今上天皇陛下の大嘗祭が執り行われた、大嘗宮の紹介です。初日の日にお伺いしたので天候にも恵まれて参観することができました。20191123124113
大嘗宮一般参賀で頂いたリーフレット・大嘗宮から引用させて頂きます。
大 嘗 宮 (だいじょうきゅう)
大嘗宮は、天皇陛下がご即位ののち、初めて新穀を皇祖・天神地宇祇に供えられ、自らもお召し上がりになり、国家・国民の為にその安寧と五穀豊穣などを感謝され、ご祈念になる大嘗祭の中心的な儀式、「大嘗宮の儀」のために造営されたものです。 大嘗宮の儀では、本年11月14日の夕方から夜にかけて「悠紀殿供饌の儀」(ゆきでんきょうせんのぎ)が行われ、翌15日の暁前に「主基殿供饌の儀」(すきでんきょうせんのぎ)が行われました。
大嘗宮一般参観で撮影した順を基本にアップします。1
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宮内庁のHPからの引用です。スクリーンショットで撮ったものです。大嘗宮平面図の正門のすぐ内側の左右の大きな建物の幄舎は既にありません。従って実際は少し見やすくなっています。
正門の中の左右にある幄舎(あくしゃ)参列諸員が着席した建物(大嘗宮の儀終了後、撤去済み。)は既にありません。鳥居形式の見える門が、南神門で大嘗宮の中心部分を長方形に仕切る柴垣の東西南北及び雨儀御廊下の中央に設けられた5つの門の一つです。製材されることなく樹皮が付いたままの門を拝見した時、桂離宮の表門方向から茅で葺かれたアベマキの御幸門が脳裏に浮かびました。南神門の左右にある小さな建物は衛門幄と言い、武官の装束(縹色の衣=はなだいろの衣)を着た者(衛門)が着座した建物です。屋根だけの質素なものです。並んで直ぐ奥にある少し屋根の高い建物が、威儀幄で武官の装束(黒色又は緋色の衣)を着た者(威儀の者)が着座した建物。衛門幄のその外側の左右にあるのが(手前に係員が居る所の奥)庭燎舎(ていりょうしゃ)で庭火を焚いた建物です。どのような火なのかわ分かりませんが、篝火にしても少し屋根が低すぎる気もしないでもないですが。南神門の奥に見える建物は殿外小忌幄舎で、女子皇族が参列された建物だそうです。
悠紀殿の屋根の形式は神明造りに見えますがはっきりとした表示は見つかりませんでした。また、悠紀殿のばってんに(X)なっている千木の先端が水平なので女性の神様です。向かいの主基殿は男性の神様です。
ひと際高く大きな神殿が悠紀殿供饌の儀で中心焚きな役割を果たした悠紀殿で右半分のエリアの建物が主に使用されました。6
同じく左の主基殿で主基殿供饌の儀が左半分のエリアの建物が主に使用されて執り行われました。千木の先端がこちらでは垂直ですから男性の神様です。7
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皇宮警察の方の見えますが儀礼的な装飾をした衛兵風な写真の被写体になる制服を考えても良いかもです。9
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竹を使用した垣根の形式は沢山ありますが、こちらは柴垣です。京都の嵐山の竹林の小径でも竹林と小径を分けていたのは柴垣でしたば、竹林も柴垣も管理状態が非常に悪く感じ素晴らしいとは思えませんでした。勿論、こちらは宮内庁ですから短期間とは言え綺麗な柴垣です。11
見学する順路が有りますから逆走する事はできません。でも、初日と言う事もあったのかもしれませんが、最前列のロープの所でもご覧の通りです。撮影したい場所、撮影したい時に撮影できました。12
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右手に写っているのは膳屋(かしわや)かしわやで南神門を中心線として左右(東西)にあります。今でいう所の台所、キッチンですが、右の膳屋からは悠紀殿供饌の儀の悠紀殿まで。左手(西)の膳屋から主基殿供饌の儀が執り行われた主基殿までそれぞれ行列をたてて、神饌が持ち運ばれたそうです。竹壁に葉の付いた小枝が飾れれている所です。屋根はシートのようにも見えますが。15
混んでもいませんでしたから、順番に一番前の列に来て写真撮影することも可能です。色々の所に灯火をともす灯篭のようなものが見えますが、正式には黒木灯灯籠(くろきとうろう)と言うそうです。皮付き丸太で造られた灯籠です。16
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この黒木灯籠の黒木は製材しないで樹皮も剥かずに利用です。このことは素朴さがでますが、日本人の行う事です。太さから曲りの無いものなど厳正に規格に合わせて利用していると思われます。多分、大昔は不揃いの物を利用したのだと思いますが。19
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