週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ シー・シェパード

2011年02月19日 22時25分42秒 | たわごと(少し硬派に振って)
爽やかな原村からの記事ではありません、後味の悪い記事かも知れませんよ。
スルーするも良し、読むも良しですが、気分を害するも害しないも読むかたの責任で・・・。


昨日、農林水産省が今年の調査捕鯨を中止することを発表した。

自分は捕鯨論者でも捕鯨禁止論者でもない。
強いて言えば、人類の食料の多様性と地球上の動植物に配慮した消極的な捕鯨賛成論者かもしれない。

日本人だからと言うわけではないが、シーシャパードの妨害行為には憤りを感じる。
地球上で一番大きな哺乳類である・・・鯨。
その知能からしても生態からしても愛すべき存在であることに異論はない。
その愛すべき対象物である鯨を如何なる名においても捕獲すべきではない。
そのような主張には理解できないでもない。
国際捕鯨委員会(IWC)の構成国家が全く捕鯨をしたことが無い国が多くなり商業捕鯨が禁止されるに至った。
白ナガス鯨等絶滅が心配される種が存在することも確かである。
種の保存が学術的に研究されてその生息数が解明されるべきである。
その経費を捻出するためにも、調査捕鯨で採取した鯨肉を販売しているのである。
それが、商業捕鯨と変わることが無いと非難する口実を与えている。

日本人は鯨肉を食べるが欧米人初め沢山の方達が牛を豚を羊を食しているではないかと言う気持ちはない。
道交法違反者が他の人もしているではないかと言う理論を使う気はない。


それでもシー・シェパードの違法な妨害行為に屈して調査捕鯨を中止することが納得できない。
違法な妨害行為に起因しないで調査捕鯨を中止するならば賛成できたかもしれない。
グリーン・ピースから派生した暴力的な活動を行うシー・シェパードの行為は決して許容することはできない。
その違法かつ暴力的なテロ行為に屈しての調査捕鯨が中止される事が納得いかないのである。
日本人の生命財産が犯される行為に屈して中止する事に決した日本政府の行為が許せないのである。
主権を侵害してまでの暴力的なテロ行為を許容するが如くの決断が許せない。
日本人の生命財産を守るべく海上保安庁の巡視船などを派遣するなどの行為もおこなっていない。
日本政府は違法行為に対して自国民を守る事もせずにしっぽを巻いて屈するとの誤った情報を与えることが許せないのである。
国家の主権をいかにしても死守するとの強い信念を持たない政府が許せない。

北京の日本大使館に北朝鮮からの脱北者が逃げ込んで来たことがあった。
ニュースのVTRの画像を見ると、日本大使館の職員が中国の警察官が大使館の敷地内に入って脱北者を連れ出していく行動に異を唱えるのではなく、協力しているのである。
その外務省職員(大使館員)の行動に目を疑った。
中国の公権力が日本の主権を侵している事になんら異を唱えないのである。
そんな日本であるから、主権を守るべく巡視船を派遣する考えを持たないことに驚きはしないが、こんなことで良いのだろうか。
真に鯨を愛し食生活の中から排除するために調査捕鯨を中止するなら賛成できたはずである。

シー・シェパードの活動資金は活動の賛同者たちの寄付金で賄われている。
その寄付金は暴力的な違法行為を行えば行うほど募金の金額が増えると言う。
好むと好まざるに関わらず、今回の件でシー・シャパードの活動資金は潤沢になるのである。
テロ活動と言っても良い事が、国際的に是認されたしまうのが納得できないのである。
シー・シェパードの活動家はこの潤沢な資金を得るための活動家になっている可能性も否定できない。
資金を得るための職業の一環であり、自然保護と言う隠れ蓑に包まれた集団に他ならない。
和歌山県の太地町でのイルカ漁でも問題になっている。
紀伊半島には三度ほど旅行したことがあり太地町にもお邪魔した。
歴史的に営まれた来た漁については、国際的に許されてきている。
捕鯨と長い付き合いのある日本。
でも、国家、主権と言う立場でテロに対峙してほしいと願ってしまう。
コメント (2)
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#029 -’11. 別荘VS宿泊施設

2011年02月19日 07時00分01秒 | 別荘生活
”別荘”と ”旅館やホテル等の宿泊施設”についての考察。
考察と言うほどの学術的なものではないが、ぴったりの語彙が浮かばない。

別荘はどっかりと大地に根を張り移動することが出来ない。
従って、利用するときはいつも同じ場所になる。
それゆえに、別荘地を購入するとき自分の想い抱く別荘ライフに合った地を真剣に探すのが普通だ。
それでも、なかなか自分自身のイメージに合った土地を見つけられないのが現実。
そんな中に在って自分の考えに合った地に居を構える事が出来た方は幸せである。
金に糸目を付けずに探す事が可能なら、その可能性は高くなるが、それでも時間は掛かてしまう。

大地に根を張る別荘は、見える景色はいつも同じ。
季節ごとの自然の営みも四季という大きなサイクルの繰り返し。
新しい小さな発見があっても大きな自然のうねりの反復である。
別荘は近所の観光地巡りをする為の宿泊施設にもなるが、その大きな目的とするところは別荘に来ること自体が目的。
都会の喧騒から離れて心も体もリフレッシュして都会に戻っていく。

それに引き換え、観光地巡りの拠点を大きな目的を置くのであれば、所有権の伴わないリゾート会員や旅館やホテル等の宿泊施設の方が利用価値は高くなる。
冬はスキーへ。
それも色々のスキー場に行き色々のゲレンデで滑って見たくなるのが人情。
春になれば桜を。
夏には海へ、また避暑をかねて高原へ。
秋は紅葉や温泉など。
大地に根を張っていない強みだ。
季節季節に思いの地に向かう事ができる。

行った事のない地へ足を向けたくなるのが自然な成り行きで、日本地図の空白を埋めたくなる。
それが人類の進歩の源であった新しい事を知りたくなる知識欲の発露の結果かもしれない。
それこそ、日本地図に止まらずに世界地図に足跡を残したくなる。
知らない世界を覘いて見たくなる。

別荘とホテルや旅館などの宿泊施設との中間的な目的の施設が台頭し始めてきた。
以前から貸別荘なるものはあったが、ホテル・旅館・ペンションなどが長期間に亘り一般の宿泊より勉強して部屋貸をする形式がそれである。
ホテルや旅館などの宿泊施設が別荘的に貸し出すときは、料理が付かなかったり、1週間以上の逗留などを条件とすることがあるが、一般の宿泊より格安に提供する。
所によっては設定条件は色々あるから、自分の考えの近い所に決めるのも一つの方法。
企業単位や職場単位の団体旅行が流行らなくなった昨今、大きなホテルや旅館も稼働率アップの為に色々模索している。

今年は高原で長期の宿泊を。
来年は海岸で長期の休暇を、と願いたいところであるが、年休が沢山有っても消化しない国民性なのか。
それとも、消化するだけのインフラが整って居ないのか。
自己所有の別荘であれば、予約などの煩わしさは無い事は確かである。
でも、長期でなくても相談にのってくれる旅館もペンションも出始めてきている。
考え方を変えてみれば、上げ膳据え膳でなくても賢い選択かもしれない。
同じ所でないことが大きな魅力である。

近年の道の駅の充実によりキャンピングカーでの旅行者も多く見かける。
根を生やしていないで、移動できると言う事は別荘には無い大きな大きなメリット。
キャンプサイトでテントを張り、旅行するのも楽しいし、道の駅は簡易キャンプサイトのような便利さがある。

価値観の多様化する現在の社会にあって、沢山の余暇の過ごし方があって良い事は勿論。
旅館で美味しい料理を頂いての旅も。
キャンプサイトで楽しい料理を作り屋外で食事をする旅も。



どんなに素敵な旅館で美味しい料理を食べても、自宅に帰り着くと「ヤッパリ我が家が一番と」思う事がある。
でも、別荘から帰りついても「ヤッパリ都会の我が家が一番と」思った事は一度も無い。
次回、別荘へ行ける日を指折り数えてしまう魅力があることも確かである。
コメント (2)
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