寛永寺から日暮里の村をおちのびて行く様子が描かれていますが、その頃は農村そのものの風景が、今は色んな形の商業ビルか至るところぎっしりと建ち並ぶどこか窮屈な感じの否めない典型的な東京の駅前風景でした。同じく東京の大森駅の前に広がる町に似ている気がしました。 

行きは鎌倉から江ノ電で藤沢に出て、そこから小田急で新宿に出、山手線外回りで日暮里へ、帰りは山手線で東京駅に出て東海道線に乗り換えて藤沢まで。久しぶりの東京でした。
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飛鳥寺、得難い時間

2024-05-12 15:23:32 | 学習塾・勉強の仕方
4月の終わりに京都に桜を見に行った際、奈良県橿原神宮前まで足を伸ばして駅から徒歩一時間の飛鳥寺に行き、そこで濃密な一日の午後を過ごしました。







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ただの暗記?ご冗談を。

2024-05-12 10:09:42 | 学習塾・勉強の仕方
中学社会(地理歴史)の勉強の仕方について、「ただ暗記するだけでしょ」などと大きなお門違いというか、ゲスな言い方をすれば「あんたの子はその『ただの暗記』が出来ないんだろ!」と言いたくなるような舐めた言い方をする人がいます。  

敢えて言いますが、本心からそう思っているなら塾なんか来させずひたすら自分の家で練習にこれ努めさせてろと。

学習塾であるなら一定のやり方で子供たちにものの覚え方を伝授するのは当たり前ですが、でもそれは機械的にスイッチを押して3分待てば出来上がり、なんていうような安直なものではありません。

暗記というならそれでも構いませんが、そうして頭に格納した正確な情報を基に、実際にはグラフや表を正しく読み込んで、例えば過去から現在に至るモノの生産高の推移を読み取り計算して白地図上の正しいところに指示条件に沿って書き込んだり、そうした推移を辿ることになった原因を正しい日本語で著したり、或いは今後の推移を予測して、そこで生じるであろう問題点を書き出して、尚且つそれらの改善策を論じさせたりといった、かなり高度で複雑な対応の仕方が要求されもします。

暗記は必要です。しかしそれで総てが済むものでは決してなく、それらはいわば最低限必要なことに過ぎません。  

それすら他人に丸投げして、挙句に「ただの暗記でしょ」などと「それって罵倒?」と思うような言い放ちはさてさてどんなものでしょうか?
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英語の力

2024-05-11 18:05:30 | 学習塾・勉強の仕方
日常会話程度なら、私は英語を話せます。特定の目的に沿った内容でなら、少々難解な会話も可能です。 

以前、仕事の必要でしばらくそういう環境下にいたときに、一気に会話力が増したように思います。何かの本で、英語の場合、ある時期から急に上のレベルに上がった感覚が生じることがよくあると書いてあったのを読んだことがあります。そんな感じです。

中学の英語の授業やテストで求められるのはまだまだこうした会話力ではない文法上の知識ですので、その点少し趣が違いますが、でも私の場合、中学の時に習い覚えた知識が今も十分役に立っていることを思うと、勉強の仕方ということにおいて、これはこれで大切なプロセスなんだなと思います。
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母と教師たちの思い出

2024-05-11 09:20:55 | 学習塾・勉強の仕方
これは極めて個人的な思い込みの可能性大ですが、小中学生の科目の好き嫌い、或いは相性は、第一に就学前からの保護者の子供に対する接し方、もっと言えば指導の仕方とその中身、次に低学年時の学校の教師、特に担任の同じく接し方と指導のありかたによるところが大きい。
  
私は非常にワガママな性格の子供で、小一から高校生に至るまで常に教師たちからそのような評価を受けてきましたが、全員ではなかったものの、多くの教師たちがプロ意識に徹した素晴らしい人格者だったので、彼らの巧みな指導によって、こと勉強の取り組み方に関しては、そうしたマイナスの要素を比較的うまく封印することが出来て、多くの科目でまずまず及第という線を維持することができました(勉強面以外、例えば生活態度などはからきしでしたが)。

そして、この性格的にハチャメチャなだった私の就学前以降の個性をカタチ作るのに大いに影響した両親も、やはり勉強面についてだけは今思い返しても比較的的を射た指導をしてくれたとは思います。

特にスペース面における配慮と整備にそれを思います。私の子供時代は家が経済的に苦しい時で家が小さく狭かったので、それもあって私はもっぱら外遊びに精を出していたのですが、母親は色々と工夫を凝らして一日の中の一定の時間、一定の空間を勉強に集中できるように図ってくれることを忘れず、おかげで私はその間だけはいつも安心して本を読んだり文を書いたり計算したり学校の宿題をしたり出来ました。母親は私同様大変にワガママで気分屋の、まことに扱いにくい人でしたが、彼女は彼女なりにそのとき時に精一杯出来ることをしようと努力してくれていたのが、子供の時は分かりませんが、その母が亡くなった後になって少しずつあれもこれもと思い出します。  

ワガママついでに付け加えさせてもらえば、そうしたことの上に、更に科目の好き嫌いの平準化にも一工夫加えてくれていたら(←好き勝手なことを言っているのは承知)、きっともう少し数学も出来るようになっただろうなと。



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なんじゃこりゃあ!

2024-05-10 21:01:52 | 学習塾・勉強の仕方

最後までわかりませんねえ

何が何でもここで点ですねえ

 

TVKでベイスターズ戦を見ています。

上のようなコメント、プロのコメンテーターとして恥ずかしくないのでしょうか。

 

最後までわかりませんねえ→当たり前じゃないか!

何が何でもここで点ですねえ→おいおい、何も起こらずあっけなく三者凡退ですぜ。

 

こういうバカ丸出しのゴタクが私は大嫌いです。

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勉強時の「カタチから入る」

2024-05-06 13:28:14 | 学習塾・勉強の仕方
昨日の続き。  

で、話は転じ、子供たちが勉強しないと言って嘆いて見せるお母さん、怒って見せるお父さんがたまにいますが、正直な感想を言わせてもらえば、彼らの事情を聞くにつけ「子供が勉強しないのもある意味当たり前だわな」という思いもあります。   

例えば、まずもって、環境の面においてとてもとてもそんな状況とは言えないケースのいかに多いことか。

居住スペースの問題(部屋がないとか狭いとか)を言い立てる人もいますが、そんなものは理由になりません。努力と工夫でなんとでもなります。

思うに(自分自身のこどもじだいを思い出して)、子供の勉強意欲に繋がるような仕掛けやきっかけを親の方で提供或いは確保してあげる(しかもこれを常時継続的に)ことはとても意味のあることです。  

子供が宿題をやろうとしているそのそばで寝転びながらテレビのお笑い番組などで親がアホな笑い声をあげたり、できないなりに努力している(←本人はそう思っている)そのプライドなんか1ミリほどにも考えず「オレは昔出来ていた」なんてしょうもない、今さら確認もしょうのない駄法螺ばかり吹いて自ら子供のやる気を削いで「ちっとも勉強しない」などと嘆いて見せたり怒って見せても、そんなものは何の意味すらありません。

昨日「形から入る」と書きました。
子供に勉強させたいのら、最初に親がすべきは「そのための形をまずは整える」ことが絶体に大切です。
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形から入る

2024-05-05 20:16:26 | 学習塾・勉強の仕方
私(マスターK)は昔一時期保険会社に勤務していたことがあります。そこでは専ら法人財務営業の分野の仕事をしていましたが、仕事の面白さと裏腹に、上からの社風の押し付けにいつも息がつまりそうでした(私は基本あくまで自由主義者、別の言い方をすれば強度のワガママ)。

特に「我々は社会のエリートなんだ。それに相応しい外見を保て。大切なことは『形から』だ」と言われて、やれ夏のワイシャツの腕捲りはみっともないからダメだ、ネクタイをぶらぶらさせてはいかん、いつもしっかりピンで固定しろ、スーツの色は紺かグレー、紐のない革靴は禁止。
そんなことを言われる度に「うるせえや」と反発ばかり。

今朝のJRの駅で、頭はモヒカンにチョンマゲ、耳に大きなリング、辺りを威圧するような目付きの、いかにも「私はこらんの通りのバカです」といったふぜいの20代風男がいました。
そいつが、到着した電車のドアが開くやいなや、わ~い、すわろすわろと、見ようによってはあたふたどたばたと席の確保に走って、そして一ヶ所に空きを見つけて腰をおろすや「どーだすごいだろ」といったいかにもなドヤ顔。モヒカンにチョンマゲ、耳にリングのサルみたいな風体とこの行動様式とが、「形から入る」のバカバージョンの典型なのかも、と、昔の言葉を変形して思いだした瞬間でした。
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