週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#169 -’24. 我が家の草花(6月29日)

2024年06月30日 13時11分50秒 | お山の日記

我が家も通路など草刈りをしなければならない状況です。

今回は、可憐な花を咲かしている物と実を付けだしたブルーベリの写真です。

1 最近見かけなくなっていたウツボグサを見つけました。

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3     ウツギが咲いていました。

4     ウツギを アップして。

5    通路に咲いているミヤコグサです。

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7     以前は、至るところにあったシモツケですが、今はここだけになってしまいました。日当たりとか半日陰とか植物の植生は不思議です。

8 調べた感じではイボタノキの様です。

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10     今年も、ブルーベリーが沢山の実をつけました。鳥さんのエサにならないうちに収穫できると良いのですが。

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13 キッチンから裏庭を一枚撮影です。太くなる前に伐採せねば経費がかかります。前年は伐採する経費で20万弱掛かりました。太い木や建造物に影響する木々は自分では切る技術もありません。また、自己の敷地内と言えども一定の大きさの木は伐採するために手続きが必要ですし、経費も掛かります。ですから、大きくなる前に切り倒す事にする積りです。

20 パイオニアの木と言われる使い道のない白樺です。燃料として長時間持つものではありませんが、燃焼は簡単です。ストーブの火付けの柴の次に使用するにうって付けの木です。長時間燃える木では無いので睡眠時の薪ストーブにくべる木ではありません。

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#168 -’24. 原村ナウ(6月29日)

2024年06月29日 08時23分46秒 | お山の日記

渋滞を回避して朝一番に原村へ出発です。  月に一度の訪問を証明する領収書が必要です。(税制上の減額を受けるたまに)

1 午前5少し前に我が家を出発してスタンドに寄る事も無く、調布ICを通過しました。我が家は左方向で八王子方面です。右手は首都高速4号を通り新宿方面です。(記録として定位置で撮影して時刻を収めています。午前5時10分です。)因みにキロポストは8キロです。

2 定位置の八王子料金所通過です。(午前5時21分、キロポストは26キロです。)

3 笹子トンネルを抜ける迄所々で霧雨とも弱い雨ともつかない天候でした。大月JCT手前です。(5:44)

4 左手に雲海とも雲ともとれる中を小淵沢に向かいます。(6:22)

5 同じ6:22撮影です。

6 韮崎・須玉間の橋梁工事だと思いますが、対面交通が始まります。6:22

7 下り車線を左側車線を下り、右側車線を上り車線としての一車線の対面通行です。6:24撮影。

8 未だ一車線通行ですが、片側2車線の復帰する直前です。同じ。

9 南アルプスの山々にたなびく雲海です。同じ。

10 須玉IC直前です。6:26

11 我が家が中央道から降りる小淵沢インターに向かう所です。6:35分に通過です。

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13 信玄公の甲斐の国から信濃の国に通じる信玄棒道を横切た辺りです。

14 富士見町の歓迎ゲートです。

15 リッター、12キロです。標高を上って来たとは言え悪すぎる見もします。

16 到着時の外気温は17℃でした。到着時刻は6時55分です。休憩は境川PAで一度のみです。自宅を出て約2時間でした。

17 敷地内は緑が多い茂っています。

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#167 -’24. 黄檗宗 大本山 萬福寺を参拝して(その一)

2024年06月28日 15時36分08秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

今回は平等院から京阪電鉄の宇治駅に向かい始発電車に乗って黄檗駅に向かいました。個人的には良く知らない萬福寺ですから、期待もそれ程ではありませんでした。しかし、京都府宇治市にある日本三禅宗の一つ黄檗宗の大本山の萬福寺である事を知りました。

HPから一部次に引用させて頂きます。

隠元隆琦禅師は日本からの度重なる招請に応じて、承応3年(1654)、63歳の時に弟子20人他を伴って来朝。のちに禅師の弟子となる妙心寺住持の龍渓禅師や後水尾法皇、そして徳川幕府の崇敬を得て、宇治大和田に約9万坪の寺地を賜り、寛文元年(1661)に禅寺を創建。 したそうです。

正式には『黄檗宗大本山萬福寺』です。

萬福寺と黄檗宗

黄檗山萬福寺は1661年に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺(おうばくざんまんぷくじ)」と名付けました。

当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが幕府の政策等により、明治9年、一宗として独立し「黄檗宗」を公称するようになりました。日本でいう「禅宗」は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。

他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残しているということが挙げられます。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。朝夕のお勤めをはじめ儀式作法や法式・梵唄(太鼓や銅鑼など様々な鳴り物を使い読まれる、黄檗宗独特の節のあるお経)にはその伝統が受け継がれており、今日の中国寺院で執り行われている仏教儀礼と共通する部分が数多く見られます。

A 萬福寺のHPから萬福寺・七堂伽藍を引用させて頂きます。

 

B 七堂伽藍(境内図)の説明文の一部を引用させて頂きます。

 

1 中央の一部を高くして重文の総門です。漢門とも呼ばれる独特な総門です。

2 由緒が総門脇にしたためられていました。

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5    三門です。

6     境内に縦横に走っている参道は、正方形の平石を菱形に敷き、両側を石條で挟んだ特殊な形式であり、龍の背の鱗をモチーフ化したものです。

7 萬福寺と黄檗宗で書かれていますが、こちらは「萬福寺」 額 隠元書 です。日本で言う「禅宗」は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分かれています。

8 こちらは十六羅漢像に二つプラス『慶友(けいゆう)尊者賓頭蘆(びんずる)尊者』した十八羅漢像です。写真は羅睺羅尊者(らごらそんじゃ)です。本物のように見えますが、実は顔出しパネルです。

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10 寺院の最高権威者を指す住持のみ歩く事が許されると事とは今知りました。

11   天王殿です。四天王と弥勒菩薩と韋駄天が祀られています。

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13 弥勒菩薩の化身といわれる布袋様です。その徳の高さから布袋さまは、いつしか中国の弥勒菩薩信仰と交わって「弥勒菩薩の化身」といわれるようになりました。現在でも中国や台湾では「弥勒」と呼ばれており、萬福寺の布袋尊が「弥勒菩薩」とされる由縁です。

14 広目天です。

15 多聞天です。

16 韋駄天です。

17 持国天です。

18 増長天です。

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22 禅問答的な問いかけを感じる「こころととのう一分間」。急ぐ時こそここりにゆとりを持ち心整う一分間を実践したいものです。

23  伽藍堂本尊の華光菩薩像。その前に立つのは、三国時代の武将関帝です。

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26   食堂を禅悦堂ともいいます。額は木庵の書

 

27 雲版(うんぱん)です。朝と昼の食事と朝課の時に打つものです。

28  こちらは 開梆(かいぱん)です。日常の行事や儀式の刻限を知らせます。

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#166 -’24. GALA concert 他、(HIMARI & 夏帆)

2024年06月26日 20時39分54秒 | You Tube (音楽)

HIMARI さん&夏帆さんのCDは販売されていないようで、ユーチューブ動画をブログの下書き状態にして、時々再生して聴いています。

前回無意識にアップしてしまい、下書き状態に戻しました。今回はアップする意思で上げていますが、前回はご迷惑をおかけしました。折角、リアクションなどポッチとして戴いた善意を無にしたことが気になっていました。晴れてアップさせて頂きます。

そのⅠ (夏帆さんのGALAコンサートです。)

2016-2018パート2。2019年6月12日。サンクトペテルブルク国際くるみ割り人形コンクール受賞者のガラコンサート。グリンカ礼拝堂ホールの非常に歴史的なステージで、サンクトペテルブルク・カペラ交響楽団(指揮:アレクサンダー・チェルヌシェンコ)の伴奏により、「子供 - 若い音楽家のためのくるみ割り人形国際テレビコンクール2016-2018受賞者」が演奏されます。請負業者:2016年くるみ割り人形銀賞受賞者、バイオリニストのテオ・ゲルトラー(スロバキア)、 2018年銀のくるみ割り人形受賞者のクラリネット奏者ソフィア・メホノシン(ロシア)と、2018年金のくるみ割り人形受賞者は、ユーフォニアムを演奏するピアニストのイヴァイロ・ヴァシレフ(ブルガリア)と、バイオリニストの村田夏妃(日本)。コンサートプログラムには、F.メンデルスゾーン、K.M.フォン・ウェーバー、I.S.バッハ、O.ベーメ、V.A.モーツァルトの作品が含まれています

GALA concert of the Laureates of the International Nutcracker Competition 2016/18..№ 2.Final plaudit

そのⅡ(HIMARI Violin Recital  2024 です。)

HIMARIさんの初リサイタルが先日発表されました。

気になるのはチケットの発売日時です。

2024年7月14日午前10時です。ゲットできるように頑張らねば。

そのⅢ(PCで音楽を聴く時に使用しているスピーカーです。)

海外旅行の帰国の機内で免税で買ったスピーカーです。スイスの国旗が箱に印字されていますので、スイス製かも。PCで音楽を聴く時はこちらのドラムバスⅢメタリックスピーカーを使用しています。PC音源よりこちらのスピーカーが音質が格段に良くなりますので、こちらを利用しています。それと気に入っているのが金属を削りだした金属感が何とも言えずに気に入っています。音量をそれ程大きくしていません。質量が大きい分、スピーカーが余分に共振したり振動することなくクリアーの音質を醸し出してくれている感じています。

小さい巨人と言った所でお気に入りです。

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#165 -’24. 宇治川を渡り黄檗へ(追補版)

2024年06月25日 22時12分34秒 | 日常の出来事(日記)

先にアップした#165 -’24. 宇治川を渡り黄檗へのスレッドに大きく加筆しましたので、(追補版)としてアップしなおします。

加えた文字は赤字になっています。

A A~Cまでは宇治市のHPからの引用です。A・B・C共にスクリーンショットで借用したものです。

源氏物語宇治十帖と響け!ユーフォニアムシリーズのコラボだそうです。

宇治市×京都アニメーション 「響け!ユーフォニアム3」と「源氏物語 宇治十帖」の世界がコラボした描き下ろしイラストが完成!!

B

 

C

 

D こちらは京阪電鉄のHPからの引用です。

次からは以前にアップした物です。所によっては加筆(赤字)している所もあります。

宇治の平等院から次に向かうのは、黄檗宗大本山萬福寺です。

最寄り駅は黄檗(おうばく)です。、宇治川を渡った京阪電鉄の宇治線の始発駅の宇治駅に向かいました。JRで奈良線に戻るのでは芸が無いので、変化をつけました。写真撮影をし損ないましたが、アニメ風のキャラのイラストがあり、宇治駅を撮影しておけばよかったと思った程でした。

それではと、宇治市と京阪電鉄の京都アニメーションのアニメイラストをアップさせて頂きました。

1 次の三室戸、その次の下車駅の黄檗です。

2 欄干の左前方に見える丸窓に十字の建物が京阪線の宇治です。欄干の上に載っているのは擬宝珠です。

3 宇治川です。奈良は左側で京都は右手側です。

4 後少しで渡り切ります。宇治橋の上のバスなどが通る車窓と歩道を分けている緑は、宇治ですから勿論お茶の木です。お茶の葉を紡ぐのでしょうか。

5 案内板の先の鉄橋はJR奈良線です。

6 宇治駅を撮影しているのにイラストは撮影していませんでした。追補版で京阪電鉄と宇治市のHPから

7 黄檗駅で降りて萬福寺迄来ました。萬福寺の道を挟んだ所にある由緒ある井戸です。

龍目井(りゅうもくせい)です。HPによると。

総門前の古井戸は寛文元年(1661)の冬に隠元が掘らせたもので、萬福寺全体を龍に例え、この井戸を龍の目と見立てた。天下は龍衆であり、良き知識人がこぞってこの寺に集まるようにと祈願されたものという。なお総門を龍の鼻づら、宝珠を口、石条とよばれるひし形の敷石を背中のうろこ、廊下の蛇腹の天井を龍の腹とみなしたという。

8 黄檗宗大本山萬福寺に着きました。自分は入るまでこれ程由緒ある大きなお寺とは思ってもいませんでした。

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#164 -’24. 平等院の阿弥陀如来坐像を遠望し

2024年06月25日 10時34分46秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

阿弥陀如来坐像を池越しに遠くから拝観します。

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4 阿弥陀如来坐像の御尊顔を丸窓越しに見る事ができます。

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7 10円硬貨に載っている方向を正面から見た姿とすると、裏側に廻り始めた所です。

8 ミュージアムに入ります。

9 裏側から平等院を観ています。

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12 平等院の塔頭の浄土院です。

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16 先に見える二つの橋は鳳凰堂に入る時に渡った橋です。しいて言えば裏から見ている事でしょうか。

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21 門を潜り表参道へ。

22 宇治川に架かる橋の袂に紫式部の像が佇んでいたところは小さな公園に成っています。その名は夢の浮橋ひろばです。この橋を渡り来た時のJR宇治と反対の京阪宇治線の宇治駅に向かいます。次にお邪魔するのは萬福寺です。

P.S. 鳳凰堂に入る為の待ち合わせ場所近くの藤棚です。藤の花が咲いていないので、分かり難いとは思いますが。

 

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#163 -’24. 平等院鳳凰堂内部拝観して

2024年06月24日 10時01分28秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

ホテルをチェック・アウトして荷物を預けて奈良線に乗って宇治の平等院にむかいます。以前にもお邪魔していますが、今回は鳳凰堂の内部拝観です。池の外縁から平等院を眺めても素晴らしいですが、今回は鳳凰堂内部に鎮座している阿弥陀如来坐像を直接拝観して説明をうけました。

HPから引用させて頂きます。

平等院・阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)

仏像(平等院・阿弥陀如来)の特徴

平安時代中期に藤原道長・頼通に重用された大仏師・定朝の作であると確証がある唯一の仏像である。定朝は優美な和様彫刻の大成者であり、寄木造の完成者で あるが、この像は完成した寄木造の最古の実例である。阿弥陀如来の表情はやさしく穏やかであり、定朝の作風の特徴を伝えている。後背には頭部と体から放た れた光を表わした二重円光(にじゅうえんこう)の周りを音楽を奏でる飛天(ひてん)が舞っている。
鳳凰堂内に祀られた阿弥陀如来坐像の頭上には円形と方形の金色の二重天蓋が吊られ、同じく堂内の南北の壁には高さ50センチほどの52体の雲中供養菩薩像 (うんちゅうくようぼさつ)が取り付けられている。また壁扉面には九品来迎図(くぼんらいごうず)が描かれていて、鳳凰堂全体として極楽浄土を表現してい る。
 
 
機会がありましたら大仏と丈六の違いについて調べて見て下さい。大仏等と無意識に使っていますが仏様に対する親近感が増すかも。
 
阿弥陀如来坐像を取り囲むように壁に配置されている雲中供養菩薩も素晴らしかったです。鳳凰堂の内部に関する写真は撮影不可なので、鳳凰堂から池方向を撮影した写真をアップします。
 
1 我が家の平等院鳳凰堂内部拝観券の指定時刻は午前10時30分の回です。少し外で待ちました。
 
 
2 前の前の方達が係りの方から注意や説明を受けていました。
 
 
3 朱色の橋を渡ると平等院鳳凰堂です。
 
 
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6 中学高校の生徒さんたちの修学旅行の定番の観光地です。
 
 
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13 説明を聴いて国宝の阿弥陀如来坐像を拝観して外に出てきました。
 
 
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#162 -’24. グランヴィア京都での朝食後に宇治へ

2024年06月23日 13時13分47秒 | 国内旅行

朝食込みでの予約ですが、朝食会場でもラウンジでも食事を摂る事が可能でした。

我が家が選択したのは、ノンビリしたラウンジでの食事より料理の種類の多さとボリュウムで会場を選びました。家内はパン好きですから、ラウンジでユッタリした朝食でも良かったみたいですが、自分は質より量と言うか種類の多い朝食会場を選択させて頂きました。

1 今回はカフェレストラン  ル・タン(LE TEMPS)で頂く事にしました。ル・タンでもパンやシリアル等、欧米人の好む食事も準備されていました。こちらの朝食会場では8割~9割方欧米人でした。それも少し歳を召された団体客の様です。知っている方同士あちこちで挨拶していました。

2 朝食会場の一つです。

3 定番の納豆はご飯にかける事無く単品で頂きました。

4 案内された席が窓側ではありませんでした。窓と言ってもエレベーターが見える窓側です。京都タワーのビルが見える位置です。

5 最近、必ずしも朝食時に牛乳を頂きませんが、ホテルなどだと必ず手が伸びます。

6 朝から鯛茶漬けを頂きました。ゴマや海苔は自分の好みでトッピングしたと思います。だし汁を掛けて美味しく頂きました。大好きですし、美味しかったですし、大満足です。

7 二人分の別腹です。

8 めちゃ混みするバス乗り場もこの時間帯ですと空いています。

9 部屋に戻りチェックアウトして荷物を預けて、奈良線に乗って宇治の平等院の鳳凰堂の拝観に伺います。

10 こちらの改札から入ると奈良線は反対側でした。

11 奈良線には各駅停車とみやこ路快速が並んで電車は入っていました。普通ですと快速が混む筈ですが、観光客の目当ては伏見稲荷大社のようです。大人気の最寄り駅でも各駅停車しかとまりません。既に各駅は激混みでした。9分後に出発する快速ですが、二人掛けで座る事が出来ました。それも関西はボックス席が多いです。JRの宇治に到着しました。

12     駅前のポストは、小さくて分かりにくいですが、茶壷でした。

13 宇治と聞けば、宇治の平等院と宇治抹茶です。写真を一枚撮らせて頂きました。

  1. 14 鳥居を潜り平等院に向かいます。

15 橋の袂に紫式部が佇んでいます。

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#161 -’24. ホテルグランヴィア京都のお部屋

2024年06月22日 13時29分33秒 | 温泉&宿

高野山から京都に廻ってきました。二人共小さ目なディーバックを背負っての到着です。

1 初めて利用するグランビアフロアーです。キーカードをタッチすると行き先階のランプが付きます。

2 翌日に朝食を頂きに向かう時に新聞が入っていましたので撮影しました。ドアの下から入れるのではなく、ホールド出来る形になって居る優れものです。

3 階数は異なれどいつもと同じ北方向です。

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5 東本願寺方面が見えます。

6 クロークからスーツケースなどを載せるスタンドを出さず。ベットストローの上に荷物を置いてしまい撮影しなかったようです。HPから同じ画像を借用しました。

6 ベット前のTVです。

7 フロアー脇のチェスト上にもTVが載っていました。こちらで珈琲を頂きました。

8 お水はペットボトル入りではなく、紙パックに入っていました。

 

 

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11 部屋から扉を開けて入ると左手にトイレで、正面がクロークで、右側がお風呂などの水回りです。三つの機能の所が総て大きな扉で部屋と隔離されているのが気に入りました。50㎡の広さがあるお部屋です。

12 大きな扉を開けて正面のクロークのドアを開けた状態です。

13 お風呂からも外の風景が見えます。今はブラインドを上げた状態です。

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15 シャワーブースは独立しています。

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寝てはいる形の様式お風呂は浅くて好きになれません。

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#160 -’24. ラウンジで軽い夕食代わりに

2024年06月21日 14時21分16秒 | 温泉&宿

高野山から京都駅八条口への直行バスに乗って京都に着きました。このところ京都での宿は気に入っているホテル グランヴィア 京都です。バスを降りて急ぎ足でホテルに向かいました。理由は料理とお酒のサーブ時間の関係です。今回はグランヴィアラウンジで軽食とお酒を頂く積りでしたから。

1 二階の南北の自由通路を通りホテルのレセプションに向かいます。下は京都駅の北口です。こちらの写真を撮った時刻が午後6時31分でした。

2 ホテルのロビーです。

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4 チェックインの手続きを完了して、荷物を持ってお部屋に向かいました。荷物を運んで頂けるとの事でしたが、自分たちで運ぶことにしました。気持ちが急いでいますので。

赤い縁で囲った所が席に着いた場所です。ホテルグランヴィア京都のHPより借用させて頂きました。

5 小鉢は取ってビールを取って席に着いたのが6時55分でした。ギリギリです。今回はラウンジを利用できる部屋でしたから、雰囲気だけでも味わいたいと急いだわけです。

6 席に着いている方も多くなくブッフェスタイルの料理を取るために並ぶこともありませんから直ぐでした。

7 先ずはビールです。

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9 小鉢に綺麗に入っていますから摂る方からすると大変便利です。

10    エビとイカのマリネ風

11    鶏肉の揚げ物?

12 八条口の先に見えるのは東山の山並みでしょうか?翌朝に乗った奈良線のホームが見えます。18時57分です。陽も伸びました。

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14 少し腹ごしらえできる牛タンのシチューがありました。どれも美味しかったですが、特にこちらが気に入りました。

15 男性のフロアーの責任者らしき方がシャンパンをもってきてくれました。家内はお酒類は飲みませんがこちらなら楽しいひと時をとの事で。色々話して楽しいひと時を過ごしました。

16 ワイングラスを沢山持つ事にも驚きますが、グラスに掌の脂が付かないように配慮しているのにも驚きました。

17 家内には生シールドを持ってきてくれました。混んでいなかった事で色々と会話も弾んだので時間を割いてくれたのがと思います。

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19 ラウンジの窓越しに南を撮影しています。夜の帳が降りて窓の室内が反射しています。

20 南棟から北棟に向かった所です。午後7時36分に退室してお部屋に戻りました。もう少し早く到着していればと思った次第です。

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22 凄く楽しい会話と美味しい料理を頂く事が出来て大満足でした。秘密ですが、それ以外にも嬉しい事がありました。

23 京都タワーが見える方向がいつものお部屋からとは少し異なります。

12:10に追記です。

 

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#159 -’24. 霊宝館を見学し(高野山)

2024年06月20日 11時46分18秒 | 日常の出来事(日記)

初日の高野山の壇上伽藍を後に中門を出て金剛峰寺方面にむかいました。

1 高野山霊宝館が大師教会の直前にありましたが、宿へのチェックインの時間が気になり、入り口周辺を見てこの日は素通りしました。

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3 初日は晴れていましたのでご覧の通り綺麗です。

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5 こちらは、霊宝館の看板を撮影して道路に戻る先に増福院の檜皮葺の屋根が見えます。この後右の大師教会に向かいます。

6 霊宝館の道路を挟んだ向かいに立って居る増福院です。高野山は金剛峯寺を初め沢山の寺社仏閣が立ち並んで居ますが、自由に参拝料等を払えば仏様を拝み神に参拝する事が可能なのか分かり難い所が気になります。

 

次は高野山・霊宝館のHPから引用させて頂いた物です。

高野山霊宝館の概要

霊宝館入り口

高野山は弘法大師の開創以来、12世紀にわたる長い歴史の中で栄枯盛衰を繰り返し、今なお法燈を守り続ける真言密教の一大道場です。

開創以来、幾たびかの自然災害や明治初期の廃仏毀釈などで、山上の優れた文化遺産を焼失、散逸させてしまいましたが、現在なお117ヶ寺に有する文化財は膨大な量を誇り、まさしく文化財の宝庫、宗教芸術の殿堂と呼ばれる所以がここにあります。さらに、平成16年(2004年)にはユネスコ世界文化遺産に登録され、国境を越えた世界共通の宝物として注目を集めています。

高野山霊宝館は、こうした高野山内の貴重な文化遺産を保存展観する施設として大正10年(1921年)に有志者の寄付と金剛峯寺によって開設されました。この時に建てられた本館は、平成10年(1998年)に登録有形文化財として指定されています。

外観その1外観その2

 

昭和36年(1961年)には大宝蔵を増設し、山内の国指定有形文化財(美術工芸品)の大半を収蔵することになりました。さらに近年にも指定物件は増え、昭和59年(1984年)、平成15年(2003年)と続いて、収蔵庫が増設されました。

大宝蔵その1大宝蔵その2

 

現在では国宝21件、重要文化財148件、和歌山県指定文化財17件、重要美術品2件、合計182件、約2万8千点弱を収蔵するほか、未指定品になりますと5万点以上を数える収蔵量を誇っています。これらの膨大な資料を収集・保管する当館は、夏期特別展のほか、年間を通じて企画展や特別陳列、常設展示を企画し、展示公開にあたっています。

 

(二日目)初日に素通りした霊宝館に翌日に訪問しました。

 

7 奥の院から、大門行きのバスで霊宝館バス停で降りて、前日のリベンジです。

 

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11 入館料を払い館内に入りました。いつも思うことですが、自館所有の仏像等の展示物はフラッシュ等を焚かなければ、写真撮影はできないものなのでしょうか。入館時にいただいた小冊子です。

12 密教に於いて最高位の仏さまの大日如来坐像です。冊子から撮影させて頂きアップしました。

13 ほとけさまの種類だそうです。

14 如来の種類です。

15 館内から出る時に外に向かって撮影しました。

16 こちらは、前日に霊宝館を通り大師教会に向かう際に在った可愛い小坊主さんです。隣のベンチに座ってほっこりするのもいいですね。

この日は若い坊主さんが2人で草むしりをしていました。成就院の方かと思います。

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#158 -’24. 弘法大師がご入定されている聖地の奥の院へ

2024年06月19日 11時22分53秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

特別な聖地である高野山奥の院、弘法大師御廟にむかいました。

チェックアウト後、一乗院に荷物を預けて、バスで奥の院に向かいます。生憎の雨となりましたが、一乗院で大きめの傘を貸して頂き、大変助かりました。

奥の院の参拝は次の通りです。

途中、参道には、企業の社員を供養する慰霊碑や苔むした武将のお墓があります。ゆっくり眺めながら、奥の院に到着

奥の院御供所で御朱印を頂き、水向地蔵に水をかけて、お参り後、御廟橋を渡って弘法大師御廟へ
御廟橋を渡ると大師御廟への霊域に入ります。この橋を渡るといよいよ聖域に足を踏み入れることになります。全山が聖域である高野山の中に在って格別な地の弘法大師御廟です。

1 奥の院に向かうバス停(千手院橋)で雨の中、外国の方と一緒にバスを待ちました。向かいの郵便局です。この交差点の先は高野山金剛峰寺方面で右に曲がると一乗院方向です。

2 本来なら奥の院口から歩くべきですが、雨でしたので奥の院前まで、バスに乗りショートカット
ここからだと奥の院までは、のんびり歩いて15分位です。

こちらの手水舎で清めて奥の院に向かいました。

3 南無大師遍照金剛の石柱の右手のお店で帰りに食事を頂きました。 

4 こちらは、脇道とでも言いましょうか、企業の記念碑などが多くありました。こちらは水上艇で有名な新明和工業のロケットです。

5 ご存知の福助さんです。

6 キリングループです。

7 奥の院の大杉林です。

8 奥の院前迄乗車してから、歩き始めました。靴の中が濡れるのではと思っていましたが、濡れる事も無く歩ききれました。最初の一の橋から来られた方は左手から歩いてきたわけです。私達も合流して弘法大師御廟に向かいます。

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10 法然上人(圓光大師)供養塔です。

11   結城秀康の石廟です。

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13 御供所南門です。

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15 奥の院頌徳殿では、セルフサービスでお茶を頂くことができます。
和尚様が法話をなさっていました。

16   こちらにも、「宝来」が掛けられていました。

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18 こちらで御朱印を頂きました。

19 水向け地蔵尊(水をたむける意味で足元にかけるのが本来だそうです。)に水を掛けながら右端から順番に掛けてお供えします。頭からかけてはいけません。

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21 この御廟橋(三の橋)から先は弘法大師の御廟ですから写真撮影などが禁止されています。厳かな気持ちで参拝いたしました。

弘法大師の御廟を参拝し終えて来た道を戻ります。(帰路)

22 バス停の戻る途中にある英雄殿です。第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられました。

23 バス停に向かう前に昼食を頂きました。

自分が注文したのは奈良の柿の葉寿司(押し寿司)だと思っていましたら、少し発酵させて和歌山(三重県)のなれ寿司でした。このお寿司も大好きですから良かったです。発酵させているので初めて食べる関東人には口に合わないかもね。自分は大好きです。くれぐれも柿の葉寿司ではありません。

24 こちらは家内が頂いた天麩羅うどんです。

25 食事を頂いてから向かいの駐車場のバス乗り場へ向かいました。グーグルマップで現在地を検索してバス停のアイコンからバスの出発時間を確認する事が出来ますから大変便利です。

晴天での観光気分も一転して、雨の中の厳かな心構えの中の奥の院でした。

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#157 -’24. お部屋は菩提樹です。(宿坊・一乗院)

2024年06月18日 13時54分34秒 | 温泉&宿

今まで宿泊したお部屋の中でも一番のお気に入りかもしれない「菩提樹の間」です。HPから借用しました。

今回の旅は二泊三日の旅です。一泊目が宿坊の一乗院です。二日目は最近お気に入りになっているホテル・グランヴィア京都です。

東京を早朝に発って新大阪を経由して高野山ですから、宿坊に一泊では歩ききれないのは致し方ありません。

また、今度高野山に来る機会が有っても、宿坊は一乗院で、お部屋は菩提樹と決定するほど気に入りました。

我が家の菩提樹の対面に見えるお部屋は特別室です。お部屋の名称も 貴賓室 奥書院 です。こちらはお部屋にはお風呂も付いています。

一部リニューアルして10室のお部屋を檜風呂付のベットルーム4部屋に改装したようです。一乗院の全体の部屋数が4室に減った訳ではありません。

我が家のお部屋はお風呂が付いていないこと以外、何の不満もありませんでした。それより古さを感じさせる事も無く、風情があり好みに合った一番の部屋だったと思っています。

 

1 入口こそ簡素ですが、中は期待以上に立派でした。我が家の入口の左手は一乗院の本堂です。こちらで朝勤行を行いました。

2 入口を入ると逆L型の長い廊下は畳敷きでした。

3 お部屋から見える鯉の泳ぐ池を望む姿が続きます。右手に見えている廊下からも素敵な池が良く見えます。

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7 洗面台は広くて綺麗でした。

8 自動的に蓋が開閉するタイプのトイレでした。ウォシュレットの蓋が開いてしまいます。そのまま撮影しました。

9 これは「宝来」と言って注連縄の代わりにかける縁起物です。こちらは干支の宝来で龍です。比叡山延暦寺に行った時に、色々の所に元三大師(角大師様)の姿が張られて居たのを思い出しますた。魔除けの元三大師様と、こちらの床の間に前面に掲げられている宝来とは意味合いが全く異なります。

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11 六曲一双の屏風を襖絵に仕立て直した狩野興甫の襖絵です。素晴らしさに息を飲むほどの感動ものでした。1/3 と 2/3 に分かれている表壁画を繋ぎ合わせているのがわかりますでしょうか。夕食時に説明頂いた受け売りです。

12 落款です。

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17 こちらの床の間の「宝来」は宝珠です。

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22 少し低めの座椅子と言って良いのかわかりませんが、お庭を眺める事が出来るように庭向きに配置されていました。

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29 床の間に置かれていた香炉台と香炉です。

30 護摩など色々朝勤行で行って頂いた物を授かりました。

31 知人のお宅へのお土産としてお線香も購入しました。ここの脇に。

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#156 -’24. 高野山大師教会で授戒を体験し

2024年06月17日 15時55分48秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

大堂伽藍の拝観を終えて中門から戻る途中に今回訪問した大師教会本部がありました。教会本部脇の入口には大型バスが停車して多くの方が下りてきました。

1 次の高野山参詣講待遇之証を事前に買ってあるのでこちらの大師教会本部で1000円の授戒料をお納めする必要はありませんでした。高野山を去る時までに、後一箇所参詣できる徳川家霊台に伺う事はできませんでした。

2   大師教会の入口です。ツアーの方が中に入って行きます。

3   お授戒のご案内がありました。

授戒とは

仏さまの示された戒めの教え(戒)を阿闍梨さまから直接授かり法話を頂く儀式です。年間を通じていつでも参加できる最も高野山らしい体験(修行)の一つです。 (高野山真言宗総本山金剛峯寺HPより)
 

  決められた時間の十分前までには、受付を済ませる必要があります。講堂の奥の授戒堂の入口で僧侶の方から塗香を頂き、両手に刷り込んでからお堂の中に、中は全部閉じられていて、真っ暗でした。

入口の扉も閉められ、暗闇の中で

儀式が始まります。僧侶の方から「終わるまでは退室することかできません」とのご注意がありました。

暗闇の中、阿闍梨様がおいでになり、儀式が始まりました。「南無大師遍照金剛」を唱え、参拝者一同も阿闍梨様から「南無大師遍照金剛」の読経に続き何度も何度も唱和しました。

その後阿闍梨様より有難い法話を聴きました。今回の参加者は大型バスに乗車してきた団体ツアーの方と我が家の2団体でした。終了後、阿闍梨様が鎮座している真っ暗闇な祭壇場に代表者があがり、菩薩戒牒を拝領しました。

 バスに乗車して来た団体の方は大講堂の出口で各自に配布していました。

4 我が家が頂いた菩薩戒牒です。中には十善戒が書かれています。

5    終了後、境内を散策

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14 大講堂右手奥が授戒堂です。

15  大師教会本部と書かれたこちらから、退出しました。五三の桐と三頭右巴の紋が彫られてありました。 

バスツアーで大師教会本部に授戒の儀式に参加する人達が大勢降りていきました。その時掃除をしている教会本部の職員の方に強く体験することを奨められました。既に五ヵ所に入れる共通内拝券を購入していましたから、入るか入らないかを決定するのみでした。強い勧めがあればこそ入りましたから、この方に感謝あるのみです。貴重な体験をさせて頂きました。

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#155 -’24. 壇上伽藍を参拝して

2024年06月16日 12時45分59秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって、開かれた日本仏教の聖地です。
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられています。
東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48,295坪の広大さと優雅さを有しています。(高野山真言宗  総本山金剛峯寺のHPからの引用です。)

 

高野山でのお詣りでは最初に金剛峰寺、つづいてこちらの壇上伽藍でした。歩いた関係で中門から入らずに、蛇腹道入り中心をなす根本大塔に向かいました。

壇上伽藍 開創の際に最初に開かれた高野山の核となる場所

約1200年前に嵯峨天皇の勅許を得て、弘法大師が開いた修禅道場。開創の際には弘法大師みずから足を運び、堂塔の建立に心血を注いだという。日本初の密教伽藍で、独特の諸堂配置は曼荼羅の世界を表現しているという。

 まっぷるトラベルガイドから壇上伽藍の地図を引用させて頂きました。(ままっぷるトラベルガイドからの引用です。)

1 蛇腹道から壇上伽藍に向かいます。本来の参拝ルートは中門から入るのだそうです。

2 大伽藍の文字を発見して即蛇腹道へ。

3 車道を通らずに行けますから良い道を選んだと思っています。

伽藍入り口から続く小道で、高野山の風景を龍に喩えると腹にあたる場所であるので蛇腹と呼ばれます。

4 東塔です。

大治2年(1127年)、白河院の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正(だいごさんぼういんしょうかくごんのそうじょう)によって創建されました。当初は上皇等身の尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょうそん)が本尊として奉安され、不動明王、降三世(ごうざんぜ)明王の二体も脇侍(きょうじ)としてまつられました。天保14年(1843年)に焼失してからしばらくの間再建されず、140年たった昭和59年(1984年)にようやく再建されました。

5 三昧堂です

済高師はこのお堂で「理趣三昧」という儀式を執り行っていたため、三昧堂と呼ばれるようになりました。

6 国史跡の三昧堂の説明の高札です。読むことが可能かと。

7 蛇腹道の脇には篤志家の寄付金額が彫られた石柱が並べられていました。今の貨幣価値ではありませんから凄い額ですよ。

8 大会堂(だいえどう)です。

鳥羽法王の皇女である五辻斎院親王というお方が、父帝の追福のため建立されました。

9 愛染堂です。

建武元年(1334年)、後醍醐天皇の綸命によって四海静平、玉体安穏を祈るために建立されました。

10 共通内拝券(高野山参詣講待遇之証)を利用して根本大塔内も拝観しました。

次に拝観券の残骸をアップします。

根本大塔です。内部も拝観させて頂きました。

真言密教の教えを体現する象徴として建てられた塔で、塔内には立体の曼荼羅世界が 広がります。

11 こうや君のお出迎えを受けて根本大塔に向かうのがルートですが、裏街道から廻ってきました。

12 金堂の回廊から撮影です。

13 金堂の回廊から中門を望んでいます。

14 柱で隠れていますが三鈷の松と御影堂です。

15 金堂の内部は撮影禁止ですから、写真はありません。外の回廊からの撮影です。

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17 六角経蔵です。

18 金堂の正面です。

平安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきました。

19 御影堂です。

20 孔雀堂と准胝堂です。

21 石燈籠の先に見えるのは前の写真の孔雀堂と准胝堂ですが、そこを左に行くと西塔がありました。

22 三鈷の松とその説明文です。

お大師さまが祈りを込めて唐から投げた三鈷がこの木に掛かって毎夜光りを放ちました。

23 二つの画像を並べてアップしてあります。比較する意味合いで左が歴史を感じさせるひなびた西塔で右が色鮮やかな東塔です。

24 こちらは経典が収まっている六角経堂ですからすべての経典を読んだことになる事にあやかり、ひと廻りしました。下の写真は隣に書かれていた解説文です。

鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。

(蛇足ながら目黒雅叙園の百段階段やトイレなど金泥の素晴らしさを見る事ができます。)

25 並んでいる画像ですが、左が鐘楼で右が高野四郎(大塔の鐘)です。

26 三本の巨木が目印になる山王院です。(グーグルレンズで一発で名称がわかりました。)

 

27 中門です。通常、山門には仁王像が据えられますが、こちらの中門には、四天王が据えられています。

28    南方を守る増長天です。

29    北方を守る多聞天です。

30 中門を潜り車の通る道にでました。苔が瑞々しく美しかったです。

31 勧学院です。

北条時宗(ときむね)が高野山内の僧侶の勉学・修練のための道場として、金剛三昧院(こんごうさんまいいん)境内に建立しました。後の文保2年(1318年)に、後宇多法皇の院宣によって現在の位置に移されました。本尊には大日如来が奉安されています。

現在でも勉学・修練の行事である勧学会(かんがくえ)が毎年行われ、一般の立ち入りが禁じられています。

32 蓮池です。

干ばつに苦しむ人々を救うために善女竜王像と仏舎利を祀った池です。

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