昨日今日は月の第五週の曜日につき教室は休みです。そこで、ここ数日調子の悪かった身体を見てもらいに湘南記念病院に行ったところ、タカをくくっていた事を一刀両断にするかのようにCT、レントゲン、心電図までとられ、そのうち心電図の波形には異常が見られたのを受けて、今日さらに湘南鎌倉病院で精密検査となりました。肝機能が低下しているとかいって、2時間の点滴までされて、病院なんかこなきゃよかったと。点滴中に眠ってしまい、夢の中で祇園祭に行っていました。
出勤途上、駐車場に向かう道の塀に「決断と実行」と大書された横になんとも緊張感の無さそうな岸田のぼやっとした顔。
まともなことはなにも決断しないし、だからこれといって国民の役に立つような行動も出来る筈がない男。
そもそも昨年の総裁選の時、自分の長所は人の話をよく聞けることとか、お前は小学生かと言いたくなるような事を抜かしていた男だもんな。
で、その時言っていた新しい資本主義とやらも、1年たって今見えているのは先の見えない
円安物価高。これに加えて、これからは貯蓄から投資に、だって。
個人的にほ、あの菅直人が歴史上もっとも無能な総理であったという考えに変わりはないが、この岸田も、鳩山や麻生、チンパン福田と並んで堂々無能第二位に位置していると最近思う。
夜、仕事から帰ってまた同じ決断と実行ポスターを見る度に言いようのない虚しさを変わらず与えてくれる総理大臣である。
昨日、都立高校入試断念を巡るある受験生家族の苦渋の決断と、その理由であるベネッセの情報管理の杜撰さ、過去にあった情報漏れと、その事によるかずかずの不快な出来事についての記事を読みました。
ベネッセに対する固定観念は持っていませんが、過去にあったという実際の事件と、それが原因でその後その家族が被ったという出来事は「なるほど」とは思いました。
気の毒なのは、実力以外のところで受験戦線から離脱しなければならなくなったこと。かかれていたことがが事実であって、のべつまくなし勧誘やらセールスのアプローチ攻撃にさらされていたとしても「関係ないね」という姿勢で徹底無視出来る人とそうでない人とがいるのですね。
私も15年くらい前、たいした知り合いでもなかったとある元学習塾経営者に自分の当時の体調不良を一言口走っただけで、その男からそれが漏れ伝わった或る健康食品業者から連日の売り込み攻勢をかけられて閉口したことがあります。元経営者には強硬な文句と警告を行って、まもなく売り込みも止まりましたが、これで学んだことは、いい年をした大人が事の良し悪しも考えずに平気で他人との会話から得た情報をまた別の他人に売ったり垂れ流したりするんだということと、その結果浴びせられる売り込みもそうですが、そこで知らされる「見ず知らずの他人が平気で口にする自分の個人情報」の薄気味悪さでした。
ですから、今回の受験戦線を離脱されるというご一家の気持ちの一端が分かる気もします。
以前何かの本で読んだことがあります。 プロになり立ての ボクサーは、1ラウンド3分 という時間の区切りを体に覚えさせるために、 普段の生活でも3分ごとにアラームが なるように セットしているのだそうです(全員がやっているわけではないでしょうが)。
藤原正彦さんの本を読むと、そこにプロの数学者の日常がよく描かれているのに気がつきます。プロの数学者は年中数学のことばかり考えているのだそうです。本当に年中です。 一分一秒も怠りなく数学のことだけを考えているのだそうです。
プロとしてはまあこういう言い方も 必要なのだと思います。 個人的にはそれをあまりあからさまに言ってほしくないなと思います。黙ってやれと。
昨日テレビを見ていたら 北アルプスの三俣山荘の小屋番のことを やっていました。山がきれいだし小屋も素敵だし、 良い内容だと思いますが 、小屋番の 人達がカタることカタること。山の景色は魅力的ですが、あんたの人生観なんてどうでもいいんだよ、と。見ていて興ざめでした。
NHK ではよく百名山などやりますが、私が好きなのは ナレーション抜きの音楽だけのやつ。 ナレーションがあって、例えば女性の声で「うわー」とか 「かっわいい~」とか言われると即チャンネルを変えます。
撮りためていた番組の中で 司馬遼太郎が三浦半島を周遊した時のことを 特集したものがありました。 番組の案内が岡田准一。 軍師官兵衛ですね。 うまい 俳優だなと 思いますが この番組の 彼はいけません。やたらと語尾上げ語尾伸ばし、ら抜き言葉の連発に がっかりでした。 黙っていれば賢そうなのになあと。
男は黙って仕事をする。 これですね、やっぱり。
私は嫌いですがワタミの社長は 社員に向かって 1日24時間 1年365日仕事のことだけを考えろ と言うのだそうです。 彼の立場でそれを言えばこれはもう明らかな労働基準法違反であり、それをさせる企業はブラックということになるのでしょうが、言わんとすることはわからないでもありません。
四の五の言わんと黙って己のやるべき事に専念しろと。
定期テスト対策をした結果、本番でどのくらい点数をゲットできるかというこですが、 私たちの目指すものはあくまで満点です。
とはいえ、実際には今の生徒さんの学力学習能力、今の学習到達度、自宅での勉強の習慣の有無、その濃さ等々によって 実際にゲットするものには差が生じます。でも当初目指すのはあくまで満点。ちなみに今15点から30点ぐらいの点数しか取れないお子さんであれば、 少なくとも結果として最低限50点ぐらいは目指しましょう。今50点台の子さんは やっぱり満点を目指しましょう。 満点を目指した結果、ちょっとしくじったと言って85点とか95点になれば、これは一般的な話であって、そんなに珍しいことではありません。 そのぐらいの勢いと中身の濃さでテスト対策を積み上げていきます。
久しぶりに爽やかな風が流れる鎌倉の町です。静かな日曜日です。やらなければいけない仕事が、絶え間無く襲って来る睡魔のせいでなかなかはかどりません。おまけにこの一週間ずっとしくしく痛む腹。両親ともに腹部のガンで他界した、その死の前の様子が思い出されます。いつも腹痛を訴えていた記憶があります。
この半年あまり、年初には予定していなかった出費が60万円程あり、昨夜はこれを思うと非常に不快でした。たった60万とも言えるし、60万も、とも言えます。むしろ後者です。今の私には少ない額ではなく、損保マン時代に株式の新規公開でこれを上回る額を容易く手にしていたり、反対に100万単位の評価損を計上しても大して心が動じなかった事がウソのような最近のつましい日々です。でもないか。
コツコツ真面目に地道に生きてこなかったと少しばかり反省し、連れ合いからは辛辣な言葉を常に投げつけられますが、私個人のことは話さないでも、子供たちには真面目に地道に生きていく事がとても大切なことであって、今勉強するのは、そのための準備であり、それ自体そのものの一部なんだよと伝えたいという思いです。今は分からなくても、いつかは彼らも芯からそう思う日が必ずやって来ます。
次回、後期中間テストが 11月 下旬に行われます。 前回の前期末テストは直前の夏休みを利用して長めのテスト対策を致しました。 前期中間に比べ前期末は 学習量も多く、難易度も上がっていましたが、テスト対策を積み上げた子たちはそうでなかった子達 (実際には テスト対策をしなかった子はほとんどいませんが)に比べ 、やはりテスト結果は明らかに良いものがあります。
次回のテスト対策は10月に入ってからすぐに開講いたします。 このテスト対策もいつもと同様在籍生中心ではありますが、 スポットで塾外生の方も受けていただくことができます。授業は勿論分け隔てなく行いますのでご安心下さい。 やれば必ず 効果は 伴ってきます。
でも これにはコツがあります。良い結果を出すためには一定のボリュームはどうしても必要になります。直前の三日間だけやれば大丈夫、などということはありえません。 早め早めに手を打つことが 何よりも大切な成功へのステップです。お問い合わせ、お申し込みは教室のサイトか、または直接お電話下さい。
もうこれは例年の事なのですが、ある一定数の保護者の方もその子供たちも、時間はいつまでも好きなだけ自分達を待っていてくれると勘違いしているように思います。
受験のための勉強ひとつとっても、今どき入試本番の一発試験で総てが決められるような単純な制度ではないのに、あたかもそうであるかのようなに言い張って「受験?まだ先の話でしょ」なんていって、今やるべき事に全く関心を持とうとしないという例は、実はそんなに珍しいことではありません。
そう思っていて、それは間違いだよと言われても頑なに自説に拘り続けるなら、それはもうどうしようもないことで、せめて後になって事実が分かった時に、その時誤った思いを改めなかった事、結果的に貴重な時間を有効に活用してこなかったことを他人のせいにしないでほしいなという、そんなレベルでしかありません。
時間は無限などでは決してなく、それどころか極めて短く、厳しささえも伴う有限であるというのは、どうにもならない現実です。
受験を例に書いていますが、今は高校受験も大学受験も、本番の一発が総てではないと書きました。それでも、その本番に重きをおくことの大切なことは重々承知の上で書きますが、本番までの残りの日数が減っていくに従って、受験生としてやれるべきことのボリュームも減っていきます。
量的なものが減っても、質的なものでこれを補って行けばよいという人も中にはいるでしょうが、才能や資質といった面でも有限である人間が、そんなに都合よく立ち回れる筈もありません。
今日、九時過ぎに教室を出た際、道の反対側でいつも頑張っているけいおう学院さんの電気が消えて真っ暗になっていました。クルマに乗っての帰途、立場交差点の手前の森塾さんも、休みではなかったものの、どこかしら閑散とした雰囲気、その先深谷交差点を左折した先にある明光さんもはやこの時間に既に真っ暗、原宿交差点手前の湘南学院さんも同じく真っ暗と、どうしたことでしょう、寒々とした雨の夜そのままに、今日の学習塾界隈は皆さん静寂の下で息を潜めていたかのようでした。
今年の夏、三年ぶりに行われた京都の祇園祭に行きました。何度行っても決して飽きることのない祭です。あのコンコンチキチの祭囃子を、それが行われている最中に聞くだけで身体中の血液がふつふつと沸騰するかのような興奮を覚えます。
中学の歴史の授業の中で、ほんのちょっと、この祇園祭に触れるところがありますが、子供たちのほぼ全員が、全くこれに興味を示しません。そこには祭の大きな写真も添えられているのですが、「それがなにか?」といった顔で、私もここで祭の意味やたのしさを力説しても仕方ないので通りいっぺんの説明だけして次に移るのを常としていますが、残念は残念です。
社会という科目にとどまらず、英語でも数学でも、子供達が興味や関心を持とうとしないものを教えるのは大変です。そこをうまくクリアできれば、その先はかなり平坦な理解の道が続いているのですが。
子供たちに勉強(の仕方)を教えていてうれしく感じるのは、その子が学校の授業でそれまでと違って先生の言うことが良く分かるようになったといって報告して来たり、もっと具体的にはテストの点が上がったり、成績評価が上がったりして子供自身が喜ぶ顔を見たときです。
私はよく「たかが勉強、されど勉強」と言いますが、子供たちにとっては、勉強することが即ち今の彼らの仕事です。この「仕事」の部分に「たかが」も「されど」も含まれています。上に書いた彼らの喜ぶ顔は、みなこの「されど」をしっかり完遂出来て初めて実現するものです。
というようなことを、私は以前勤めていた損害保険会社の研修で、当時副社長だった人の訓話の中で学びました。彼は常日頃からいろんなたとえ話や示唆に富んだ、仕事に活かせる話をしていて、私は大概これらを参考にして、ともすれば自堕落に陥りがちな会社生活を引き締めていました。彼は言いました。「たかが」で落として、「されど」でこれをリカバーすることに人間の進歩と価値があるのだと。
その時はぼんやりと話を聞いていたに過ぎなかったのが本当のところですが、さて、そんな私が今子供たちに向かってこれを言ったとき、はたして彼らの耳にこれがちゃんと届いているかどうか。
一月程前、急に思い立って箱根外輪山のひとつ、金時山に登りに行きました。足柄万葉公園の側から登り始めたのですが、頂上直下の辺りで鉄製の梯子が大きく崩れ落ちていました。台風などの影響でしょう。ここまで静かな山だなあと思っていましたが、そのわけはきっとこれだったのですね。
もっと前には、台風が来たのを見計らって丹沢にある烏尾山に登りました。途中の樹林帯は平気でしたが、それを抜けて尾根に出たとたん、今まで経験したことのないような大きな音と強風に身体ごと吹き飛ばされそうになり、少し腹這いになって進もうとはしましたが、それでも今にも身体ごと空中に巻き上げられそうでしたので、またすぐ樹林帯の中に逃げ込んでそのまま下山しました(泣)あのまま進んでいたら、「丹沢で遭難」なんていう情けない事になっていたでしょう。
この後少しして、また台風が来たので、この前のリベンジとばかり、今度は八ヶ岳の北横岳に挑みました。北横岳ヒュッテの小屋番のおじさんに「バカかお前は」と言って叱られました。
風が吹くと、ついそんなしょうもない事を思い出します(ーё一)
雨が降り始めました。
ここ鎌倉は静かな日曜の夜です。いつもなら歩いて2分の海岸から、禁止されているにも関わらずガキどもが面白がって打ち上げる花火の湿気た音や、今の時期にはまだ休みの度にどこかからやってくる珍走団のパラパラ音も、この雨のためか全く聞こえません。こんなときこそ花火を打ち上げたりアホ丸出しで走ってみんかい!この根性なしども‼️
とか悪態つきながら、雨の音を聞きつつ藤原先生の「ヒコベエ」を読み、時折頭を切り替えて、明日教室でするルーティンワークについて考えています。
にわかに雨が降りだしました。と、思うとパタッと止まる。台風ぐ近づくといつもこんな感じの天気になります。
家で使っていたパソコンが故障したので、これから代替品を見に、まずは手広のワットマンへ。以前のように、最近はすぐに新品、というわけにも行かず、まずはこの手で。
あの手この手で生活改善、いと哀し。