不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
 「プレカリアート」という言葉の意味は→こちらを参照。
 コメント・TB(トラックバック)については→こちらを参照。
 読んだ記事の中で気に入ったものがあれば→こちらをクリック。

親父と安倍の類似性

2019年11月20日 08時36分59秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
 
前回の「桜を見る会」関連記事に対して、ある方から次のような感想をいただいた。

「なるほど安倍さんのキャラはよく分かった。世襲政治家二世の典型で世間知らずのボンボン。お友達優遇で身内意識丸出し。特権階級特有の上から目線。臭い物に蓋の秘密主義、時代遅れの忠君愛国、軍国主義思想。我が身可愛さの保身第一。等々…。しかし、それと貴方の親父キャラのどこが共通しているのか?イマイチ分かりづらい。アカ(共産党、左翼)嫌いな所や、個人の幸福よりも親のメンツを優先しようとする婚活対応からも、何となく安倍キャラに通じる部分がある事は分かるが、それだけではまだイマイチ説明不足だ…」と。

毒親(子どもの生育を捻じ曲げる自己中心的な親)育ちの苦しみは当事者にしか分からない。普通の家庭に育った人には、毒親がどんなキャラなのか、いくら説明しても分からないからだ。だから、説明すればする程、「何もそこまで親に辛く当たる事ないじゃないか」と言われるようになる。そして当事者も、「私は親に対して余りにも冷淡過ぎるのではないか」と悩むようになる。今まで散々、毒親に苦しめられ、毒親に洗脳され続けて来たにも関わらず。

そこで、恥を忍んで、もう少し詳しく書き連ねてみたら、予想以上に長文になってしまった。既にブログに書いた事と重複する部分も少なくない。いずれも「まとめ記事」という事でお許しいただきたい。断っておくが、私も、何も好き好んでこんな事を書きたい訳ではない。出来るなら、私も、こんな生育歴の影の部分は書きたくない。でも、書かなければ、何故、毒親の被害者がこれだけ苦しんでいるのか、世間の人は理解出来ない。これでは被害者は永遠に救われないし、問題も解決しない。

(1) 親父とお袋はともに昭和初期に生まれ、戦後間もなく結婚し、兄、私、妹の3人の子どもを産んだ。私は次男坊だ。幼い頃は親父似と言う事で、割と可愛がられたらしい。ところが、小学5年生位の時に、どういう経緯でそうなったのか詳しい事は忘れたが、疲れてベッドで寝ていた私に、親父が余りしつこく絡むので、「うるさいな、漁師の子」と言ったら、思いっきり親父にどつかれた(親父は大阪府南部の漁師の出だが、頭が良かったので大学に進学し、大阪府庁の公務員になれた)。それ以来、親父から「学校の勉強見てやる」と言われ、宿題を見てくれたのは良いが、上手く問題が解けないと、直ぐに定規で叩かれた。

(2) 高校に入り、問題研究会に入部したら、暗に退部を強要された。部活動について何も知らない癖に。そして、私の留守中に、部員から電話がかかって来ても、全然取り次いでくれなかった。まるで、親なら子どもの思想信条の自由や人格権なぞ踏みにじっても構わないと思っているようだった。

(3) 私が大学生の頃のある日、大学から帰ったら、自宅に共産党機関紙の「赤旗」が配達されていた。多分、府庁の共産党員に勧められて、断り切れずに購読するようになったのだろう。そこで、私が物珍しさに、それを読もうとしたら、いきなり「読むな!」と言われ、私に読まさないように母親にも命令していた。そして「何だ、こんなモノ!」と言って、「赤旗」の領収書をグチャグチャに丸めて屑かごに捨てた。「そんなに嫌なら最初から購読しなければ良いのに」「自分で購読しておきながら、大学生にもなった息子に、家にある新聞も自由に読ませないとは、なんて器の小さな親なのか」と、呆れて物も言えなかったのを覚えている。

(4) 大学時代に、私の出身中学でイジメ自殺事件が発覚。事件をもみ消そうとする管理職に対し、教職員組合の人達が真相究明を訴えるビラを市内に配布。私の自宅にもビラが入る。そのビラに対して、親父はいきなり教組の人達をトラブルメーカーと罵倒。それを諌めた私が「民主教育」と言う言葉を口にした途端に、親父は烈火の如く怒り出す。これを見て、親父はとにかく「民主」とか「人権」と言う言葉が嫌いなんだなと、つくづく思うようになった。

(5) 大学では史学地理学科に在籍。地元の公害問題や地域開発の問題を卒業論文で取り上げた時に、府庁に勤めている親父に参考文献について聞こうとしたら、論文の内容についても一々口を挟むようになった。そして、どんな本を読んでいるか、私がトイレに行っている隙に、こっそり覗き見するようになった。

(6) 大学卒業後、親父の勧めで私立高校の常勤講師になったものの、有期雇用の不安定な身分に、給与未払い疑惑や、封建的な学校風土に嫌気が差して、一年後には自分の意思で生協に転職。共産党系の生協なので、親父は快く思っていなかったようだが。しかし、もう既に研修も終え、これから新しい仕事を一から覚えていかなければならない時期なのに、親父と来たら、まだ教職に未練たっぷりで、私に再度、教員採用試験を受けるように、しかも私には直接言わずに母親に命令。「形だけでも受験してくれ」と母親に泣き付かれ、仕方なく形だけ受験し、わざと間違った解答を筆記試験の答案に書いて提出。

それから約20年近く勤めた生協も、入協当時にはあった民主的な雰囲気は次第になくなり、次第に大手スーパーのような競争至上主義の職場に。その癖、労働者には都合の良い時だけ、「生協は消費者運動だから」と、サービス残業を強要する様になり、民主的とはお世辞にも言えないブラック生協に。人手不足の中で、早朝から深夜まで続く勤務に、生命の危機を感じて生協を退職。以後「もう社畜には絶対に成り下がらない」と、敢えて正社員としての転職は拒否。

生協退職した2001年頃はまだ就職氷河期で、ハローワークもパソコンや介護士資格取得の集団研修を実施。私もこれを機にパソコンを基礎から学び直そうと約半年間、雇用保険給付でパソコンの学校に通う。これが下地となって、今のブロガーとしての私がある。確かに正社員への転職には結びつかなかったが、それ以上に、ブログを通して発信力や表現力を身に付ける事が出来た。自己表現が出来るようになった事は、ある意味、転職成功以上に素晴らしい事だと思う。

やがて、非正規雇用労働者として、ブラック企業や派遣切りの実態を知る事になる。チラシ撒きのバイトで労基法に基づき1時間昼休みを取ったら「休憩は15分間のみ。パンかじりながらチラシ撒け!」と怒鳴られたり、ある日出勤したらいきなり勤務先が廃業していたり。パワハラにも遭った。その中で、それに対抗する術も身に付けるようになる。バイト組合のない職場でも、1人からでも入れる労働組合に加入し、非常勤組合役員のオバちゃんとたった2人で、4人の経営幹部相手に団体交渉した事も。

気が付けば、幼い頃は虐められっ子で、常に他人の目を気にして、息をひそめるように生活していた高校時代までの私が、すっかり物怖じしない性格に変わっていた。思えば、社会変革を目指して一時は共産党に入党し、生協に入り、退職後に再び組合に加入した時も、最後は共産党や生協、組合頼みだった。「自分はどうするか」という当事者としての視点は弱かった。しかし、たった2人で会社の経営幹部4人と団交で対峙した事をきっかけに、当事者としての意識が徐々に芽生えてきたように思う。それが次第に仕事でも実を結ぶ様になり、業務改善で表彰され、社員を差し置いてベトナム人教育係に抜擢される等、会社でも一目置かれる存在に。
 
やがて月日は流れる。兄と妹は結婚して実家を出て、お袋も数年前に亡くなった。親父も府庁を定年退職、再就職先の親戚の工場も数年前に退職。こうして実家には私と親父だけが残される事になった。その中で、私が大人になってからは鳴りを潜めていた親父の干渉癖が、再び私に向けられるようになる。

(7) 私が社内で運搬作業をしていた時に、うっかり台車を前方の作業者の足に当ててしまい、そいつから損害賠償を吹っかけられた事があった。たまたま内装工事の最中で、作業場の見通しが悪かった為に、前方がよく見えなかったのだ。ところが、会社は安全管理の手落ちを棚に上げ、労災隠しの為に、そいつの恫喝に見て見ぬふり。そいつとの示談を進めてきた。私は示談なぞには与(くみ)せず、組合の尽力もあり労災認定を勝ち取る事ができた。しかし、親父は私に暗に泣き寝入りする事を強要して来たのだ。「闘うとか言わずにもっと穏便に済ませろ」と言う形で。これでは完全に会社の回し者ではないか。

(8) その癖、私が独身で非正規雇用である事をあげつらい、「のんべんだらりと生きてきた」と誹謗中傷ざんまい。私が独身で非正規雇用である事は、別に自己責任でも何でもないのに。また、別に独身で非正規雇用だからと言って、それでひがんだりせずに、精一杯頑張っているに。むしろ、のんべんだらりと生きていたら到底出来ない経験も積み、それなりに満足の行く人生を歩んでいると言うのに。それで「非正規労働者を差別するな」と批判したら、「ワシは何も差別していない」と居直り。
 
(9) その他にも、親父の言う事がもう支離滅裂。「私はもう歳だ。お前を養っていく事が出来ない。お前も、もう実家を出て、どこかで自活してくれ」と親父。私は「自分は非正規雇用ながらも、ちゃんと働いて自活しているのに、何を言っているのか?」と思いながらも、親父の言う通り、賃貸物件を見つけて近日中に実家を出ると親父に報告。そうしたら親父は何と言ったか?「何も今すぐ出て行く事はないやないか。出て行くなら何故もっと早く若い頃に出て行かなかったのか?」と。
 
アホか。自分から「自活しろ」と言っておきながら、いざ自活しようとしたら「何故今頃出て行くのか?出て行くなら何故もっと早くに出て行かなかったのか?」だと?出て行って欲しいのか、欲しくないのか、一体どっちなんだ?お陰で、私は親父の気まぐれに散々振り回された挙句、不動産屋や住所変更手続きを済ませた会社の総務担当者に詫びる羽目になってしまった。

(10)業務改善で社内表彰された事についても、別に自慢するつもりはなかった。しかし、余りにも度々「のんべんだらり」と誹謗中傷するので、その反証の一つにこれを上げた。すると親父は何と抜かしたか。「お前は、その歳になっても、たったそれだけしか自慢するネタが無いのか!」と抜かしやがった。どこの世界に、子どもの成長を喜ばない親がいる。普段テストで0点しか取れない子どもでも、頑張って勉強して70点取れたら、それがどんなに簡単な問題でも、どんなに滅多にない事であっても、素直に喜ぶのが普通の親ではないのか?それがいきなり「たったそれだけしか自慢できるネタは無いのか」だと?これは何も子どもだけに限った話ではない。例えば部下が上司からこんな扱いされたらどうなる?たちまち人権問題になるだろう。

これについては、親父は後に次の様に言い訳している。「たったそれだけしか自慢するネタがないのか?と言ったのは、お前が有頂天になるのを諫める為だった。のんべんだらりと言ったのも、別に私や非正規労働者を差別したのではなく、年相応に生きろと言う事を言いたかっただけだ。20歳の時は20歳なりに、60歳になったら60歳なりに年相応に」と。
 
有頂天になっていたのは親父のほうじゃないか。余りにも誹謗中傷が過ぎるので、やむなく反論したら、まるで勝ち誇ったかのように喚き散らしていた癖に。「年相応」についても、「20歳の時は若気の至りで、理想に燃えて組合活動にのめり込んでも良いが、年取ったら丸くなれ」という形で、労災隠しに逃げた会社幹部のように「長い物に巻かれろ」と言っているだけではないか。

「差別なぞしていない」と言いながら、思いっきり差別してるじゃないか。教師や公務員だけがまともな職業で、共産党員や生協職員、非正規雇用の労働者なぞは、まるで破壊分子かルンペンみたいに言い募って。これが職業差別で無かったら一体何なんだ?思想差別で無かったら何なんだ?安倍の選挙中における「こんな人達に負ける訳には行かない」という街頭演説の発言と、全く同じではないか!
 
(11)やがて私は親父と衝突し、実家を出る事になる。そのきっかけになったのは2度の婚活騒動だ。1度目は早朝の出勤前の事だ。身支度をと整えようと2階の居室から1階の洗面所に降りてきたら、親父が横の応接間に座っていた。私が親父に「今日は早いな」と声を掛けたら、親父はそれには答えず、いきなり「××(近所の目の不自由な女性整体師)さんと結婚したらどうか?」と言ってきたのだ。私がその女性とは何の面識もないにも関わらず。いぶかしく思った私が「何故いきなりそんな事を言い出すのか?」尋ねたら、親父は「あほう、お前、もう歳いくつになると思っているんだ!」と、烈火の如く怒り出したのだ。
 
怒りたいのはこちらだ。牛や馬じゃあるまいし、面識もない女性と、何でいきなり「結婚したらどうか?」なんて言われなければならないのか?こんな事、私の歳がいくつだろうが関係ないだろう。そんな結婚をして私が幸せになるはずないじゃないか。それは相手の女性も同様だ。これで全てを理解した。親父が私に婚活を進めるのは、私の幸福の為ではなく、未婚の息子をかたずけて親としての体面を保ちたかっただけなのだ。
 
私は怒って実家を出る事に決めた。出勤の電車の中で、次のメールを親父に送った。
「何故息子の結婚にばかり拘るのか?結局は親の見栄じゃないか。本当に息子の事を思うなら、独身だからとか貧乏だからと言った理由で、息子個人を詰(なじ)ったり見下したりはしない。それを見下すと言う事は、自分の世間体ばかり気にしているからだ。だから、息子を自分の所有物と見なして、自分の思い通りにならないからと言って、息子に八つ当たりするのだ。たまたま観たテレビ番組で、そんな自分本位の親の特集をやっていたけど、その特徴10箇条に親父は全部見事に当てはまる。やっぱり、世間体(外見)や地位や財産の有無で人間を見下し差別しているじゃないか。だから親父は封建的だと言うのだ。幾ら親子でも、そんな人権蹂躙(じゅうりん)は許されない。」
 
今、このメールを読み返してみても、本当にその通りだと思う。それに対して親父は、「そんなメールなぞ送られても時間の無駄だ」の「バカタレ」だの散々、悪態メールの返事をよこした挙句、「親子で話し合おう」「早く戻って来い」とまだ未練たらしく書いていた。原因は私にではなく親父にあるのに。親父が変わらない限り、幾ら話し合っても無駄だ。
 
この時は兄貴の仲介で、一週間、兄貴の家に寝泊まりさせてもらった末に、親父と仲直りして実家に戻る事になった。しかし、親父は全く反省していなかった。2度目も同じような婚活トラブルを引き起こし、私はそれを機に完全に実家を出る事にした。それが次の事件だ。
 
 
 
(12)親父の勧めで婚活パーティーに参加し、いざ釣書(身上書、プロフィール集)を出そうとしたら、「年収200万では誰も嫁の来てがないから400万に水増ししろ」「親父が私名義で貯めた銀行預金(元は私の給与の一部)も年収に含めろ」と、まるで安倍政権の裁量労働制データ改ざんみたいな事まで言い出した。その挙句に、私の婚活なのに、親父が家族の中心に座り、私は隅の方にしかいない横長の写真に差し替えろとまで言い出したのだ。釣書に貼る写真の形は縦長指定で、サイズも大幅にはみ出しているのに。やっぱり、そうだ。親父が私に婚活を進めるのは、別に私の幸福の為ではなくて、親父の世間体維持の為だった。

以上が、私が実家を出るようになった経緯だ。親父と安倍晋三の類似性を説明するには、最後の第(12)項目だけで十分だと思うが、下記にまとめて書いておく。(A)~(F)に箇条書きした上で、前述の例証項目の対応する番号も付けてまとめたので、それぞれ照らし合わせながら読んで欲しい。
 
(A) 考え方が保守的、封建的。それはどちらもアカ嫌いで、「人権」や「民主」という言葉に異常反応する事(2)(3)で十分説明出来るだろう。
 
(B) 個人の権利、幸福よりも家や国家の体面優先。親父の場合は、それが婚活騒動(11)(12)となって現れた。安倍の場合は、それが海外への援助バラマキやオリンピック招致の形で現れている。台風被災者救援や原発事故の収束も進んでいないのに、被災者の生活再建は自己責任に任せたまま、予算を海外への経済援助バラマキに使い、わざわざ真夏の東京でオリンピックをやろうとし、お台場の汚れた海で水泳競技のリハーサルを強行する始末。
 
(C) 個人を家や国家の「将棋の駒」扱い。親父の場合は、それが女性を「産む機械」としか見なさない結婚観(11)や、非正規労働者を「のんべんだらり」と誹謗中傷する姿勢(8)として現れている。安倍の場合も、普通なら電通の過労死事件を機に、長時間労働を規制しなければならないのに、「それではもっと稼ぎたい人が困ってしまう。稼ぎたい人は労働時間なぞ気にしなくても良いように、1日8時間労働の規制を逆に緩めてしまおう」と、裁量労働制のデータを捏造してまで自分に都合の良いように我田引水。公的年金だけでは食えないから、仕方なく個人年金や高齢者就労やダブルワークで食いつなぐ人が増えただけなのに、それをあたかも皆が自分から望んでいるかのように言い繕い、「1億総活躍」と自画自賛。同じ自民党議員で安倍親衛隊の杉田水脈(すぎた・みお)が「LGBTは非生産的」と罵ったのも、親父の「のんべんだらり」(8)や「たったそれだけしか誇れるネタはないのか」(10)発言と根は同じ。
 
(D) 多数派迎合、少数派排除、上から目線。親父が自民党や維新の会を支持しているのは、別に親父が保守思想に心酔しているからではない。単に日本では自民党が、大阪では維新の会が権力を握っているからに過ぎない。親父が本当に保守思想に心酔しているなら、共産党だけでなく、国家主権を外国のハゲタカ資本に売り渡すTPP、日米FTA、水道民営化、カジノ誘致にも反対するはずだ。親父が本当に道徳や愛国心が大事だと思うなら、労災隠しを図る会社と一緒になって、事を穏便に済まそうなんて思わなかったはずだ。台風被害を尻目に宴会に興じた「赤坂自民亭」騒動や、公金私物化・選挙買収でしかない「桜を見る会」も黙って見過ごす事はできないはずだ。それらを隠蔽・矮小化しようとする自民党や維新の会なぞ到底支持できないはずだ。ところが、それを支持して平然としていられるのは、単に自分達も多数派の一員であると誇示したいだけなのだ。親父が毎年、忘新年会の季節に家族をホテルに呼んで「桜を見る会」の真似事をやりたがるのも、公務員や教職への就職に異常に拘り(6)、共産党や生協、非正規労働者、独身者を差別・排除するのも(3)(4)、「自分達とは彼らとは違う」と言いたいからだけなのだ。
 
(E) 自己チューの保身。要するに自己チューなだけなのだ。私の小学生時代の「漁師の子」発言(1)も、今から思えば決して褒められた物言いではないか、反抗期のガキが悪態ついただけに過ぎない。反抗期は自我の表れでもある。その自我を真の自立へといざなうのが親の役目なのに、「バカにされた」としか見れず、パワハラで応えるとは。社内表彰の件(10)も、「私が有頂天になっている」としか捉えられないようでは、親としての資格なぞない。安倍の「こんな人たちに負ける訳はいかない」発言もこれと同じだ。野党支持者も含めた国民全体の幸福を実現しなければならない総理大臣の発言とは、とても思えない。
 
(F) 言い訳も支離滅裂。だから、言ってる事も矛盾だらけなのだ。自分こそが、会社の労災隠しと闘おうとした私を、逆に会社と一緒になって抑えようとした社畜の癖に(7)、「のんべんだらり」と非正規労働者や独身者を誹謗しながら、「私は地位や財産で人間を差別なぞしていない」と言い張る厚顔無恥も(8)、森友・加計問題や相次ぐデータ改ざん、証拠隠滅、「桜を見る会」公私混同疑惑で支離滅裂な言い訳を続ける安倍晋三とそっくりだ。「実家を出て独立せよ」と言いながら、いさ独立しようとした途端に「何故、今頃になって家を出るのか?」と泣きついたのも(9)、今の「桜を見る会」の安倍のドタバタぶりとそっくりだ。
 
だから安倍も、「後援会主催の桜を見る会前夜祭は、税金ではなく各自が自腹で1人5千円の会費を払って参加しただけだ」と、誰もまともに信用しないような嘘を平気でつけるのだ。東京のホテル・ニューオータニを貸し切って、銀座の高級寿司まで出して芸能人も呼んでいるのに、たった5千円なんかで出来る訳ないだろう。私達バイトがトリキで予定している忘年会すら、3千円の会費が必要なのに。もし、ニューオータニの会費が本当に5千円だったとしても、それはホテルが森友・加計と同様に、安倍を忖度(そんたく)、特別扱いしたからだと言う事に他ならない。それでもまだ安倍や産経新聞が「総理大臣だから値引きしたのではない。宿泊とセット料金で値引きしたに過ぎない」と言い張るなら、次から皆で寄ってたかって、ホテル・ニューオータニに泊まり、5千円で高級寿司・芸能人付きの飲めや歌えの宴会をやってやろうじゃないかw

親父キャラと安倍キャラの、なんて似通っている事か!安倍は、二言目には「北朝鮮が、中国が」云々と連呼するが、安倍の方がよっほど北朝鮮、中国みたいな体質じゃないか!
 
自民と似たり寄ったりという意味では、大阪の維新も同罪だ。大阪では維新こそが自民党・安倍政治の象徴だ。それが証拠に、軍歌や教育勅語を礼賛する森友学園が建てた新設小学校「瑞穂の国記念小学院」を認可しようとしたのは、当時、大阪府知事だった維新の松井一郎だ。教育現場で君が代斉唱を強制し、「大東亜戦争は正義の戦争だった」とする偏向教科書の採択に躍起となっているのも、維新の息のかかった首長や教育委員会だ。業務時間内に少しタバコ吸っただけで地下鉄労働者を処分しながら、橋下が公用車でジムに通い、住吉区選出の大阪市議・伊藤良夏が政治資金で私用のレクサスを購入した事には頰かむり。これも、まるで森友・加計問題と同じじゃないか。
 
 

これは何も親父を貶めたい為に書いているのではない。これは単に親父だけの問題ではなければ、毒親だけの問題でもない。安倍夫妻には子どもはいない。しかし、そのキャラは毒親と瓜二つだ。だから、毒親よりももっと広い概念で、「毒オトナ」と呼ぶようになったのだ。実際、そういう言い方をしている人もブロガーの中にはいる。

日本は、表向きは戦後に民主化された事になっているが、戦後70年以上経った今でも、いまだに大日本帝国の亡霊が、あちこちをさまよっている。靖国参拝や教科書・憲法改悪の動きなぞ、その最たるものだ。慰安婦問題にしても、まるで韓国が悪いみたいに思っている人がいるが、あの問題の根本原因は、いまだに植民地支配について謝罪せず、賠償を経済協力と言いくるめ、当時の韓国軍事政権を、金の力で黙らせてしまった日本側にある。

日本ではびこる過労死や自殺も、その背景には希薄な人権意識や、弱者差別がある。欧米では、過労死なんて考えられない。欧米にもブラック企業は確かにある。しかし、労働者も黙ってはいない。ブラック企業支配には労働者もストライキで対抗する。日本みたいに、引きこもりやバイトテロ、学校や社内での虐め、生活保護叩きみたいな形で、内にこもって暴発したりはしない。

安倍や親父のような人間がのさばるのは、日本の民主化がいまだ達成されていないからだ。かつて軍事政権下にあった台湾や韓国でも、冷戦終結後の民主化によって文民政権に変わった。今や最低賃金すら、台湾・韓国に追い抜かれてしまった。いまだに時給7〜900円台の低賃金に甘んじながら、自分の無権利状態にも気付かず、韓国叩きや芸能人ネタでうさを晴らすしかない日本人の社畜・奴隷根性こそが、安倍や橋下、ウチの親父のような「毒オトナ」を生み出し続けているのだ。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

俺は親父や安倍のような毒オトナには絶対ならない

2019年11月13日 20時35分00秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
 
安倍の行いを見ていると、ホンマ親父とそっくりだなと思う。今、問題になっている「桜を見る会」も、税金使って地元の安倍後援会員だけを優遇した公金私物化、選挙買収疑惑だ。そこに参加できるのは安倍支持者と安倍ヨイショの文化人、芸能人だけだ。他方、親父が自分のポケットマネーで兄弟家族を招いて毎年ホテルで挙行していた忘年会、新年会も、参加できるのは私の家族だけだ。支持者・家族という対象の違いや、公金・ポケットマネーという資金源の違いはあれど、自分のお気に入りだけを囲い込み、そうでない人間は徹底的に排除する点においては、何ら変わらない。

安倍は選挙の街頭演説でも、批判に耳を傾けるどころか「こんな人達に負ける訳には行かない」と露骨に敵視。野党支持者も含めて国民全体の幸福を実現しなければならない総理の立場にありながら。国会でも野党に対し「日教組」、果ては共産党議員に「民主党」、立憲民主党の議員に「共産党」とお門違いなヤジを飛ばす体たらく。
 
 

ウチの親父も、昔、私の出身中学で起こったイジメ隠蔽事件の真相追及に立ち上がった教組の人達をトラブルメーカーみたいに罵倒し、それを諌めた私にもパワハラふるった。そして大音量で軍歌を流す右翼の街宣車にも「うるさいなあ共産党は!」と、お門違いな罵倒。私が実家を飛び出すキッカケになったのも、私の婚活なのに親父が家族の真ん中にいる規格外の写真を「釣書に貼れ」と強要し、私が独身の非正規労働者である事を「のんべんだらりと生きてきた」と一方的に非難。中高年の未婚者激増、非正規労働者に限っては中高年でも6割が独身なのは、別に個人の責任ではない。政府・企業の長年に渡る正社員リストラ政策が生み出した結婚もできない低賃金、無権利状態によって引き起こされた少子高齢化に因るものだ。それを総務省の勤労統計から説明しても、「リストラや過労死、ブラック企業なんて、全体の1割にも満たない特殊な怠け者の話だ」と、自分の頭の中だけの妄想で決めつけ。ステレオタイプで聞く耳持たず。ピント外れな罵倒で人を決めつけ。やれ非正規だ独身だと、人間を思想信条、民族の違いや地位の上下、財産の大小で差別。安倍も親父も全く同じじゃないか。
 
 
 
「桜を見る会」の件では三原じゅん子が逆ギレしている。「桜を見る会の参加者は、内閣府が過去の功労・功績を基に公平に人選した結果、私の母や叔母も選ばれたのに過ぎないのに、それをあたかも公金私物化みたいに言われて侮辱された」と。二階や橋下徹、産経などの御用政治家・コメンテーター・メディアも、「民主党政権もやってた」と頓珍漢な反論を始めた。冗談にも程がある。「公正な人選」だと言うなら、何故今頃になって、会の参加者が自分のブログから参加報告を軒並み削除し始めたのか?何故、参加者名簿や領収書を開示しないのか?何故、まだ一年ほど前の記録なのに「破棄した」と言い張るのか?やましい所があるからじゃないか。少なくとも安倍政権以前には同郷の後援会員が大量招待される様な事は無かった。これらを税金で接待する様になったのは安倍政権になってからだ。正に安倍晋三こそが公私混同のモラルハザード、諸悪の根源だ。事実、直近の世論調査でも「安倍の説明では納得できない」という意見が全体の約8割を占める。森友・加計問題の時もそうだった。

しかし、それでも安倍内閣の支持率は未だに約5割で高止まりしている。個々の政策では圧倒的に不支持の方が多いのに、内閣支持率が高止まりしているのは何故なのか?理由は簡単だ。現時点ではまだ、安倍内閣を倒すよりも、安倍内閣に取り入る方が得だからだ。特に若者の間で安倍内閣の支持率が高いと言う。どんな若者か?「労基法があるから定時以前には帰れない」という若者だ。本来、労基法で保障された8時間労働とは、「1日8時間以上働かせてはならない」という労働者保護の為の法律だ。だから、会社によっては1日6時間労働でも良いし、やむを得ない用事があれば早退しても構わないはずだ。それが、本来は労働者保護の為にある8時間労働が、あたかも労働者の義務であるかの様に捉えられてしまっている。長年の教育によって、そこまで権利意識が後退させられてしまったのだ。

労働組合が闘わなくなって久しい。今や「春闘」なんて死語と化してしまった。残った組合も、公務員や正社員だけが加入し、公務員や正社員の既得権確保だけに汲々とする組合が幅を利かすようになってしまった。派遣切りやブラック企業の横暴と闘うどころか、むしろ会社と一緒になって、派遣切りや原発再稼働を後押しする様な御用組合が、大手を振ってのさばるようになってしまった。そんな世の中で育った若者に、まともな権利意識や人権感覚なんて育つ訳がない。だから、生活保護や年金の不正受給、バイトテロ、ヤクザと癒着する芸能人、北朝鮮や韓国などの「叩きやすい対象」は容赦なくバッシングする癖に、その何倍もタチが悪い日本とアメリカ、日本とロシア、政府と大企業、政府とマスコミとの癒着には、借りてきた猫みたいに口をつぐんでしまう。強い者には何も言えず、そのうっぷんを弱い者いじめで晴らすしか能のない哀れな社畜。それが今の若者だ。

「桜を見る会」の件に対する橋下の論調もそうだ。「税金の無駄遣い」だと一応批判するフリしてカッコ付けながら、「過去には民主党もやっていた」と問題をすり替え、安倍の責任には一言も言及せず、抽象的な再発防止策でお茶を濁そうとしているだけだ。維新は野党と言いながら、その主張は、規制緩和でも改憲でも安倍自民と全く同じ。脱原発は一時の人気取りに終わり、今はすっかり原発容認。軍歌斉唱・教育勅語丸暗記の森友学園「瑞穂の国記念小学院」を認可しようとしたのも、当時の松井一郎・維新知事だ。カジノ推進も、幾らギャンブル依存症患者が増えようが、自分達が儲かればそれで良いとする貧困ビジネス、守銭奴の発想でしかない。その実態は、自民党大阪府連や公明党と利権争奪戦を繰り広げるただの「隠れ与党」に過ぎない。

不正と闘うよりも不正に取り入る方が得だと考える。差別と闘うのではなく差別されない様に努めようとする。ブラック企業と闘うよりも、自分も経営者になって搾取する側に回ろうとする…。今の安倍を支持する若者なんて、そんなネトウヨ(ネット右翼)みたいな奴ばかりじゃないか。そんな内弁慶のネトウヨみたいな若者には議論なんて通じない。ウチの親父と同じで、自分にとって都合の良い情報しか見ないのだから。「読売」「産経」「正論」などの御用メディアや、「WiLL」「Hanada」と言った極右雑誌ばかり読み漁り、朝日や共産党は全て「反日サヨク」と切り捨てる。今のネトウヨには昔、左翼だった人間も少なくない。昔は左翼だったが「ベルリンの壁」崩壊をきっかけに右翼に転向した「にわかウヨク」だ。だから、個々の主張も単なるマスコミの受け売りでしかない。他人の受け売りでしかないので、全然、自分の言葉で喋れない。出てくる言葉も「反日サヨク」云々の紋切り型のレッテル張りばかりだ。

「若者の間に安倍支持が広がっているのは、アベノミクスのお陰で有効求人倍率が上昇し、最低賃金が引き上げられたからだ」と言う事が、まことしやかに語られる。しかし、これも、正社員リストラの末の少子高齢化によって、3K業界が人手不足に陥っているからに過ぎない。アベノミクスのお陰でも何でもない。むしろ、アベノミクスや消費増税の所為で、中小企業の倒産が増え、賃金が全然上がらず人手不足に陥っているのだから、「アベノミクス不況」とも言える状況なのに。本当に好景気なら、何故こんなに消費税の滞納が増えるのか?何故、イケチューや天牛堺書店が倒産してしまったのか?良心経営だけでは経営が維持できないからだろう。奴隷労働だと分かっていながら、それでも派遣や外国人に頼らなければ経営を維持できないからだろう。だから、派遣労働者や外国人労働者の低賃金や無権利状態は見て見ぬフリしているのだろう。日本語もロクに喋れない外国人でも、名ばかりの技能実習生や留学生として雇うのだろう。

そんな事は、幾ら新聞やテレビを見なくても、実際に現場で働いて生活していたら、幾らでも気付くはずだ。幾らでも安倍や橋下のペテンに気付くはずだ。実際は気が付かないのではなくて、気が付かないフリをしているだけなのだ。そして、強い奴には何も言えないウップンを、弱い者イジメでごまかしているだけなのだ。これが、若者の間に広がる『政治離れ』や『保守化』の正体だ。『北朝鮮のミサイル』『韓国の慰安婦問題』は、それを覆い隠す煙幕でしかない。これでは、いくら歳は若くても、精神年齢はウチの親父と同じだ。安倍の国会答弁にそれがよく現れている。官僚が作成した、漢字にルビ付きの原稿がなければ何も喋れない。日独首脳会談の時もそんな感じだったので、隣にいる独首相メルケルが蔑む様な目で安倍を見ていた。俺はそんな毒オトナにだけは絶対にならない。
 
 
 
さっきのニュースで「桜を見る会」の来年度中止が決まった事を知ったが、中止すれば良いと言う物ではない。やましい所がなければ中止する必要もないはずだ。やましい所があったから、大慌てで中止せざるを得なくなったのだ。何故そういう事が起こったのか、検証しなければ対策も立てられないはずだ。私の時も、最初の家出の後、親父が一旦は謝罪した。「お互いに誤解があった」と。そうじゃないだろう。問題はステレオタイプでしか物を見れない親父の狭量さや、世間体ばかり気にして、人間を思想信条、民族の違いや地位の上下、財産の大小で差別する所にあったのだから。それをコミュニケーション不足のせいにして、形だけの謝罪でお茶を濁した親父は、後にまた同じ過ちを繰り返し、今の破局を迎える事になった。決して水に流して済む話ではない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大学入学共通テスト2020年度実施の中止を求めます

2019年10月31日 05時41分00秒 | 当ブログと私の生い立ち

前回の記事の後、早速、下記の署名要請メールが回って来ました。
来年からの大学入試共通テスト導入に反対する、高校生によるネット署名です。この共通テストには英語の民間試験導入以外にも様々な問題がある事が分かりました。ツイッターやブログでこの問題を取り上げた丁度良いタイミングで、この署名が回って来たので、皆んなにも紹介しておきます。ご協力できる方は是非ご協力をお願いします。


2020年度に実施されようとしている大学入学共通テスト・英語民間試験は、様々な問題を抱えていますが何の解決もないまま強行されようとしています。これを阻止すべく立ち上がりましょう。

主張の骨子は以下の通りです。

  • 学生のために大学入試を考えること自体には賛成
  • しかしながら、現在決まっている共通テストは致命的な欠陥が多すぎて改革になっていない
  • そもそも、現行のセンター試験は極めて洗練された方式であって、拙速に変える必要はない
  • 本当に学生のことを考えるのであれば、実施を延期してゼロベースで再検討すべきだ

共通テストの問題点は何でしょう。挙げるときりがありませんが、その中でも特に深刻なものをいくつかご紹介します。

  1. 記述の採点基準が統一できない
  2. 採点の質が担保できない
  3. 民間試験の導入により、家庭の経済状況が点数に反映されやすくなる
  4. 民間試験の導入により、学生の能力が平等に判断されない
  5. 既に約1年前なのに、決まっていないことや開示されていないこと等が多すぎる
  6. 当事者はこんな試験を求めていない
  7. なぜセンター試験+二次という現行制度ではいけないのか疑問

まず1についてですが、当然のことながらマーク方式とは違い記述の採点は無限に解答例があるので非常に難しいです。その上で、何十万という単位が受ける共通テストにおいて、採点基準を統一することはほぼ不可能です。

そして、2ですが、当然記述式の採点はマーク式よりはるかに労力を要します。しかし、時間は有限ですから試験後速やかに採点をしなければなりません。現行とほぼ同スケジュールで行くのは非常に難しいです。そうした中で、採点を学生バイトに任せるという計画が明らかになっています。言語道断です。ただでさえ採点が難しい記述をアルバイトが採点する。ありえません。どんなに頑張っても、必ず採点ミスが出ます。そうした際、だれがどうやって責任を取るのでしょう。そもそも間違えたことに気付けるのでしょうか。受験生はそうした不信感に苛まられなければいけません。

3と4はいずれも民間試験導入の弊害です。3ですが、民間テストは合計2回受けることが出来ます。その中で、高いものでは一回25000円以上もします。それを二回も受けるとなると大きな負担になります。問題はそれだけではありません。当然「民間」試験ですので、損をするようなことはしません。たとえば受験会場は過疎地等にはおかれず、都市にしか置かれないでしょう。この間NHKニュースで興味深い特集をしていました。「もし稚内の生徒が民間試験を受けたかったらいくらかかるのか」というものです。札幌で受けるとなると、列車代だけで2万円。それに宿泊代もかかり、さらに二回受けるとなると、受験料と合わせてとんでもない額になります。こういうことになってくると、地方に住んでいる人や所得の低い家庭の人が、「お金がないから受けられない」「なんとか1回は受けられたけど2回目はさすがに無理」という事態になり、地域や経済状況によって能力が正確に測れないことになります。

4はそもそも違うテストで同じように能力を測れるのかという問題です。民間試験には7個ほどが名を挙げていますが、果たしてどれもが同じ基準になるのでしょうか。

5についてですが、一年前と言えば受験生は勉強に専念し始める時期です。そんな中でいまだに試験について決まっていないことがあったり、今更変わることがあったりと概要がつかめない。そんなことでは勉強に集中できません

6は一番大事かもしれません。誰がこの試験の実施を求めているのでしょう。利権にかられた文科省とベネッセくらいでしょう。当事者である高校生や高校の先生などの多くは望んでいません。たとえば、東北大学が高校向けに実施した調査では、民間英語資格試験の入試への導入に「賛成」と答えた高校の割合は8%、大学入学共通テストに導入される記述式問題を「重視すべき」と答えた高校は6%にすぎませんでした。(現代ビジネス『高校も大学も頭を抱える「センター試験改革」あまりに多すぎる問題点』より) また、高校生も中止を求めてデモをするなど、この試験の導入を望んでいません。当事者の意見を聞かず、自分たちの保身と利権のために「改革」を進める文科省等の姿勢には疑問を感じざるを得ません。

最後に7です。なぜセンター試験ではいけないのでしょうか。センター試験はマーク式なので採点基準も公平ですし採点ミスが起こる確率も極めて低いです。これまでの実績があるので混乱することもないでしょう。また、現行のセンター試験は問題の質も極めて高く、非常に洗練されています。「けど、記述力が問えないんじゃない?」という人がいるかもしれませんが、記述力は各大学の二次試験で測ることが出来ます。共通テストで中途半端な記述問題が出て、学生アルバイトに採点されるよりはるかに質の高いテストです。なぜ現行のセンター+二次という制度でダメなのかが大いに疑問です。「改革」ばかりが先走って中身が着いてきていないのではないでしょうか。

以上のように、共通テストは欠陥ばかりでメリットはほぼありません。「学生のために入試を改革する」という姿勢には賛成ですが、この共通テストは一切学生のためになっておらす、改革もできていません。大学入試は学生の未来を決めてしまうかもしれないものです。中途半端に実施していいことは一つもありません。まずは一度ゼロから考え直すことが重要です。ぜひこの活動にご理解とご協力をお願いします。

https://www.change.org/p/文部科学大臣-大学入学共通テストの2020年度実施を中止を求めます?recruiter=1012230857&utm_source=share_petition&utm_medium=copylink&utm_campaign=share_petition

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドレイ並みの避難所生活と住環境

2019年10月16日 09時29分25秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
台風19号で避難した体育館での避難生活が難民並みであると、国会で問題になっています。
我々が今まで当たり前の様に思っていた、体育館での雑魚寝が、実はドレイ並みの待遇であった事が明らかになりつつあります。

例えば、イタリアも日本と同じ地震・火山大国ですが、避難民に対する扱いは天地ほども違います。イタリアでは48~72時間以内に電化設備の備わったテントが国から世帯毎に支給され、テント村には共同のキッチンやトイレ、バスも設置されます。

だから、日本の避難生活で問題になる熱中症やプライバシー侵害、震災関連死なぞ、イタリアではおよそ考えられないのだそうです。

これは何もイタリアだけに限りません。他の先進国も同じです。
先進国では、「避難は権利である」と捉えられています。だから、避難所も人権保障の観点で設置されます。
 
ところが日本では、「避難は自己責任で行うもの」とされています。
だから、ニュースでやかましく「避難しろ」という割には、肝心の避難所が劣悪で、避難所がハザードマップの浸水域にあり何度も避難を余儀なくされたり、避難所で溺れ死んだり、避難所でレイプされたりといった事が起こるのです。
 
そして、最も災害弱者であるホームレスが、避難所から追い出されたりするのです。東京都の世田谷区では、河川敷に住むホームレスの人にもチラシをまいて避難所への誘導が行われた一方で、同じ都内の台東区では、住所不定という理由だけで、ホームレスの人が避難所から排除されました。
 
台東区も、山谷(さんや)と言うドヤ街(簡易宿泊所が立ち並ぶスラム街)を抱えています。そういう意味では、あいりん地区(通称:釜ヶ崎)のドヤ街を抱える大阪市の西成区と同じです。むしろ他区の模範になるような貧困対策が行われなければならない地域であるはずです。実際、台東区のホームレス支援団体でも、所有する会館を避難所として無料開放する措置が取られました。
 
ところが、世論の反応はと言うと、「税金を払わないホームレスは避難所から排除されて当然」と、台東区の行政当局を擁護する意見も決して少なくありません。
納税しているか否かで人間の値打ちが決まる訳でなし。そんな事言いだせば、生活保護受給者や失業者も避難所には入れなくなってしまいます。そうして、当の自分達も「避難の権利」が侵害されている事に気付かず、難民やドレイの待遇に甘んじながら、ホームレス叩きに興じているのです。正に「貧すれば鈍す」という他ありません。

台東区のホームレスの人の避難所受け入れ拒否問題を考える(大西連 BLOGOS)
台東区ホームレス排除で跋扈する差別にウーマン村本が反論(LITERA)

災害や紛争時の避難所について国際赤十字が提唱する最低基準(スフィア基準)は、次のように定めています。

・世帯ごとに十分に覆いのある生活空間を確保する。
・1人あたり3.5平方メートルの広さで、覆いのある空間を確保する。
・最適な快適温度、換気と保護を提供する。
・1人1日15リットルの水を提供する。
・トイレは20人に1つ以上。男女別で使える事。
・女性には生理があり、トイレに行く回数も多いので、トイレは男女比1:3の割合で設置する事。
 
スフィア基準について、もっと詳しく知りたい方は、下記の記事を参照して下さい。
 
 
 
 
そもそも「スフィア基準」は、単なる建築基準ではありません。1994年に東アフリカのルワンダで起こった民族大虐殺の後、国連が国家再建の支援に入ったのに、支援がてんでばらばらに行われた為に、8万人もの災害関連死を生み出してしまった。そこから、被災者には支援を受ける権利があり、行政や支援者はそれを行う義務がある事を明確にして、上記の基準が定められたのです。スフィア基準と言うと、とかくトイレの設置基準ばかり注目されますが、そんな数よりも、被災者には支援を受ける権利があると、明確に打ち出した点こそが大事なのです。今や欧米先進国では、この基準に沿って被災者支援が行われています。真っ先に自己責任が問われ、何でも自治体任せのボランティア頼みで、最後にようやく国が出てくる日本とは大違いです。
 
そのスフィア基準を見て今更ながら驚きました。あいりん地区内にある私の今のホテル暮らしも、スフィア基準スレスレか、それ以下の水準でしかなかったのですから。
私の部屋も三畳一間です。畳1畳が最も小さい京間サイズで約1.82平方メートルだから、3畳では5.46平方メートル。広さについては基準をクリアしています。しかし、トイレも19室ある各階毎に男女セパレートのトイレが1個だけ。バスもキッチンも1階にしか無い。その共同浴場も、カラン(水道の蛇口)は3つしかなく、浴槽も3人入れば一杯。以前いたホテルには各階39室もあったのに、トイレの数は今と同じでした。全体で見ると完全にスフィア基準以下です。

「今住んでいるホテルは、家賃も安く、敷金も保証金も不要で、西成ではトップクラスの観光客向けの高級ドヤwだ」「家賃支払いに追われて社畜に甘んじるくらいなら、今の方がまだマシだ」と言って、今まで自分を慰めて来ました。しかし、国際基準(他国の常識)に照らせば、無料でテントが支給される避難民以下の難民生活でしか無かったのです!

その難民以下の住居に、毎月4万円以上、給料の4分の1近くも家賃を払わなければならないのです。もっとましな物件に住もうとすれば、最低でも月6万円ぐらい払わなければならなくなります。その上に水光熱費も払わなければなりません。たかだか月10数万円や、多くても20万円前後しかない非正規労働者の給与で、それだけも家賃に払える訳がありません。
 
  
 
それよりも安い家賃の物件もあるにはありますが、そういう物件は大抵、事故物件やゼロ・ゼロ物件です。敷金も保証金も要らない(ゼロ・ゼロ)代わりに、家賃を1日でも滞納すれば、荷物も無理やり放り出されて、有無を言わさず追い出される。それが「ゼロ・ゼロ物件」です。あるいは、最低でも2年間は住まなければならない。途中で長期入院しなければならない羽目になっても、その間は空家賃を払い続けなければならない。そんな物件ばかりです。
 
「健康で文化的な最低限度の生活を国民に保障する」という憲法25条の規定は一体どこに行ったでしょうか?安倍首相は、二言目には「憲法の規定は浮世離れしている」と改憲を煽りますが、そもそも憲法の規定を踏みにじっているのは一体誰なのでしょうか?これは他の社会保障や平和の問題でも全てにおいて言える事ですが、安倍政権は、自分たちが憲法を守らず、国民にドレイ並みの暮らしを強いているくせに、その責任を憲法に擦り付けているのです。盗人猛々しいにも程があります。
 
避難だけでなく住まいも、自己責任ではなく基本的人権であり、行政が政治の責任で保障すべきものである事を、この台風被害を機に、改めて思い知らされました。
 
森ゆうこ 議員 予算委員会 質疑(2019/10/15)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同じ地区内の別のホテルに引越しました。

2019年09月29日 01時19分55秒 | 当ブログと私の生い立ち
隣室との騒音トラブルを機に、今日遂に、あいりん地区内の同じ系列のホテルに引越しました。それまでのホテルと比べて、今度のホテルは、

①更に駅に近くなりました。

今はもう新今宮駅ではなく、地下鉄の動物園前駅から、電車に乗って職場に通っています。その点では、動物園前駅の目の前にあるホテルに引越して、更に便利になりました。

②行きつけの弁当屋にも更に近くなりました。

私は、いつも堺筋沿いにある弁当屋で、夕食の弁当を買っています。その弁当屋からホテルまで、今までは歩いて約10分かかっていました。それに比べて、今度のホテルは、同じエリアにあるので、所要時間約5分と、今までの半分で済むようになりました。

③部屋は狭くなりました。

今度のホテルも、それまでのホテルと同じ系列のホテルなので、家賃も同じで、間取りも同じ和室3畳です。しかし、同じ3畳でも、前のホテルの方が、まだ若干スペースに余裕がありました。しかし、今度のホテルにはスペースに余裕がほとんどありません。衣服を入れたバスケットや、保冷庫横の隙間に入れていた書類等も、今まで通りには置けなくなりました。もう仕方がないので、バスケットは持参したカラーボックスの上に、書類等もカラーボックスに詰め込んで、部屋干し用のピンチハンガーも小型の物に買い換えて、ようやく何とか保管できるようになりました。
 
 
新旧ホテル部屋の比較。一番左が旧ホテル、その右が新ホテル。ホテル備品の座卓の位置に注意。左の旧ホテルの座卓は3畳間外の予備スペースに置かれているが、右の新ホテルの座卓は3畳間内に置かれている(旧ホテルにはあった予備スペースは新ホテルには無い)。だから、一番右端の写真のように、予備スペースに置いていた衣類入れのバスケットもカラーボックスの上に置き直して、テレビ台下の隙間に入れていた書類等もカラーボックスに収納しなければならなくなった。

④風呂もトイレも狭くなりました。

今まで朝は7時から12時まで、夜は17時から翌日午前2時まで利用できた男性用の展望大浴場も、今度のホテルでは17時から23時までしか利用できません。朝はシャワールームしか使えなくなりました。風呂の規模も、家族風呂に毛が生えた程度の広さしかありません。各階にある共同トイレも、今までならパウダールーム(洗面所)とは別に、男女セパレートで、それぞれに大便器1個と小便器2個が備わっていました。しかし、今度は同じスペースの手前がパウダールーム、奥がトイレというように、セパレート形式になり、小便器も1個しかありません。幸い、私は仕事柄、朝早く出て行くので、トイレの混雑に巻き込まれる可能性はまだ低いですが、それでも心配です。
 
  
左端の写真が新しいホテルのトイレ。男性トイレは洗面台の裏手に、女性トイレは洗面台の右側にある。その右の2つの写真が新しいホテルの浴室。旧ホテルの展望大浴場とは違って、家族風呂に毛の生えた程度の広さしか無い。

⑤自炊も出来るようになりました。

風呂やトイレが貧相になったのとは逆に、休憩スペース(ロビー?)は目を見張るようになりました。今までのホテルでは、精々ソファに座って備え付けのスポーツ新聞を読むのが精一杯でした。ところが、今度のホテルの休憩スペースは、窓側はカウンターになっていて、真ん中にはでっかいキッチンテーブルがあります。横には無料のお茶・コーヒーサーバーがあり、自由にお茶やコーヒーが飲めます。但し、量は少ないですが。奥にはIHコンロや水道、炊飯器があり、自炊も出来るようになっています。キッチンテーブルには充電用のコンセントもあるので、スマホやパソコンも使い放題です。更にその奥には談話スペースも設けられています。
 
 
 

⑥深夜の帰宅にはパスワード入力が必要になりました。

今までのホテルも、深夜12時から翌朝7時まではフロント不在で、入り口も閉鎖されていましたが、夜間通用口から自由に出入り出来ました。しかし、今度のホテルでは、23時30分から翌朝7時半までの間にホテルに入る際には、玄関横の端末にパスワードを入力しなければ、ホテルに入館出来なくなりました。その結果、セキュリティ機能は確実に強化されましたが、個人の行動は制約を受けるようになりました。

以上、大まかに6点ほど違いを列挙しました。私が思うには、今度の新しいホテルは、より外国人観光客向けに、ホテルというよりも、むしろユースホステルを志向しているのではないかという気がします。実際にフロントに聞いても、各階約20室ほどある客室の利用者の内、月極め家賃を払っている長期滞在者は、2〜3人しかいないそうです。だから、日本人利用者向けのお風呂より、外国人観光客向けの休憩スペースの方に力を入れているのでしょう。それならそれで、一癖も二癖もある長期滞在者よりも、むしろ観光客などの短期滞在者を呼び込んでくれた方が、騒音トラブルを回避出来て有難いです。短期滞在者が相手なら、こちらも短い間の辛抱と、割り切る事が出来ますから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱり釜ヶ崎が好き!

2019年09月23日 06時06分00秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
西成区釜ヶ崎(あいりん地区)から住之江区への転居については一旦キャンセルします。

当初考えていた住之江区の1Rへの転居ですが、初期費用の安さの裏に2年縛り(最低2年間居住しなければ家賃数ヶ月分の違約金徴収)や不当請求(退去時に経年劣化も賃借人の不注意とされ賠償請求される)の可能性がある事が分かりました。

他にも、駅近の割には変に家賃が安かったり、初期費用の安さやキャッシュバックなどで顧客を釣る物件については、事故物件の可能性や、ヤクザ・隣人とのトラブルが潜んでいる事が多々あります。住之江の当該物件についても、その可能性が出てきました。

今のホテルなら、もしその様なトラブルに見舞われても、部屋替え等で比較的容易に対応できますが、2年縛りの物件で賃貸契約を結んでしまったら、その間、嫌でもトラブルと向き合わなければならなくなります。

それ以外にも、もし私が病気などで入院しなければならなくなっても空家賃を払わされるリスクや、転居に伴うランニングコスト上昇、あいりん地区の物価の安さや交通の便を考えると、たとえ隣人との騒音トラブルがあったとしても、あいりん地区から転出しない方が得策との結論に至りました。

その為、先程、不動産業者に当該賃貸契約の解除を通告しました。まだ正式に契約書を交わしていない今なら、まだ間に合いますので。

隣人との騒音トラブルについては、同じ地区内での系列ホテルへの転居で対応しようと思います。その方が通勤最寄駅(地下鉄動物園前駅)や行きつけの弁当屋にも近いので。

この転居見直しを強く私に勧めたのは、昨日9月22日に治療に訪れた先の鍼灸師さんです。その鍼灸師さんには、不動産業者の患者さんも多い為、業界の裏情報も数多く集まります。

その鍼灸師さん曰く、格安の賃貸物件が集中する地域は限られています。大阪市内で言えば、日本橋や昭和町、住之江などです。それらの地域は、いずれも難波や天王寺の繁華街に隣接しています。住之江も、南海本線の沿線で只の下町のイメージが強いですが、海側に下れば住之江競艇場があります。いずれも、繁華街や賭博の掠りで生きているヤクザの集住地域です。

ヤクザの集住地域に格安の賃貸物件が集中し、駅近とは思えない低家賃や初期費用割引、入居祝い金名目でのキャッシュバック支給で、不動産屋が賃貸契約を結ばせようとするのは、ヤクザとのトラブルで退去する人が後を絶たないからです。

それに対して、あいりん地区は、根っからのヤクザは兎も角、一般の日雇い労働者や野宿者については、たまたま落ちぶれて心が荒んでいるだけで、根っからの悪人はいない。多少ガラは悪くとも、ヤクザと比べたらはるかにマシだそうです。

それは、私も、あいりん地区に住んで感じます。私も住んでみて初めて分かったのですが、意外と住みやすいのです。それは、物価の安さや交通の便の良さだけに因る物ではありません。他の大阪の下町に賃貸物件の下見に行った時に感じた場末感、疎外感(裏寂れた陰鬱な感じ)を、あいりん地区では感じなくて済むのです。
 
  

その理由の一つは、外国人観光客の存在が、あいりん地区に華を添えている事があるでしょう。もう一つは、住民全員が貧しい為に、皆んな貧乏を恥じていないのです。生活保護バッシングなんて、この地域にはありません。バッシングしようものなら、逆に住民の総反撃に遭います。それに加え、地元の労働団体、野宿者支援団体によるサポートもあります。だから、一見ガラは悪くとも、本当は差別とは無縁の街なので住みやすいのです。

確かに、初期費用ゼロの元ドヤ住まいで、入居審査も無く住み続けている人も多いので、メンヘラ(精神的に不安定な人)に遭遇する確率は他地域よりは高いかも知れません。しかし、そんな人も、住民全体からすれば、ごく僅かです。もし運悪く、そんな人と巡り合わす羽目になっても、あいりん地区なら「ドヤ」の部屋替えだけで対応できます。2年縛りで賃貸契約を解除できない格安物件よりも、はるかにリスクは少ないです。

しかも、他地域の格安物件では、契約の2年縛りがある為に、もし私が将来、病気や怪我で長期入院しなければならない羽目になっても、2年間は空家賃を負担し続けなければならないのです。

それに、格安と言っても、家賃に含まれるのは精々、水道代だけで、電気代・ガス代は自分で負担しなければなりません。物価も、あいりん地区よりは高いです。これでは確実に足が出ます。あいりん地区に住んでいる今でさえも、貯金を食い潰しているのに、これでは生活して行ける訳がありません。

そういう諸般の事情を考慮して、今回はあいりん地区からの転出を見送る事にしました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さらば!西成・釜ヶ崎!

2019年09月17日 19時56分49秒 | 当ブログと私の生い立ち

 

実家を出て早や2年。ようやく馴染んだ西成・釜ヶ崎(あいりん地区)のホテルですが、隣人との騒音トラブルを機に、引き払う事にしました。

最初は、ホテルの今の部屋に住み続ける事や、部屋替えで対応する事も考えました。しかし、幾ら観光客向けにリニューアルされたホテルでも、所詮は釜ヶ崎の元ドヤ。壁がベニヤ板で出来ている事を知り、引越す事に決めました。幾ら部屋替えしても、ベニヤ板造りの部屋では、また同じようなトラブルが起こるでしょう。これではネットカフェ難民と変わらない。

新しい転居先は、同じ大阪市内の住之江区にある賃貸マンションです。洋間六畳のワンルームで、家賃は賃料2万8千円、共益費8千円、水道代2千円の計3万8千円。通常なら、これ以外にも、敷金や保証金、火災保険の金額も入れて10万円前後の初期投資が必要です。しかし、現在サービス・キャンペーン中で、たった1万7千円の初期投資で済みます。初期投資の安いのが何よりも魅力です。(上のチラシには、他に家具プレゼント特典もあるように書かれていますが、こちらは既に終了してしまいました)

賃貸マンションだけあって、一応キッチンもユニット・バスも付いています。今まで見たいな共同トイレ、共同浴場ではありません。遮音性も、SALC(鉄骨に高温で焼いて補強した気泡コンクリート)造りの建築構造なので、ベニヤ板造りのホテルよりはマシだと思います。エレベーターが無いので引越しが大変ですが、荷物も少ないし、2階部屋への引越しなので、何とかなるでしょう。

 

問題はむしろ、その後です。引越しだけでなく、電気とガスも、その日から使えるようにしなければなりません。そうしないと、エアコンも使えないし、風呂も沸かせないし、夜も暗闇で生活しなければならなくなります。

ベッドもしくは布団も、入居初日には用意しておかなければなりません。そうしなけば、硬い床の上で、寝なければなりません。出来れば、テレビ・冷蔵庫やパソコン用の机・椅子も、初日から使えるようにするに越した事はありません。

いずれも、通常の引越しならば、今まで使っていた家具や家電を、そのまま使う事が出来ます。しかし、私は今までホテル住まいで、テレビも布団もホテルの備品だったので、全て新たに購入しなければなりません。

隣近所との関係も、一応は賃貸住宅なので、西成のホテルよりは遮音性や耐震性に優れているのは確かです。西成の騒音トラブルみたいな事にはならないと思います。しかし、こちらも格安物件なので、果たしてどんな人が住んでいるか不安です。

職場のバイト仲間に聞いても、家賃5万円未満の賃貸に住んでいる人は、大なり小なり騒音に悩まされていました。家賃は収入の4分の1以下に抑えるのが理想だそうですが、月収20万弱の非正規雇用で、家賃に6万も7万も払える訳がないでしょう。住まいは人権。安価で良質な公営住宅をもっと建てろ!

幸い明日も休みなので、まだ引越しまで間がある今のうちに、周辺環境の下見に行って来ようと思います。本当に駅から徒歩2分なのか?周辺にスーパー、飲食店、弁当屋、銭湯、コインランドリー、リサイクルショップがどれだけあるか?その上で、今後の生活設計を組み立てて行こうと思います。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隣室との騒音トラブルについて

2019年09月13日 01時45分00秒 | 当ブログと私の生い立ち

 

私は今、大阪・西成の「あいりん地区」にあるホテルに住んでいます。外国人観光客で賑わうホテルですが、私のような長期滞在者も大勢います。「あいりん地区」は柄は多少悪いですが、家賃も物価も安いので、二年前に親父と喧嘩して実家を飛び出した後、そこに住む事にしました。

そのホテルも、家賃が比較的安価な上、敷金も保証金も不要で、入居を申し込んだその日から泊まれるので、今まで重宝していました。ところが最近、騒音発生源の隣人から、トラブルメーカーの濡れ衣を着せられ、困っています。

9月10日(火)も、またホテルのフロントから物音がうるさいと注意されました。全く心当たりが無いにも関わらず。もうこれで二度目です。

トラブルの主は隣室735号室の住民です。奴が、自分は夜中にドンドン物音たてながら、自分の事は棚に上げて、隣室の私の物音がうるさいとフロントに通報したのです。

隣室こそ騒音の発生源である事も、勿論フロントには言いました。それでもフロントは「相手にも注意しておくが、お互いに気を付けるように」で済まそうとするばかりです。

隣室の住民が変質者である事も考え、部屋替えについてもフロントに打診してみました。すると、空き部屋はあるが、間取りは少し狭くなるそうです。空き部屋のスペースは三畳きっかりで、荷物を置く横のスペースは全く無いそうです。

そもそも、トラブルメーカーは相手なのに、何故、私が部屋替えを迫られなければならないのか?既に、相手の出す騒音の録音作業に着手しています。夜通し監視しなければならないので大変ですが、背に腹は変えられません。
 
ホテルの隣人との騒音トラブルについて、もう少し時系列で詳しく説明します。

私が今住んでいるのは736号室。問題の隣人の部屋が735号室。7階の角部屋です。(上記の7階避難経路図参照)

私は最初は1階上の835号室に住んでいました。しかし、エアコンの暖房の効きが悪いので、今の736号室に替えてもらいました。昨年の冬の事です。

ところが、各階とも同じような配置になっている為に、私は最初のうちは、735号室を自分の部屋と勘違いして、部屋のキーを入れて回そうとした事が二度ほどありました。勿論、違う部屋なので鍵は入りません。その事で隣人と少しトラブルになった事がありました。

しかし、それは最初の二回だけです。その後は私も隣の部屋と間違える事はなくなりました。

それから数ヶ月経ったある日の事。私はホテルのフロント係に呼ばれ、735号室の隣人から騒音の苦情が寄せられている事を知りました。

それからです。隣人が夜中にハンガー掛けのフック(各部屋に2個ずつある)開閉音を嫌に大きく響かせたり、壁をドンドン叩いたりするようになったのは。

それが私への嫌がらせである事は、最初全然気がつきませんでした。単なる変質者、精神異常者の奇行だと思っていたので、下手に関わってはヤバイと、無視していました。

そして、私も隣人から突っ込まれないように、テレビの音量も出来るだけ小さくし、電気シェーバーを使った髭剃りも、室内ではなく外のパウダールームでするようにしました。

ところが、前述の9月9日(月)3時頃に、いきなり隣の735号室から、ドンドン壁を打ち付ける音や、フック棒の開閉音が聞こえて来て、私は叩き起こされました。音は10分ぐらい続いたでしょうか。

そのくせ、ホテルのフロントには、前日に「私からの騒音に悩まされている」と苦情を寄せていたのです。ホテルのフロントにその事を聞かされた時は、私は唖然としました。騒音を発しているのは735号室の隣人なのに。

ひょっとしたら、その日の晩は、私が何回か夜中に尿意を催し、室外のトイレに行ったので、その時のドアの開閉音が気に障ったのかも知れません。テレビの音量はそんなに響きませんが、ドアの開閉音は結構響きますから。

しかし、それぐらいの物音は、生活している以上、どうしても出してしまいます。それもダメなら、もうトイレにも行けなくなります。

仮に百歩譲って、それで相手が迷惑を被ったとしても、私の場合はあくまで「過失」に過ぎません。それに対し、腹いせにドンドン物音を立てるのは、「故意」の嫌がらせであり、安眠妨害という立派な犯罪行為です。それを「お互い気を付けて下さい」で済ますフロントの姿勢も、到底納得できるものではありません。

私はその事をホテルのフロントに伝え、今後もこのような隣人による行為が繰り返されるなら、騒音を録音するなど証拠を集めて、法的手段に訴える事も辞さないと通告しました。

あれから小康状態を保っていますが、まだ予断は許しません。私こそが騒音の被害者なのに、何故、加害者呼ばわりされなくてはならないのか?

今住んでいるホテルも、いくら小洒落たホテルとは言え、所詮は西成のドヤ。壁の材質はベニヤ板で、遮音性は全くありません。これを機に、キッチンやバス・トイレもある普通のワンルームに引っ越す事も考えています。しかし、職場の同僚の話だと、他の賃貸物件も遮音性は似たり寄ったりで、トラブルメーカーもどこにでもいるとか。悩ましい限りです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家賃の便乗値上げを許すな!

2019年09月04日 17時59分00秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
 
10月から消費税が8%から10%に値上げされる。それに伴い、私の住んでいる「あいりん地区」のホテルでも、家賃値上げの噂が飛び交うようになった。

国税庁の見解では、事務所の賃貸料には消費税がかかるが、賃貸住宅の家賃などは非課税になるはずだ。従って、消費税増税は家賃値上げの口実にはならない。(参考記事
 
しかし、私の住んでいるホテルは、実態は賃貸住宅でも形式上はあくまでホテルだ。実際、観光客など一時滞在者の利用も多い。ホテルである以上は、賃借権保護の対象外になってしまうので、ひょっとしたら課税対象になるかも知れない。

今まで一泊1600円だった宿泊料も、今の入居者募集ポスターでは2100円に引き上げられていた。月極家賃(水光熱費込み)の場合も、新規契約者については、既に従来の月43050円ではなく、48000円で家賃が徴収されるようになっている。私が家賃値上げの可能性についてフロントに聞いた時も、「検討中」という事でお茶を濁していた。

もし既存の賃貸契約者に対しても値上げを迫って来るようであれば、引っ越しも含めて新たな対応を考えなければならない。

しかし、実態は賃貸住宅なのに、何故、事業用物件みたいに消費税の課税対象になるのか?今まで低家賃だったからこそ、トイレもバスも共同で、キッチンも冷蔵庫もない三畳一間のドヤでも、我慢して住んで来たのだ。なのに、国も「住宅の家賃は非課税だ」と言っているのに、何故、払う義務のない消費税を負担しなければならないのか?全く納得できない。

実は、今住んでいる西成のホテルは、名称こそホテルだが、実際はホテルですらない。本当にホテルなら、旅館業法が適用され、三畳一間などの非人道的な間取りなんてあり得ないはずだ。実際は、住宅でもホテルでもないドヤ、簡易宿泊所に過ぎない。

しかし、ホテルではなく簡易宿泊所なら、尚更、家賃値上げの口実にはならないのではないか?いかに観光客向けにリニューアルされ、実際に観光客などの一時滞在者が多いとしても、私のような長期滞在者にとっては、住宅に変わりはないからだ。そこに家賃値上げに関して交渉の余地があるかも知れない。
 
(追記)
 
ホテル家賃値上げの件で昨夜(9月5日)にまた新たな動きがありました。

私がホテルの風呂から上がって1階のロビーでくつろいでいたら、以前「値上げを検討中」と答えたフロント従業員の方が近づいて来て、「やっぱり家賃が上がるかも知れない」と。そこで以下のやり取りになりました。

私「何で?」
フロント「消費税が上がるから」云々
私「家賃は非課税のはずでしょう」
フ「それはそうですが、既に新規の契約者からは月4万8千円で家賃を頂いていて、それとの兼ね合いもあるので…」
私「では、私の場合も月4万8千円になるのですか?」
フ「さすがにそこまでは上げませんが、大体この位になるかと…」

フロントが手に持っていた電卓を見ると4万5千円の金額が提示されていました。

私(やはり予想通りだ。新規契約者から家賃を値上げし、外堀を埋めてから、既存契約者に既成事実を押し付けるつもりでいたのだ)

私はそこでしばし考えましたが、月4万3円から4万8千円に5千円も上がると悩んでいた私も、4万5千円に2千円の値上げならと、受け入れる方向に傾きつつあります。引っ越しの手間や新たな賃貸物件での初期投資の事を考えると、まだ今の方が、交通の便やホテルとしてのアフターサービス面(清掃や見廻りの有無)で優れていると思うので。確かに「あいりん地区」はガラが悪いですが、物価の安さや、いざ路頭に迷ってもシェルターに駆け込める事を考えると、これほど住みやすい街は他に余り無いです。

しかし、ホテルの一方的な家賃値上げをそのまま受け入れるのも癪なので、フロント従業員には、「値上げするなら、今の部屋にある保冷庫も冷蔵庫に変えてほしい」と条件を出しました。

実は、私の住んでいるホテルには、同じ間取りでも、冷蔵庫の部屋と保冷庫の部屋の2通りのタイプがあるのです。保冷庫も、形や大きさは冷蔵庫と同じですが、冷蔵機能は備わっていません。だから、キャンプに持って行くクーラーボックスと同じ使い方しか出来ません。パウダールーム(洗面所)のある階の部屋が保冷庫タイプとなっています。そうする事で、パウダールームのない階の部屋と条件を均等にしているのです。

しかし、家賃を値上げするなら、せめて部屋には冷蔵庫ぐらい備え付けてもらわなければ、私も納得できません。それで、ダメ元で交渉してみたら、フロント氏いわく「多分、大丈夫でしょう。今すぐ交換という訳には行きませんが、私の手が空き次第、冷蔵庫と交換させて貰います」と。もし、そうなれば、それだけでも、今の食生活は大幅に改善されます。それで今回はとりあえず手を打ち、ホテルの次の出方をうかがう事にします。
 
 
左上写真のテレビ台の下にある黒い箱が保冷庫。右上写真がホテルのパウダールーム。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プレカリアートの主戦場

2019年06月08日 20時00分15秒 | 当ブログと私の生い立ち
川崎殺傷事件に農水次官の息子殺し。いずれも引きこもりの息子が事件の原因みたいに言われているが、私は違うと思う。生まれ落ちての引きこもりなぞ誰もいない。それまでの生育歴の中で、家庭や学校、職場で受けたハラスメントがきっかけで、人は引きこもりになるのだ。
 
川崎殺傷事件の容疑者は、両親の離婚を機に伯父夫婦宅に預けられた。伯父夫婦宅には既に実の兄と姉がいた。兄も姉も有名私立のカリタス小学校出身だった。それに対し容疑者は公立の中卒で、身なりも兄姉よりは見すぼらしかった。
学校でも虐められて就職にも失敗し、引きこもりになった挙句に、優秀な兄姉も通っていたカリタス小学校の児童に恨みの矛先を向け、スクールバスの停留所で通り魔殺人に至ったのだ。
大量殺傷事件を犯した後、容疑者は自殺してしまう。伯父夫婦は警察の事情聴取には応じたが、容疑者の遺体引き取りは拒否したそうだ。伯父夫婦にとって容疑者は厄介者でしかなかったのだ。
 
一方、東京・練馬の農水次官による息子殺しの事件では、引きこもりになった息子が父親の次官に暴力を振るっていた。その暴力に耐えかねた父親が、息子も川崎事件の容疑者みたいになるのを恐れ、息子殺害に至ったものだ。
息子は母親に厳しく躾けられ、私立の進学校に進学した。しかし、そこで虐められ受験競争からも脱落し、アニメーターを志すようになった。
しかし、そのアニメすら母親から蔑まされた事をきっかけに、両親に憎悪を向けるようになり、父親との喧嘩の後、父親に殺されてしまったのだ。
この事件の場合は、暴力を振るったのは息子で、両親はむしろ被害者だった。しかし、両親が周囲に息子の事を一切語らなかった事から、農水次官の経歴に傷が付くのを恐れ、息子の存在自体を疎ましく思っていた事は想像に難くない。そういう意味では、息子もまた、出世第一主義の両親の被害者だったと言える。
 
私はこの2つの事件のニュースを観て、これは世間が言うような引きこもりによる事件なんかではなく、むしろ毒親(子どもに悪影響を与える親)が引き起こした事件だと直感した。私も毒親育ちなので、何故そんな事になったのか、手に取るように分かるのだ。
私の父親も学業優秀で、進学校から大阪府庁に入り、それなりに出世した。次官まで上り詰める事は出来なかったが、出世第一主義で、経歴に傷が付くのを極力怖れていた所なぞも、くだんの農水次官と非常によく似ている。
 
事件の後も、ニュースのコメンテーターが相変わらず的外れなコメントをしている。あるコメンテーターなぞは、川崎のスクールバス襲撃事件容疑者に対して、「引き取ってくれた伯父夫婦がいただけでも幸せだと思わなければならない」と訓示を垂れていた。練馬の農水次官による息子殺害事件についても、「川崎事件みたいになる前に息子を殺してくれて良かった」みたいな意見も決して少なくないそうだ。ダウンタウンの松本人志に至っては、「不良品同士で殺しあってくれ」と言い放つ有様だ。
「親が育ててくれ、農水次官の場合は有名進学校まで進学させてもらったのに、息子は勝手に引きこもりになって、両親に恩を仇で返した」と言うのが、これら識者の意見だ。
 
私はそれを聞いて非常に違和感を感じた。「普通の愛情とニセモノの愛情の区別も付かないのか?」と思った。
普通の親なら、息子がアニメーター志望だと知ったら、その志望が叶うように応援するものだ。その上で、失敗しないように、失敗しても出来るだけ早く立ち直れるようにフォローするのが、本物の愛情だ。役人もアニメーターも同じ立派な職業なのだから。息子の人生は息子だけの物で、親の物ではないのだから。
 
それに対し、息子の希望を頭から否定し、親が望む出世コースに無理やり乗せようとするのが、ニセモノの愛情だ。一見、息子の将来を心配しているようで、実際は息子の事なぞどうでも良く、親自身の出世や経歴に傷がつくのを恐れているだけなのだ。本当に息子の事を思うなら、息子が変な差別意識を持ってしまったり、人格にゆがみが生じるリスクも考慮せずに、息子に出世コースを無理強いしたりなぞはしない。
 
農水次官一家の愛情も、そんなニセモノの愛情だった。母親はアニメーターという職業を蔑み、父親も蔑んで周囲に息子の事は一切語らなかった。彼らにとっては、役人になり出世する事が第一で、息子はその顕示欲を満たす道具でしか無かったのだ。愛したのは息子ではなく自分の経歴だった。
川崎のスクールバス襲撃事件の場合も同じだ。伯父夫婦は地元では名望家として名が通っていた。息子はその経歴に傷を付ける存在でしか無かった。だから実の兄姉とは扱いに差を付けていたのだ。
 
私の実家も農水次官の家庭と非常によく似ている。私は3人兄弟の次男として生まれた。他に兄と妹がいる。私は未熟児として生まれ、体力が無かった所為か、子どもの頃はよく虐められた。勝気な母親は、そんな私に対して、「何故やり返さないのか?」とよく憤慨したものだ。
父親も、最初は父親似の息子だと可愛がってくれたものの、やがて反抗期になり、父親と些細な事で喧嘩してからは、「こんな計算も出来ないのか」と殴られるようになってしまった。
 
私は中学生になると、次第に政治に目覚め始めた。地元の堺泉北コンビナート公害反対運動の影響もあって、共産党や社会党、新左翼などに次第にシンパシーを抱くようになった。父親は、そんな私を更に疎んじるようになる。
やがて大学生となり、文学部の史学科に進学した私は、史的唯物論やマルクス経済学の本も読むようになる。幼少期に受けた虐めも、学歴差別や経済格差によるもので、階級支配による差別が無くならない限り、虐めも無くならない。それを大学で学んで、初めて私を苦しめていた物の正体が分かった時の感激は今も忘れられない。
 
しかし、そんな私に対して、父親はどういう態度を取ったか?府庁の共産党員に勧められ、嫌々取らされた「しんぶん赤旗」を、私には読ませないようにした。もう大学生で、どんな新聞を読もうと個人の自由なのに。そして、どんな本を読んでいるのか、私の留守中に一々詮索するようになった。その手法たるや、まるで今の中国の情報統制と同じだ。
いつぞや、地元中学の虐め事件で、事件の隠蔽を図ろうとする校長・教頭に抗議する教組のビラが私の実家にも投函され、虐め事件の事が食卓の話題になった際も、親父は教職員組合をアカと詰るばかりだった。それを諌めた私が「民主教育」という言葉を口にしただけで、それに異様に反応し、いきなり激昂する始末だ。
 
その後、私は父親の薦めで一時期、教職の道に進む事になる。地理や歴史が好きで、史学科に進学した私に対して、「史学科では教師になるしかない」というのが父親の見立てだった。私は、そんな親父の思惑とは別に、当時テレビ放映されていた金八先生や熱中時代のドラマに魅せられ、私も武田鉄矢や水谷豊が演じるような教師になりたいと思い、私立高校の社会科常勤講師になった。
 
その私立高校は、当時は組合もないブラックな職場だった。私はそこで意に添わぬ生活指導の教務まで持たされ、生徒の服装チェックの為に、毎朝校門に立たされた。封建的な職場で、新米教師は毎日お茶汲みするように言われた。
私はそれに反発するかのように、社会科(政治経済)の授業で、いきなり憲法9条や有事法制の解説を始めた。
しかし、教科書の漢字もまともに読めない低学力校で、いきなりそんな授業をした所で、空回りする事は目に見えている。私も、自分の価値観を一方的に子どもに押し付けているという点では、父親と同じだった。
 
一年限りで教師を辞めた私は、先輩の薦めもあって生協に就職する事になる。暮らしと平和を守る為に、食料品や雑貨の配達だけでなく平和運動にも取り組んでいる生協は、まさに私にとっては打って付けの職場だった。少なくとも当初はそう思われた。
しかし、民主的な職場だと思われた生協も、内部では軍隊式の規律で運営されていた。共同購入の配送では1コースに何十班も持たされ、帰って来ても組合員拡大や利用高アップの目標を達成するまでは、深夜になっても帰る事が許されなかった。勿論、全てサービス残業だ。
私は支所の商品管理担当(倉庫係)に物流センター勤務と、配送業務には直接関わらなかったので、目標達成のノルマや配送事故の総括会で上から詰めまくられる事は無かった。しかし、それでも虐めにもあったし、最後は人減らしの中で終電間際までサービス残業で働かされた。その中で、「このまま生協にいたら過労死させられる」と思い、生協を退職した。
 
保守的な父親は、そんな私に対して、最初はなんとか出世街道に引き戻そうとした。生協に就職して一年目の、これから仕事を山ほど覚えなければならない私に、再び教員採用試験を受けさせようとしたのだ。それも私に直接言うのではなく、母に泣き落としさせて。「あんたが受験しなければ私がお父ちゃんから叱られる」と母に泣きつかれ、教員採用試験の受験だけはする事にした。そして日曜日の受験日に、わざと白紙答案書いて出してやった。
大阪府庁勤務のコネを生かして府教委に手を回していた父親も、白紙答案では下駄の履かせようもない。それで、私の意志が固い事を知った父親は、ようやく私に干渉するのを諦めた。
 
生協退職して数年後に、私は今の運送会社に転職し、業務請負先の某大手スーパー物流センターで働く事になった。非正規雇用なので月収は生協時代の3分の2ほどしかない。私の勤務先も、世間の目からすれば、常に人手不足に悩まされるブラック企業でしかない。
私はそこでも色々あった。虐めやパワハラも受けた。しかし、そんな職場でも、何がきっかけで幸いするか分からない。
私の場合は、職場環境の悪化を機に、個人加盟の労働組合に入り、会社とサシで団体交渉に臨んだ事がきっかけだ。団交そのものは散々な結果に終わったが、これを機に、次第に物怖じしない人間に変わっていった。
 
そうすると不思議な物で、やがて仕事でも評価されるようになり、味方に付いてくれる人も増えていった。幾ら民主的と言われる職場でも、内部が腐っていたらブラック企業と同じだ。逆に、幾らブラックだと言われる職場でも、自分自身が変われば周囲も変わる。それは、もし私が順調に出世街道を歩んでいたら、決して出会わなかったであろう、貴重な経験だった。
 
しかし、私がそんな経験を積んでいる事も知らない親父は、兄妹が結婚して独立し、お袋も亡くなり、実家で親父と2人きりになった私に対して、再び干渉して来るようになった。昔は教職への道を押し付けて来たが、今度は結婚を強要するようになった。
実家の近所に住んでいるというだけで、まだ付き合った事もなく顔も知らない整体師の娘さんと、いきなり「結婚しろ」と言って来たのだ。その娘さんは目が不自由だ。私がその方を支え切れる自信も無かった。それ以前に、全く見ず知らずの人と、いきなり「結婚しろ」と言う事自体が異常だ。幾ら何でもそれは論外なので、「何故そこまでしてまで結婚に拘るのか?」聞いたら、「あほう、お前もう年幾つだと思っているのか?」と抜かしたのだ。
 
阿呆なのは一体どちらか?別に何歳であろうと、独身や非正規であろうと、そんな事で人間の値打ちが決まる訳がないだろう。どんな人間にも基本的人権はある。皆んな平等に自由に生きる権利がある。
親父に対しては他にも言いたい事がある。私の事を「ただのんべんだらりと生きてきた」と何度も言うので、社内表彰された事を言ったら、「たったそれだけしか、お前には自慢する物がないのか」と抜かしたのだ。
親父にとっては出世が全てなのだ。息子の幸せよりも、息子の出世で自分に箔が付く事の方が大事なのだ。教職の道に異常に拘ったのも、決して息子の将来を案じたからではない。自分の経歴に傷が付くのを恐れたからに過ぎない。
 
はっきり言って、ブラック企業でも労働組合に入って団体交渉も経験した私の方が、社畜の人生しか知らない親父よりも、よっほど人生経験豊富だと思っている。下手すれば私も川崎や練馬の事件と同じような事をしていたかも知れない中で、犯罪に転落する事もなく、むしろここまで人生を挽回できたのだから。別に褒めて欲しいとは思わないが、少なくとも貶されなければならないような覚えはこれっぽっちもない。遂に私は親父と衝突し、実家を出る事になった。
 
しかし、親父は何故それほどまで出世や結婚に拘るのか?その理由も何となく分かってきた。
それは、この日本においては、まだまだ「家父長制」の名残りが残っているからだ。「家父長制」と言っても今の人はピンと来ないかも知れない。そういう人は、NHKの朝ドラ「まんぷく」の中で、ヒロイン今井福子の母親が、ことある毎に「私は武士の娘なのに(あなたと来たらもう…)」と愚痴る場面を想像して欲しい。このように、ひたすら家柄や出世に拘るのが、家父長制下における家族の姿だ。
 
それに対し、映画「万引き家族」に登場する家族は、まるで正反対だ。親父は失職して万引き稼業。妻も実は子どもをさらって育ててきた。祖母も独居老人という事で支給された年金を詐取して家族を養っていた。妹は風俗店のイメクラに勤務。果ては夫婦で共謀して、亡くなった祖母の遺体を自宅の庭にこっそり埋め、年金を引き続きだまし取ろうとする。それがバレても、ケガで入院中の息子を放ったらかして自分達だけ夜逃げしようと図る。
そんなトンデモな家族でありながら、他方では捨て子を拾って家族同然に育てようと必死になる。そうして、皆それぞれが健気に助け合って生きようとしていた。
 
どちらが、より人間的な家族か?後者の「万引き家族」の方が、より人間的であるのは明らかだ。実は江戸時代以前の日本では、こんな家族の方が一般的だった。幾ら「武士の娘」と強がった所で、武士階級自体が当時の人口の1割にも満たなかったのだから当然だ。
「万引き家族」の例が極端だと言うなら、漫画「じゃりン子チエ」の家族を引き合いに出しても良い。およそ経歴や家柄とは無縁の、こんな家族が一般的だった。
 
それが何故、農水次官やうちの親父みたいな家庭ばかりになってしまったのか?明治時代以降に、国家による支配機構の末端に家族が組み入れられていったからだ。その中では、家督(一家の財産)相続権を持つのは家長(世帯主)の父親だけだ。だから「家父長制」と言うのだ。父親から家督を相続できるのも長男だけで、女や次男坊以下の男は一人前の人間とは認められていなかった。家族の中にも厳然と身分制度があったのだ。
 
その身分制度の頂点に天皇がいた。そうして、政府の進める富国強兵政策を下支えする兵士や貧農、貧しい労働者の供給地として、家族が支配機構の末端に組み込まれていったのだ。今も回覧板の形で残る「隣組」が、その名残だ。親父が経歴や体面にばかり拘り、私にひたすら恭順を強いようとしたのも、国家による家族支配の中では、そうしなければ非国民として後ろ指をさされかねないからだ。
 
主戦場」という映画がある。慰安婦問題を取り上げた映画だ。その中で、「テキサス神父」と呼ばれる右翼の米国人が、日本の右翼に媚び入って、米国にある慰安婦像に紙袋を被せる場面が出てくる。私はそれを見て確信した。これは慰安婦だけの問題ではないと。
 
奴らが紙袋を被せて存在自体を無き者にしようとしたのは、別に慰安婦だけではない。ハンセン病患者も、戦争遂行の足手まといとして、隔離され断種手術が強行された。そして、反戦平和を唱えた者だけでなく、特攻・玉砕を忌避した者も、アカや非国民と呼ばれ、片っ端から豚箱にぶち込まれた。その挙句に、学童疎開以外は空襲下でも避難を禁じられバケツリレーを強要された。だから、何十万人も空襲で焼け死ぬ事になったのだ。
 
その戦争の犠牲と引き換えに、戦後、ようやく日本国憲法が施行され、基本的人権や男女平等、8時間労働制もやっと認められるようになった。ところが、21世紀も佳境に入ろうとする今頃になって、再び日本を戦前のような国にしようとする勢力が、またぞろ台頭しつつある。
そいつらは、日本国内では「慰安婦なぞいない。あれは唯の売春婦」だと言いながら、韓国には「もう賠償金は払ったではないか」という理屈で抗弁する。「慰安婦なぞ最初からいなかった」と言うなら、最初から賠償なぞする必要も無かった筈だ。ところが韓国や米国にはそこまで言えず、「賠償は済んだ」としか言えない。これだけ取って見ても、そいつらの主張が、いかにその場しのぎのご都合主義で、歴史の検証に値する代物でないか分かろうと言うものだ。
 
憲法改正を巡る安倍政権の主張も同様だ。普段はあれほど憲法改正を叫びながら、いざ解散総選挙になった途端に、憲法改正の主張は後景に退けられ、消費税増税や教育無償化の是非に争点がすり替わる。しかも、消費税増税すると今まで言っておきながら、選挙では増税凍結を主張する厚かましさだ。そんな「争点隠し、争点そらし」で議席を掠め取っておきながら、選挙が済んだ途端に「増税も改憲も認められた」と居直るのだ。
 
そんな詐欺まがいの安倍政権であるにも関わらず、支持率が6割に及ぶのは何故なのか?安倍に逆らえば非国民と呼ばれるのを恐れているからだ。だから、増税凍結や教育無償化が方便に過ぎない事を国民も薄々感じながらも、「長い物には巻かれろ」で安倍政権を渋々支持しているのに過ぎないのだ。
 
その犠牲になるのは一体誰なのか?慰安婦やハンセン病患者だけではないだろう。ごく僅かの最低賃金引き上げと引き換えに、タダ働き合法化(高度プロフェッショナル法案)を強行可決され、定年延長と引き換えに「公的年金や生活保護にばかり頼るな。私的年金や投資にも金をつぎ込め。ダブルワークもやって死ぬまで働け」と強要される大多数の国民だ。そんな事態を前にして、経歴や体面ばかりに拘って一体何になる?そんな下らない事に拘るよりも、むしろ、そんな下らない事で人を差別したり差別されない世の中にする事の方が、よっぽど大事で必要な事ではないか。
 
引きこもりも、その中でこそ初めて解放されるのだ。そんな世の中を作る事こそが、私の人生最大の目標である。そして、その夢を実現する場こそが、私の主戦場である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする