週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#298 -’23. 去り行く2023年を偲び

2023年12月31日 22時06分30秒 | 日常の出来事(日記)

新たな紛争が発生しているパレスチナの地では命の尊さも顧みる事が出来ない状況です。

コロナ禍では、二類相当から五類に変更されて世の中も少し落ち着きをとりもどしているようです。

自分のブログに戻ると、忙しさにかまけて手抜きしてアップが滞る日々が続く事が多くなりました。

後少しで年も明けますが、縁あって私のブログに辿り着いた方に感謝申し上げると共に来年が今年にも増して素晴らしい年でありますことを祈念申し上げます。

また、世界の平和が達成できる一年が訪れる事を強く願っています。

2023年 大晦日 午後10時過ぎ。

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#297 -’23. 真如堂へ参拝して(その二)  

2023年12月31日 16時37分12秒 | 日常の出来事(日記)

お邪魔した日は、真如堂の本堂前ではコンサートが行われていました。脇から本堂に入るのも気になりましたが、予定が詰まっていますのと体力勝負ですから、参拝の方を優先させて頂きました。それでは、その一の続きのその二です。こちらの真如堂も見どころ満載でした。

で、その前に『そうだ、京都、行こう。』をご覧下さい。

【TVCM】2002年 秋「真如堂」そうだ 京都、行こう。個人的な感想ですが、真如堂の良さが出ていない感じですから、手前みそですがスレッドの写真をご覧下さい。

1   本堂の周りの回廊です。

2   本堂などの建物の外を中心に撮影していますが、終わりかけとは言え美しかったです。

3   スマホで撮ったままです。

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9   階段には本来なかった手すりを付けてくれてあります。畳表の井草のゴザの上に板が通っている所は外部の靴を履いた方が通る事が配慮していました。

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31   次からの四枚は余りにももみじの落ち葉が美しく赤い絨毯だったので撮影に出向いた物です。私の機種より一段ランクの低いものですが、腕なのかも。

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#296 -’23. 真如堂へ参拝して(その一)

2023年12月31日 15時04分45秒 | 国内旅行

二泊三日の旅の二日目(12月3日)です。朝一番に清水寺に。少しホテルで休憩して向かった先が特別公開最終日の聖護院門跡です。その後、昼食で西尾八ッ橋でお蕎麦を頂いて向かった先が真如堂です。

真如堂は、正式には鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざん しんしょうごくらくじ)といい、永観2年(984年)に戒算上人が開創した、比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺です。「極楽寺と名乗る寺は多いが、ここが正真正銘の極楽の霊地」という意味を込めて名づけられ、その本堂を表す「真如堂」が通称として定着しました。衆生済度、特に女性をお救いくださる「うなずきの弥陀」を御本尊にまつっており、浄土宗の開祖・法然上人や浄土真宗の開祖・親鸞聖人をはじめとする行者や、多くの人々の祈りを受けとめてきました。

広い境内は紅葉の名所として親しまれていますが、桜や青もみじ、季節の草花による彩りも美しく、一年を通じて散策を楽しんでいただけます。江戸時代に再建された天台様式の本堂や三重塔などの建造物、阿弥陀如来立像をはじめとした仏像・文化財を数多く所蔵しています。

いつ訪れても清澄な空気が漂う、洛東の隠れ寺です。 

真如堂の境内図

 真如堂のHPから引用させて頂きました。

1   何分にも二泊三日で体力的にもきついですから、公共交通機関が直ぐに見つからないとはタクシーに頼ることになります。西尾八ッ橋から真如堂迄では近い距離で申し訳ありませんが、載せて頂きました。

京都は狭い道は一方通行も多く遠回りしなければならない事を気にかけてくれていました。でも、800円で済みました。

2   総門を潜る前から良く整備された感じで、且つ終わりかけとはいえ綺麗に紅葉していました。

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17    タクシーで門前迄着けて頂いたので帰り方が良く分かりません。で、総門手前で交通案内をしている同じ世代の方に、「一番近いバス停へはどういけば?」と尋ねました。丁寧に錦林車庫前に行けば始発ですし一番近いバス停だと教えていただきました。その後も行き先を間違えないかと見ていてくれて追いかけて二股に分かれる渡れ道を教えて頂きました。親切な人もいる物だと感謝しました。なのにその恩に報いる事無く真如堂バス停に行ってしまいました。下り基調ですが結構きつい道でした。

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その二に続きます。

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#295 -’23. 聖護院門跡を訪れて。(秋の特別公開)

2023年12月30日 17時48分11秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

*謝罪させて頂きます。一旦アップした物を追加してアップした為に既にリアクションして下さった方のアイコンが消えてしまい失礼しました。申し訳ありません。* 以上の文は後日消去させていただきます。

聖護院門跡秋の特別公開にお邪魔しました。

次の聖護院門跡のHPからと、秋の特別公開の開催趣旨初公開「書院」拝観の見所は特別公開のHPから引用させて頂きました。

聖護院門跡とは

門跡の雅と、厳しい山岳修行の寺。

当院の沿革は寛治四年(1090)、白河上皇の熊野御幸に先達を務めた増誉(ぞうよ)大僧正が寺院を賜り、「聖体を護持した」というその功績から「聖護院」と称したことに始まります。
後に戦乱・火災によって京都を転々としましたが、延宝四年(1676)、創建の地でもある現在の場所に再建されました。

その当初から皇室と深い結びつきのあった聖護院では、出家された皇族や摂家の方がたびたび住職を務められました。このような寺は門跡(もんぜき)寺院と呼ばれ、日本国内でも数少ない、格式高い寺院とされています。
特に聖護院は江戸時代、天明の大火を逃れて来られた光格天皇が三年間ほど御在所とされた事から、「仮皇居」の史跡指定を受ける唯一の寺院です。寺内には花鳥や賢人、また雄大な自然が描かれた貴重な金碧障壁画が数多く残され、京文化の美を感じることができます。

こうした雅な側面の一方で、聖護院は野山に分け入っての修行を旨とする「修験道」を実践する、本山修験宗の総本山でもあります。春の葛城修行、秋の大峰奥駈修行をはじめとする入峰修行には僧俗を問わず多くの方が参加され、自然の中に仏の教えを観るという山伏の信仰を現代に伝えています。

開催趣旨

 聖護院は役行者を宗祖とする本山修験宗の総本山として、寛治4年(1090)に建立されました。以来国内でも数少ない皇室や摂家より代々住職を迎える宮門跡であり、更に光格天皇の仮皇居としても使われ、日本唯一の史跡旧仮皇居として指定されています。
 現在でも修験道の荒々しい修行を行っていますが、一歩院内に足を踏み入れると当時の宮廷文化をそのままに残す200面近い障壁画や多くの宝物が遺されます。

長年の風雪もさることながら、平成30年9月の台風21号により境内は大きな被害を蒙り、特に門跡筋塀はじめ御所より下賜されて約300年を経た書院の被害は甚大でした。当院は歴史を後世に伝えるべく「書院」・「筋塀」の修理修復を天皇御即位記念事業として発願いたしました。

 大変多くの皆様方のご協力のもと、この度無事に完成したことを記念し、建築当初の美しさを取り戻した書院の特別公開及び、関連展示を期間中に開催いたします。関連展示では書院を建造された後水尾天皇様の宸翰等ゆかりの宝物類や修復工事の様子を展示いたします。
 例年の特別公開では所蔵の内100面以上の金碧障壁画や宝物類をご覧いただいていましたが、今回の特別公開ではそれに加え、修復後初公開の書院(重要文化財)もご覧いただけます。
 

初公開「書院」

 この書院は後水尾天皇ご側室の御殿と伝わり、建物そのものが重要文化財として指定されています。
 修復工事完了後初めて一般公開されるこの書院は、延宝4年(1676)に聖護院が現在の地へ移転してきた時に御所より移築されたと伝わります。
 障壁画が残る二室には、当時としては非常に高価であったガラスを花頭窓に使用するなど贅がつくされています。違い棚周辺には豪華でありながらも緻密な金細工がされていることや、釘隠しに彫金細工の結び文や泥七宝の笹竜胆、細い柱を使った華奢な建物の造りなど女性好みの志向が凝らされており、この書院を女院へ送った後水尾天皇の心配りをご覧いただけます。

花頭窓には当時のガラスが今も使われている

書院内部(修復前)

拝観の見所

 秋の特別公開では普段立ち入ることのできない宸殿や書院といった建物の内部をご覧いただけます。専門のスタッフが巡回して解説しておりますので、ご希望の方はご自由にお聞きいただけます。
 内部の障壁画は全て描かれた当時の本物が今も現役で使用されており、光格天皇や聖護院宮に謁見するため訪れた使者同様の景色を追体験することができます。

大玄関より使者之間

※特別公開時、文化財保護のため一部障壁画の配置が変更されています

 100余面を数える障壁画の殆どは日本最大の画派であった狩野派による作で、波之間を境に京狩野と江戸狩野の作品を見比べることができます。また、今回特別に公開される書院内部には呉春らによる作品も遺されています。
 謁見之間までの道中では、役行者神變大菩薩様、また明治の法難の時に廃寺となった各寺院より預けられた複数の不動明王様など、修験道と関わりの深い仏様へお参りしていただけます。

奇しくも訪問したのは開催日の千秋楽の日でした。

 

1   夜の止観 として次の様にかかれていました。「月に一度、心を整えてみませんか。」と問い掛けられていました。

2   聖護院門跡が彫られた石柱が建っていました。

3   山門を入った直ぐ左手に枝垂れ桜の木が植わっていました。春にはさぞかし美しい事かと。正面に見える白い壁の建物は長屋門です。

4   こちらの聖護院表玄関からはいりました。豪華さを感じさせる唐破風の屋根です。

5   室内は決められた所しか撮影できませんが、案内者の許可が出た所はOKです。修験者のいでたちでお迎え頂きました。

聖護院は役行者(634~701)を開祖とする修験道の総本山です。1090年三井寺の増誉大僧正が白河上皇の「熊野行幸」の先達を勤めた功績によって「聖体護持」より2字をとった「聖護院」を賜り、さらに「熊野三山検校職」に任命され、修験者を統括する全国に2万余の末寺をかかえる一大修験集団となった。しかし明治政府によって「修験道廃止令」がだされ、多くの山伏は還俗し、寺院は衰退した。(HPより)

6  宸殿からお庭を撮影です。

7   市松模様の如きのお庭には可愛い小さな猫ちゃんの置物が置かれていました。猫好きの心を揺さぶる可愛らしさです。

8   こんな猫ちゃんが何匹も。

 

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10  右手奥に見えるのが本堂です。参拝前に、外に出てしまい本堂には行きませんでした。中からしか入ることはできないので、参拝する事は叶いませんでした。 

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12   説明を受けてから撮影可の所を写真撮影させて頂きました。

13        宸殿の上段の間です

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17      書院側の庭園です

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23       書院の中庭から

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28   見学可能の所を一巡してきました。市松模様のお庭を拝見です。

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32   拡大した所です。岩にほら貝が彫られていました。修験道の聖護院ですね。

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35   宸殿をお庭から拝見しています。

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37   本堂前に居ますがこの後ろの階段を上る事は禁止です。

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39    役行者の脇に居る猫を拡大して撮影しました。

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この後、西尾八ッ橋の里にお邪魔して昼食を戴きました。

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特別編 【密着14年】甦った「凍れる音楽」東塔 世界遺産・薬師寺  1300年の祈りと悲願達成への足跡【ABCテレビドキュメンタリースペシャル♯34】

2023年12月30日 15時16分52秒 | 国内旅行

薬師寺の東塔が改修されてお邪魔したのが、2021年4月2日です。今回の動画を拝見するまで東塔の素晴らしさや歴史など良く理解していませんでした。今回の動画で自分自身の理解が増したことが嬉しいです。

別スレッドで薬師寺と唐招提寺の単独スレッドをアップしなければと思っても、積み残し積み残しでドンドン在庫が多くなっているのが気になります。

【密着14年】甦った「凍れる音楽」東塔 世界遺産・薬師寺  1300年の祈りと悲願達成への足跡【ABCテレビドキュメンタリースペシャル♯34】

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#294 -’23. 清水寺で参拝を済ませてホテルに戻ります。

2023年12月30日 10時00分57秒 | 日常の出来事(日記)

清水寺から坂を下り一番近いバス停に向かいます。ホテルに戻り朝食を摂らねばなりません。記憶違いでなければ、清水坂を下り清水道バス停からバスに乗車してホテル(京都駅)に戻りました。2023.12.28.23.05.46

1    大まかに清水寺を参拝して、タクシーを降りた仁王門前に戻って来ました。後は坂道を下るだけですから楽なものです。

3   沢山の参拝者や観光客が上ってきます。早起きは三文の得ですね。

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8   右に行くと産寧坂や二年坂を通りねねの道を通るお気に入りの道ですが、ホテルに戻らねばなりません。

9   京都駅に向かうバスの車窓から三十三間堂を撮影です。

10   正式には蓮華王院です。

11   戻って来た京都駅のバス乗り場ですが流石に混み合っていませんでした。

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13   ドンドンとバスが来ますが、混雑時は列の最後尾は左手の方まで伸びて行きます。

14   ホテルに戻って来てモニター画面を撮影した時が午前8時21分でした。

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#293 -’23. 初冬の清水寺(その三)

2023年12月30日 09時37分57秒 | 日常の出来事(日記)

初冬の清水寺(その二)の続きです。2023.12.28.22.28.40

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3   色付いた紅葉の上に子安の塔が見えてきました。

子安塔

聖武天皇・光明皇后の祈願所と伝えられていますが詳しい創建年代は不明。現在の建物は1500年に再建されたものです。檜皮葺の三重塔の内部には、子安観音(千手観音)をお祀りし、その名の通り安産に大きな信仰を集めてきました。(重要文化財)  HPからの引用です。

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7   子安の塔の脇から正面に清水の舞台と本堂が正面に見る事ができます。

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11   一番右手に見える檜皮葺の本堂と清水の舞台です。朱色の三重塔も威容を誇っています。

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15    清水の舞台から音羽の滝を眺めた時は参拝客はいませんでしたが、ひと廻りして音羽の滝まで来ると参拝の方がおりました。

音羽の瀧

清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった瀧です。こんこんと流れ出る清水は古来「金色水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願します。 HPから引用させて頂きました。

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27    番のマガモが泳いでいました。

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#292 -’23. 初冬の清水寺(その二)

2023年12月28日 22時08分48秒 | 日常の出来事(日記)

その一の続きです。2023.12.28.22.08.48

本堂の清水の舞台から下に見える音羽の滝です。この時間では未だ観光客はこちら迄辿り着いていないようでした。綺麗に紅葉しています。

1  音羽の瀧

清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった瀧です。こんこんと流れ出る清水は古来「金色水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願します。HPから引用させて頂きました。 

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3   奥の院の舞台には大勢の方が本堂前の清水に舞台の方を眺めています。

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6   子安の塔にむかいます。

7   奥の院

「音羽の瀧」の真上に建ち、現在の建物は、本堂と同時期の1633年に再建されました。2017年に修復が完了しました。本堂と同様の懸造りの舞台があります。(重要文化財) HPから引用させて頂きました。

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9   清水の舞台の外れから京都市内方面を眺めています。でも、こちらはご覧の通りの観光客の少なさです。

10   京都東山の峰の上には雲があり淡い朝焼けでした。

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13   本堂に上がる事ができます。前回は端で読経をあげさせていただきましたが。今回はパスしました。勿論小さな声ですが。

14   未だ一度も参拝していない地主神社です。縁結びの神様ですが、既に縁は結ばれて居ますので由とします。と言うより早い時間にお邪魔していますので、開いておりません。

15   本堂脇の地主神社の正面に音羽の滝に下る事が出来る大きな階段があります。その上を紅葉した枝でアーチ型になって居ます。直射日光が当たればさぞかし美しいかと思った事です。

16   奥の院から子安の塔の方向を眺めています。

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22   改修成った本堂の檜皮葺も美しく立派です。

本堂断崖に建つ木造建築

本堂から張り出した「舞台」の高さは約13メートル。これは4階建てのビルに相当します。本堂は音羽山の急峻な崖に建築されています。これは「懸造り(かけづくり)」と呼ばれる日本古来の伝統工法で、格子状に組まれた木材同士が支え合い建築が困難な崖などでも耐震性の高い構造をつくり上げることを可能にしています。舞台を支えているのは、床下に建てられた18本もの柱です。樹齢400年余の欅を使い、大きいもので長さ約12メートル、周囲約2メートルの柱が整然と並んでいます。その縦横には何本もの貫が通されています。木材同士をたくみに接合するこの構造は「継ぎ手」と呼ばれ、釘を1本も使用していません。現在の舞台は1633年に再建されたものです。歴史上、幾度もあった災害にも耐え、今も日々多くの参詣者で賑わう舞台を支え続けています。HPから引用させて頂きました。

 

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24   改築なった本堂が人気なのか分かります。紅葉もしかりですが、視界の本堂です。この沢山の人々の心を捉えてはなしません。

25    人を押しのけて一番前に出る勇気はありません。

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27   本堂前の清水の舞台と奥の院前の舞台が入るように撮影してみました。

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30    三重塔が遠くに見えます。

その三、子安の塔に向かいます。

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#291 -’23. 初冬の清水寺(その一)

2023年12月26日 11時51分40秒 | 国内旅行

訪問したのは2023年12月3日です。2023.12.26.11.51.40

で、本日はモンスターの試合です。5ランドまでにはKOしていると思いますが。

既に紅葉も終盤でしたが改装後の清水の舞台も見えて素敵な時でした。

1   日の出時刻を確認して京都駅前のタクシー乗り場にむかいました。東山などに遮られて陽が射してくるのは少し遅くなりますが、6時半前に乗車です。今のスバルの前に乗っていたSAIのタクシーが来たので乗車しました。良い車でしたが、後付けの安全装置が付かないので手放す事に成ってしまった4年乗車した良い車でした。 前方のダッシュボードにナビ画面がみえませんが、運転手さんが閉じています。電動で角度も閉じる事も出来ます。

 

 

2  タクシーで行かれる一番上まで何時もの通り上って貰いました。

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5   神馬を係留する馬小屋だったかと、思っていたらお寺さんですから神馬を係留する所ではありませんでした。参拝の訪れた武士の馬を係留する所だそうです。名称は馬駐だそうです。

6   神社ではありませんが仁王門の手前には狛犬のような・・・ちんざしています。 

7   仁王門を潜ります。

8   高さ約30メートル。国内最大級の三重塔で、京都の街からよく望見できることから古くから清水寺のシンボル的な存在です。創建は847年、現在の建物は江戸時代の1632年に再建されたものです。大日如来像を祀り、四方の壁に真言八祖像、天井・柱などには密教仏画や龍が極彩色で描かれています。(重要文化財)HPからの引用です。

 

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12    潜って来た仁王門を振り返ると京都市内が見えます。

13   今では京都駅前のシンボルでもある京都タワーが遠くからでも良く見えます。

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15   朝一番ですから紅葉の色合いも今一ですが、少し時間が経てば最高です。

16   思っていた以上に素敵な紅葉が残っていました。未だ直射日光が射していないので紅葉が鮮やかではありません。

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19   早朝の為かいつもの拝観料をお支払いする所ではなく、こちらの轟門の左手で販売していました。

20   本堂に向かいます。

21   遠くに見えるのが音羽の滝です。

22    東山から、この後直ぐに日が昇ってきました。

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30   奥の院の前の舞台には沢山の人がこちらを撮影したり眺めていました。最高の撮影スポットでしょうか。人がまばらなのが清水の舞台です。因みに改修成った本堂は国宝です。

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#290 -’23. 東本願寺・渉成園(枳殻邸)ライトアップ

2023年12月24日 22時05分48秒 | 日常の出来事(日記)

今回の二泊三日の初日の12月2日の夜の観光です。

自分は30泊31日の旅の時に訪問していますので二度目になります。その時の昼間の渉成園その一その二です。家内は訪問すること自体初めてです。ホテルで休憩してから開園時間に合わせて徒歩で、烏丸通を通り東本願寺に向かいました。御影堂門見て右に曲がり渉成園に到着です。

自分のイメージしている姿とは少し違いました。淡いライトで照明されていると思っていましたが、赤や青の光で照らされていました。

1   東本願寺です。烏丸通の反対側から撮影です。

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#289 -’23. Merry Christmas

2023年12月24日 16時11分26秒 | 日常の出来事(日記)

今日は2023年12月24日です。

夜の帳が降りればクリスマスイブです。

子供達にとっては嬉しい Xmas です。

京都のホテルに宿泊した時に撮ったクリスマスツリーです。

ホテルの二階ロビーから京都駅構内を望んでデコレーションを撮影したものです。

冬至の日に撮影したゆず湯です。

日一日と寒さが増すとともに、日一日と昼間の時間が伸びてくるのが嬉しくもあります。

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#288 -23. 錣山親方を偲び

2023年12月18日 21時48分52秒 | 日常の出来事(日記)

錣山親方が若き60歳で旅立たれたと知って驚きを禁じ得ない。

今の医療をもってしても角界で活躍する事は命を削るのかもしれない。

ご冥福をお祈りいたします。

 

1   過去に撮った錣山部屋の建物です。寺尾が親方になって開いた相撲部屋です。相撲取りと言うより映画スターでも通用する風貌でしたから女性陣のファンも多かった。男子は筋肉質の体型に裏打ちされた取り組みに魅了されたものでした。

錣山親方の近代的な佇まいの錣山部屋(しころやま)です。  

2   最近は全く見なくなってしまったNHKの大相撲です。その中にあっても大好きな横綱でTVでもよく見ていた横綱千代の富士でした。相撲取りの中で一番好きな力士でした。九重部屋の入口に大横綱の銅像が建っています。

現在、九重部屋は葛飾区奥戸に移転しています。

3   引退後は理事長に成って欲しかった大横綱だったのに、無念でしかたがない。

【産経新聞からの引用です。

「昭和の大横綱」千代の富士の顕彰碑を建立ゆかりの京都・妙心寺で落慶法要

大相撲で歴代3位の31回の優勝を誇り、「ウルフ」の愛称で知られる第58代横綱、千代の富士の功績をたたえた顕彰碑の完成を祝う落慶法要が15日、京都市右京区の妙心寺の塔頭(たっちゅう)、大法院で営まれた。

京都の妙心寺の塔頭・大法院に伺いましたが、千代の富士の顕彰碑を撮影したスレッドを見つけましたのでアップします。前言を訂正いたします。】

妙心寺の塔頭・大法院のスレッドはこちらです。

 

4   大鵬道場と名が書かれた扁額と大嶽部屋と掲げられた看板が掛かっています。

6   錦戸部屋を解説する高札が脇にたっていましたので、説明はそちらをご覧下さい。

7  錦戸部屋です。

この人が理事長に成った頃から相撲自体も相撲番組のTVも興味がうせました。

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思う事(short )表現の自由と人種差別

2023年12月18日 20時39分26秒 | 思う事(short)

今回の京都の旅と丸ビルのウォルト・ディズニー・スタジオ (カンパニー、プロダクション)のウイッシュで感じた事です。

今のアニメでは白人が主役を演じる事は人種差別でタブーなのでしょうか。アメリカ合衆国やディズニープロダクションでは有色人種でなければ差別主義者として被弾されるものなのでしょうか。

大学の入試や企業への入社など必要以上に配慮して事は事実かと。CMのプレゼンターとして発言する者など有色人種でなければ、排斥されるのでしょうか。

行き過ぎた逆差別をよしとする社会、あるがままの自然体の社会に収まる過渡期ではと思うのは問題発言なのでしょうか。

ウイッシュを拝見していないで、劇中の役どころも考慮せずにこんな事を思う事自体に問題があるのかもしれませんが。

 

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#287 -’23. サンタさんに早変わりして、孫にクリスマス・プレゼントを届けに行ってきました。(その二)

2023年12月18日 10時47分54秒 | 街角

都内の秋をお届けします。車窓からの写真ですから素敵な木々の姿でも。名所とは言い難いですが、それでも都心部を象徴するものなどを。

1  石柱には銀杏八幡宮と彫られていました。これから帰宅します。今いる場所は日本橋です。日本橋と言っても広うござんす。(5845)

2   資本主義経済の中心地のJPX・東京証券取引所です。今は昔の如く場立ちが無く静かなものですが。(5846)

3   昭和通りを通り、右折して鍛冶橋通りに入った積りが八重洲通りに入っていました。ガードを潜れたものを八重洲駅正面に進行です。その為にツムラのキリンを見る事ができました。(5847)

4   地下駐車場(首都高)等の換気口のTVアンテナの先にキリンが立っています。

 

5   正面に東京駅八重洲口のバス停の庇がみえます。成田空港から海外に出発する時に、銀座の宝くじチャンスセンタ脇と東京駅八重洲口からバス乗った物でした。(5849)

6    庇の手前を左折して皇居方面に向かいます。(5850)

7    八重洲口の正面に立つ東京ミッドタウンです。(5851)

8    正面から助手席の家内にスマホで撮ってもらいました。(5852)

9   ガードも過ぎて丸の内仲通りを横切る直前です。従って正面は皇居前広場です。(5853)

10    横に丸の内仲通りをみて。(5854)

11   明治生命館です。(5855)

12   馬場先門を左折して内堀通りの帝国劇場前を通過中です。(5856)

13   銀杏がこれ程多いとは思っても居ませんでした。(5857)

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15   日比谷交差点を右折して桜田門直前です。(5859)

16   日比谷公園を通り越して法曹会館です。(5860)

17    法務省旧館ですが今は名称が変っているかも。赤レンガで立派な歴史的建造物ですから後世に残すと共に一般開放して欲しいものです。(5861)

18   桜田門の櫓が見えています。(5863)

19   左に行くと六本木方面で正面は国会議事堂です。5864

20   右手の内堀通りを通り先に向かいます。この先は三宅坂で青山通りと分離します。我が家はもう少し内堀通り通り半蔵門で甲州街道に入ります。5866

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22  国会の前の公園です。正式には国会前庭様式庭園です。ここには日本水準原点があります。(5870)

23    最高裁隣の国立劇場ですが、建て直しの建築工事主体JVなど落札しないようです。物価高騰と現在の建築ラッシュですから大変です。(5872)

24   直前で甲州街道と別れてアルタ前を通る新宿街道に入ってきました。左前のマイクロバスの所を左折すると新宿御苑駐車場に入れます。100m有るか無いかの近距離です。(5874)

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26   新宿通りの車道脇には落ち葉が沢山吹き寄せられています。(5876)

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#286 -’23. サロマ湖産の殻付き2年牡蠣が届きました。

2023年12月17日 21時45分52秒 | 日常の出来事(日記)

9月下旬にふるさと納税した返礼品が届きました。牡蠣は既に胃袋の中ですが。年が明けてからのお届けに成ると思っていました。

12月10日に届きました。

『殻付き2年牡蠣 中(調理パンフレット、牡蛎ナイフ付)[約4.2kg(約25個~45個)]』でこれ程食べでがあるとは思ってもいない量でした。計っていませんから量的には多かったのかもしれません。磯などの牡蠣小屋で牡蠣を頂く事は今までありません。もっぱら頂くのはレストランの牡蠣専門店がほとんどです。

量的にも、美味しさも最高でした。牡蠣の味が濃厚な感じでした。調理は自分ですると云ってはみたものの、牡蠣殻から取り出すだけでも大変です。

キッチンバサミで牡蠣の先端をカットしてその隙間から頂いたか牡蠣用ナイフを入れて抉る感じで開けます。これがとても大変でした。軍手をしないで開けましたから結構手に傷が出来ました。一番いい方法は先端をカットした所からキッチンバサミをそのまま使用してこじって開けるのが一番でした。

 

生で頂いたのは1/3程度で結局家内が色々調理してくれました。

過去に青森から産地直送でホタテを毎年贈って頂いてたことがありました。これも家内が嫌いな生物や藻など貝に付いて居るので閉口していました。それに比べると今回の牡蠣殻は綺麗な物でした。大変美味しく食べでもあり大満足でした。

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