週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#330 -’24. ネコに小判を2題ほど

2024年11月30日 21時14分00秒 | その他

〇 ネコに小判かな。

我が家の猫のナナちゃんは保護猫から家庭猫になる過程で、布団の中に入ってきて一緒に寝る事はありませんでした。以前に飼っていたの猫たちと異なり、野良猫気質がぬけません。今現在も専用猫ベットで寝ています。保護された時以来のひざ掛け用毛布で寝ています。秋からはアンカ代わりにホッカイロを入れてもらい安眠をむさぼっています。

ネットで見つけて家内が犬猫用のアンカを注文して買いました。でも、何が気に入らないのか一度も利用することなく使用しません。電気アンカが入っていると何時ものお気入り場所には入りません。猫には好き嫌いを主張する権利がありますから致し方ありません。ホッカイロがゴミとして毎日出るのが問題ですが。

〇 ネコに小判か無用の長物になりそうな。

商船三井から株主優待券が届きました。パスポートも無い事だし日本国内のクルージングでもと思いますが。紙の資源ごみになりそうです。

ふぇりサービス券が2枚、〆て一万円。

クルーズ優待券が4枚です。(夏の東北地方のお祭りを見て回るクルーズが有るなら良いかも。)

〇 話題のおまけとしてのLOEWEです。名古屋でお店を見かけました。

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#329 -’24. 二条城を歩いて

2024年11月29日 17時41分57秒 | 国内旅行

改修成った本丸御殿を一つ前のスレッドでアップしました。今回はベンチが有れば座り時間調整しながらの「そぞろ歩き」と言った雰囲気で二条城内を歩き回った画像をアップします。

1 地下鉄二条城前駅で降りて神泉苑に参拝してからこちら二条城に歩いて来ました。

2 二条城に入る事が出来る入口はこちら、東大手門しかありません。

3 入って最初に目に留まるのがこちらの絢爛豪華な唐門です。屋根は檜皮葺のようです。それと気になったのは寺社仏閣では無いのにお寺の格式を示す五本線の土塀です。

4 唐門の先に少し見えるのが二の丸御殿です。

5 同じ唐門ですが、こちらは潜って中からの撮影です。二の丸御殿に背を向けての撮影です。

6   二の丸御殿の車寄せです。見学する時はここから入ります。

7  欄間の彫刻をアップして

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9   この鐘は、京都所司代屋敷で火事等の緊急事態を周辺に伝えるために使われていたそうです。京都所司代が廃止された後、二条城に移されました。早い話「火の見櫓の半鐘」を思い浮かべました。

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11   二の丸庭園に入りました。

12   二の丸御殿の大広間です。奥に黒書院が見えます。中は別料金で大政奉還に使用した部屋などを見る事ができます。蝋人形ごとくの裃姿の・・・です。

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15   二の丸庭園は、池を中心とした書院造園庭園です。島や橋、滝、多くの岩石を配していて、変化に富んだ景観となっています。

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22 重文の本丸櫓門を潜らずに堀に沿って南にくだります。遠回りして本丸御殿に向かいます。

23 振り返り撮影しています。

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25 11月3日の京都市内では少し気色付いていますが、未だイチョウも青々しています。

26  南中仕切門が見えてきました。

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31   西南隅櫓が見えます。

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33 以前には登った天守閣跡の石垣です。

34 この後に本丸御殿の画像につづきます。撮影時刻は10時39分でした。

35 本丸御殿での内部観覧を済ませて歩いてくる方々とすれ違いならが本丸櫓門に向かいます。撮影時刻は11時27分ですから、観覧などの要した時間は40分程度でした。

36 本丸櫓門を出た所の橋の上から鯉に餌をあげる事が出来たような?

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38 入る時は唐門を潜りましたがこのまま出口に向かいます。

39 正面に見えるのが番所で右手の東大手門から退出しました。

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#328 -’24. 改修成った二条城本丸御殿を観覧し

2024年11月28日 19時44分41秒 | 国内旅行

今回の二条城・本丸御殿の観覧は京都モダン建築祭の催事ではありません。

七年ぶりの改修工事が完了して今年の9月1日から阪神・淡路大震災後からでは18年ぶりの『本丸御殿』の一般公開に行ってきました。

世界遺産 元離宮二条城本丸御殿

現在の本丸御殿は、明治17年(1884年)に二条城が皇室の離宮となった後、明治天皇の命によって、明治27年(1894年)に、京都御所の北にあった桂宮家の御殿の主要部を移築した建物です。

平成7年の阪神・淡路大震災で、建物に歪みが生じたことから、室内を安全に観覧いただくために、平成29年から耐震補強工事を実施し、併せて障壁画の修理を行ってきました。

この度、これら保存修理工事が令和5年度末に完了し、令和6年9月1日から18年ぶりに一般公開を開始しますのでお知らせします。

江戸時代の宮家の御殿で、これほどの規模が現存するものは他にはなく、大変貴重な建物です。

皆様、優美で繊細な本丸御殿の魅力をぜひ体感ください。元離宮二条城HPから引用です。)

 

本丸御殿内は撮影禁止です。HPからの借用写真と城内の写真をアップします。

本丸御殿に行く着くまでには二条城に入らねばなりません。連休中の一日ですからネットから二条城の入場券を事前に購入しました。お勧めです。チケット売り場でチケットを買う人の行列ができています。売りがに行くとき何人かに追い越されましたが。チケットを買う必要がないので、その人たちを追い越して、入口でスマホのQRコードで即入場です。事前に購入した方が良いとおもいます。

本丸御殿観覧の流れ

1 神泉苑を参拝して二条城へ向かっています。

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4 沢山の方が二条城に吸い込まれていきます。

5   本丸御殿公開を祝してかな。

6 赤い矢印に沿って唐門を潜り、二の丸御殿には入場せずに二の丸庭園にむかいました。

7 絢爛豪華な唐門です。外国人の方達で大賑わいです。

8 唐門の先に見える建物が二の丸御殿です。今回はこちらは入らずにパスしています。奥に見えるのが二の丸御殿の入口です。

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10 どちら側から本丸御殿に向かうかの案内です。我が家は少し遠回りの青いルートを歩きました。本丸御殿の予約時間を勘案して調整していきました。

11 赤いルートの方は写真の先に見える橋を渡り本丸櫓門を潜り本丸に向かいます。我が家は南中仕切門を通り本丸御殿へ。

12 時間調整しながら本丸御殿の玄関口に到着しました。

13   内部見学は、時間指定制予約です。

14 右手直ぐ脇の部屋にて荷物をロッカーに入れて、本丸御殿の概要映像を見てから見学します。

15 システムだって一定の人数のみ入場していきます。

16 玄関と言うべきか車寄せと言うべきか。

A   ここのA~DはHPからの引用です。

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D

17 本丸御殿を後にして本丸庭園に向かいます。むくり屋根の御常御殿です。

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19   御常御殿を横から

 

 

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#327 -’24. 原種のシクラメン昭和記念公園で(その二)

2024年11月28日 09時59分57秒 | 都内の公園&近郊の公園

昭和記念公園の日本庭園から立川口に戻る園内の道すがら、原種シクラメンとプレートが付いていましたので撮影開始です。

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#326 -’24. 祇園閣を訪問し(京都モダン建築祭)

2024年11月27日 17時47分16秒 | 日常の出来事(日記)

訪問したのは本山龍池山大雲院ですが、自分の感覚では特徴的な祇園閣に訪問したつもりです。円山公園から高台寺方向に歩いて来ると目に留まるのが祇園の山鉾(山車)の様な感じの特徴的な姿です。

哲学の道とか京都には色々の小径があります。その中でも京都的と感じる大好きな小径です。一般的にねねの道と言われるところです。

祇園閣と言えば大倉喜八郎ですが、連想ゲームでホテルオオクラの大倉集古館を思い出します。どちらも伊藤忠太によるものだそうです。

祇園閣

大雲院の本堂の背後には、高い石組に二層の楼を載せ、屋根の銅柱には鶴が翼を広げた高さ三十六メートルの塔が聳え立っています。それはあたかも、この寺院の仏塔かと見紛うばかりです。事実、現在では、下層入口の正面にしつらえた寵の中には阿弥陀如来が安置され、第三層の天井には青銅製の十二支動物薄型彫刻が取付けられ、中心から青銅製の燈籠が吊るされています。さらに、第一層から第二層にかけての壁面には敦煌の壁画が幾つか模写されているなど、仏塔に準ずる建物と言えるかもしれません。(HPからの引用です。)

1 こちらから入場します。京都モダン建築祭の係員の方の指示に従い。

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4 圓山地蔵尊です。

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鐘楼

1868年に発せられた「神仏分離令」により、1871年に不要となった北野天満宮の鐘楼を移設しました。豊臣秀頼が寄進したものと伝えられる名建築です。鐘は八坂神社から移設されました。(HPから引用です。)

8 鐘楼の全体像です。

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本堂

1973年に鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造、2階建ての本堂を建立し、この地を寺地としました。内部に本尊・阿弥陀如来坐像を寺町四条の旧本堂から移設安置しています。

 

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11 本堂脇から木々の間から見えた旧眞葛荘です。

旧眞葛荘

1927年に大倉喜八郎の別荘として建設。純木造ですが、寝室のみは鉄筋コンクリート造です。八角形の応接間が書院造りの中にユニークさを放っています。

12 シーサーかはたまた西洋の大聖堂に乗っているガーゴイルか?

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14 今回の大きな目的の一つの祇園閣へ 

17 祇園閣の正面扉の見返しところの鶴です。(HPから借用)

18 HPから借用した祇園閣内部です。

 

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20 阿吽の狛犬です。こちらも伊東忠太の作品です。

21 本堂です。

22 阿吽の狛犬です。

23 写真撮影の良いスッポットはありませんでした。見にくいですが、てっぺんには鶴が乗っています。

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大倉喜八郎は、明治維新から大正に至る間、政府、軍部の物資調達を柱に、一代で大倉財閥を築き上げたことで知られています。その活動の場は東京でしたが、京都には惹かれるものがあったのかもしれません。晩年を京都で送るために別荘として眞葛荘を建設。間もなく生誕90歳を記念して建設され1927年に完成したとされているのが祇園祭の鉾をイメージした祇園閣です。大倉喜八郎の幼名は鶴吉、のちに鶴彦と称し、晩年は鶴翁と呼ばれたということで、屋根にそびえる銅柱には金箔を五回押した鶴が羽を広げ、正面入口の銅扉の見返しには大きな二羽の鶴が。これらは大倉喜八郎自身の象徴と言われています。また、この祇園閣は屋根が銅板葺であることが特徴で、京都の金閣、銀閣に並び銅閣とも称されています。基本は鉄筋コンクリート造で、石組に二層の楼を載せた三層構造です。石材も多用され、万成石、黃龍石、紅龍石などが随所に使用されています。下層の入口の左右に緩やかな石敷の階段を配し、壁面には敦煌の壁画が模写されています。途中に青銅製の奇獣の照明器具が有り、設計者の妖怪フリークとしての嗜好が見て取れます。

設計は、平安神宮や明治神宮、築地西本願寺なども手掛けた東京帝国大学工学部教授の伊東忠太によるものです。

大倉喜八郎と伊東忠太との関わりは強く、東京でも大倉集古館の設計を手掛けています。大倉集古館は祇園閣と同時期に竣工した美術館で、大倉喜八郎と嫡子の喜七郎が蒐集した美術工芸品を収蔵する日本最初の財団法人の私立美術館です。
建物は詳細にわたり祇園閣と相通じるところがあり、両者を比べてみるのも良いでしょう。

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#325 -’24. 今年のインフルエンザ予防接種

2024年11月27日 10時11分46秒 | 日常の出来事(日記)

昨年はこの時期ワクチンの花盛りでした。今年はインフルエンザ予防のワクチン接種のみです。コロナウイルスのワクチン接種はしません。

インフルエンザ予防接種は必ずこの時期に接種するつもりです。接種が遅すぎれば自分が罹ってしまう危険性がありますし、接種する時期が思案のしどころです。

例年は10月から11月中を目途に接種する積りです。

今年は11月13日に接種しました。

既に流行期に入っていますのでご注意の程。

おまけです。

最近、峠の我が家から持ち帰って来たミニコンポで、よくCDやMDを聴いています。CDでは辻井伸行さんの曲を、MDでは何時録音収録したかすら記憶にないモリコーネの曲です。こちらは曲名もデジタルで編集していない為に表示されません。しかし、今はGoogleで簡単に曲名も分かります。で、Lost  Boys  Calling  だと分かりました。

今回はおまけとして、アップします。気に入って頂けるか分かりませんが。

THE LEGEND OF 1900 : "Lost Boys Calling" performed by Roger Waters [Vinyl Sound Quality]

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#324 -’24. 日本庭園で秋を感じて@昭和記念公園

2024年11月26日 10時01分23秒 | 都内の公園&近郊の公園

昨日訪問した昭和記念公園の中の日本庭園です。

夜間もライトアップされて公開されています。

我が家は日中に訪問しました。

1 今回は、昭和記念公園のイチョウモミジなどの赤く色付く紅葉と、日本庭園が大きな目的でした。

2 期待が膨らみます。

3 期待に応える美しい紅葉です。

4 水辺には空の青さに映えて綺麗に映っています。

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6 日本庭園の中でも入って直ぐの庵の前の紅葉には感動を覚えます。

7 後ろには屋根が写っています、下に画面を下げると大勢の人が撮影しています。

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9 この美しさです。一切の調光等しておりません。見たまま、スマホが感じるままオートでの撮影です。色調を人工的に加工するのはすきになれません。自然の有るがままに撮影したいですが、目で見るより気持ち綺麗にうつっているかも。

10 池の底には小石で敷き詰められている感じです。

11 空の青さが池面に写りより美しさを増しています。

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19 松と竹です。梅が有れが言う事ありません。

20 盆栽園には今回入りませんでした。外から格子の門を。

21 こちらが盆栽園の入口です。

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23 橋を渡ると和舟が係留されている庵です。

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30 雪吊りが風情をそえています。

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33 日本庭園内の湖面に写る紅葉は一番良い時期かも。

34 和舟が隣に係留されています。

35 庵から眺める池に映える紅葉です。

36 カラフルな和傘が飾られて色を添えていました。これも蛇の目傘になるのでしょうか?

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#323 -’24. 紅葉 & 黄葉を愛でに昭和記念公園へ(その一)

2024年11月25日 20時52分21秒 | 都内の公園&近郊の公園

今日、車で出かけた先は国営昭和記念公園です。

時期的には、イチョウの黄葉モミジ・ドウダンツツジなどの紅葉も少し遅い感じでしたが、それなりに堪能できました。久々に一万歩を越えました。

今回は日本庭園の紅葉を除きその一とその二の構成でアップします。

今回、昭和記念公園には車で出かけました。ナビに頼り切っていきましたが、アホな我が家のナビでしたが、怒りも湧かずに淡々と目的地の昭和記念公園の立川口駐車場に向かいました。激混みかと心配しましたが帰る時ですら、広いですからガラガラと言えば言える程度でした。

1 昭和記念公園に行くと決めたのが少し遅かったので、到着は午前10時55分になってしまいました。止まれない事を一番心配しましたが、取り越し苦労に終わりました。

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3 まだ、チケットを購入して入っておりません。道路を挟んだ先のみどりの文化ゾーンを撮影しています。いつか昭和天皇記念館などに入ってみたいと思いつつ、足が向いておりません。

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5 券売機でチケットを購入して中に入りました。中から文化ゾーンの方向を向いて一枚。

6 このカナル(canal)の先には噴水があります。

Canal (水路、運河)でカナダで観た世界遺産のリード運河(Rideau  Canal )を思い出しました。自分のスレッドはこちらです。

7  ご覧の通り殆どイチョウの葉が落ちてしまった木もありますが、残っている物もあります。地面や通路はイチョウの葉でご覧のとおりです。ギンナンが落ちて臭い匂いがする所もあります。水路の湖面にはイチョウの黄葉が写っています。

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12 反対側からも

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16 山茶花の花が一輪、蕾が一杯付いているので満開時が楽しみです。

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18 トウカエデの紅葉です。

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20 武蔵野と言えば大木は欅(けやき)ですが、けやきの落ち葉は繊維がもろく粉砕されますが、イチョウは繊維が強く朽ち果てない嫌われ者の落ち葉かも。

21 橋を下り水鳥の池が見えてきました。

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23 特徴的な樹皮をしている鈴掛けの木(プラタナス)がここらには多くありました。

24 2913 プラタナスの大きな葉です。

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26 ボートハウスからレイクサイド・レストハウスに続きます。こちらはボート貸し出をする所です。

27 かたらいの銀杏並木です。今回イチョウ並木を拝見したのは噴水に向かってカナル(運河)の両脇に並んで植えられているイチョウ並木とこちらの運動コートとサッカー場に挟まれた語らいのイチョウ並木です。

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日本庭園を除く今回歩いた所の景色、その二として続きます。

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#322 -’24. 先斗町歌舞練場を訪問し

2024年11月24日 15時48分36秒 | 国内旅行

京都にある歌舞練場は次の四ヶ所です。花街は現在は五ヵ所のようです。

  •  祇園甲部歌舞練場は四ヶ所ある歌舞練場の中で一番歴史がある1913年に新築移転して今に至っている。しかし、帝国ホテルの建築と兼ねて改築中です。
  •  先斗町歌舞練場は今回の京都モダン建築祭の一つの会場になっていて、歌舞練場内を見学してきました。こちらは1927年に建築されて鴨川をどりの会場となっています。
  •  宮川町歌舞練場は京おどりの会場となっており、1969年に建築されました。以前ツアーで、宮川町の舞妓さんの舞を見ながらディナーを頂き、その後に記念撮影や舞妓さんから色々お話を聞く機会がありました。舞妓さんの生の声が聴けて楽しい時を過ごす事が出来ました。
  • 上七軒歌舞練場は歴史は古く1897年で、増改築が1951年に現在の形になったとの事。

先斗町歌舞練場

芸妓さん舞妓さんが歌舞を披露する、花街のシンボル「先斗町歌舞練場」を特別公開。劇場建築の名手、木村得三郎の設計です。水平線を強調した壁面や蹴上部分のレリーフタイル、引っ掻き模様のスクラッチタイルなど、F.L.ライトの影響が随所に感じられます。装飾陶板やボーダータイルを用いた「なまこ壁」のような意匠が特徴的。当時「東洋趣味を加味した近代建築」と賞賛された花街建築を堪能してください。(建築祭HPから引用です。)

先斗町歌舞練場は大正14年(1925年)に着工し、昭和2年(1927年)に完成しました。 設計は大阪松竹座(大正12年)東京劇場(昭和2年)などを手がけて劇場建築の名手といわれた大林組の技師、木村得三郎氏です。 鉄筋コンクリート造り、地上四階、地下一階で、当時「東洋趣味を加味した近代建築」と賞賛されました。

次の写真は鴨川からの先斗町歌舞練場の写真をウキペディアから借用したものです。

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   入口から入ります。

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6 突き当りの一階のバルコニーからは鴨川の流れがみえます。

7  武家屋敷街で良く見かけたなまこ壁の意匠を彷彿させるタイルです。

8  歌舞伎で言えば花道でしょうか。

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10 舞台から客席側を撮影です。歌舞伎は舞台に登るのは全員男性です。女性役は女形です。歌舞練場に登るのは舞妓さん、芸子さん、立方さん、地方さんですが、全員女性です。そんな事もあり、自分は舞台には上がりませんでした。(只の面倒で)

11 花道の脇にも席がありますが、桟敷席とは少し趣をことにします。

12 二階席の一番舞台側は本来の桟敷席です。見学の方々が靴をぬいで休憩していました。

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15 歌舞練場から望む長閑な鴨川です。

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20 提灯も都鳥です。二階サイドの桟敷席はテーブルもありそうです。

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22 椅子席ではありません。本当の桟敷席です。飲み食いが許可されて居れば食事もお茶もお酒もいただけそうですが。

23 先斗町のシンボルマークの都鳥です。

24 歌舞練場前入口の敷石の隅には真鍮製の都鳥がはめ込まれています。

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#321 -’24. あんこ天米をお取り寄せ(富士見堂)

2024年11月23日 21時11分53秒 | 日常の出来事(日記)

京都・奈良と名古屋に新幹線で出かける時の我が家のルーティンは?

銀の鈴の脇の待合所に寄って時間調整してから新幹線改札を通過します。乗車券関係はネットで予約してあります。PASMOに紐づけしてありますから、JR改札口を通過する時も新幹線改札口を通過する時もタッチするだけです。みどりの窓口や券売機で購入する必要もありません。ネット上で総て完結して京都に到着します。降りる時も定期入れをタッチするだけです。

そんなこんなで、時間調整で待合所で待機する時に家内がいつも気になっていた行列です。お店は富士見堂です。特に入手困難なのが『あんこ天米』です。

店舗開店前から人が列を作り並んでいる店があります。自分は何処の店に何を売っているかなど気にも掛けませんから列が有る事すら気付いていませんでした。

いつも銀の鈴の脇の所の列に気になって居た家内が「富士見堂のあんこ天米」である事に気が付きネットで購入を試みていたようです。でも、深夜でも買えた事が無かったのに先日偶々注文する事ができました。

それが先日届いた富士見堂あんこ天米です。

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2 あんこ天米です。

3 新幹線に乗る前に銀の鈴脇で時間調整する時の寄るところです。

4  クッションが入りジャスト・サイズの段ボール箱で送られてきました。

5  段ボール箱には壊れ物のシールが貼られていました。 

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8  あんこが今までに食した事が無い特別な美味しいあんこでした。

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#320 -’24. 2024年11月21日ボジョレー・ヌーヴォー解禁

2024年11月23日 11時07分29秒 | 日常の出来事(日記)

御多分に漏れずに我が家でもボジョレーヌーヴォーに踊らされて飲みました。年に一度の解禁日にフランス産ワインを頂きました。帰宅時に息子が三軒ほど探してヤット手に入れたハーフボトルの新酒です。

次からは、おまけです。

山梨も葡萄の産地ですし、特に甲州種は白ワインに多用されて名声を得る地位まで昇り詰めてきました。今回はそんな山梨ヌーヴォーです。ワイナリーは我が家も時々お邪魔する酒折さんです。

 

厳密には山梨ヌーヴォーなのか分かりません。銘柄は「甲州にごり」となっていました。

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#319 -’24. 和菓子の塩瀬総本家

2024年11月22日 21時54分26秒 | 訪問した食事処、お茶処

先日の街歩きで気になった塩瀬総本家の和菓子です。近くに出掛けたついでに塩瀬総本家で和菓子を買って来てくれました。それも自分が大好きな柿の大福です。この時期だけの季節限定です。その上、製造に時間が掛るようで正午前後でなければ店頭に並ばないようです。それを聴いたら益益、心して頂きました。

(HPから借用です。)

塩瀬と和菓子の物語

和菓子界に革命を起こした饅頭は、その成り立ちを明確に追える数少ないお菓子です。塩瀬は六七〇年余りの間饅頭を通じて和菓子と向き合ってきました。歴代当主が紡いできたその物語はまさに和菓子の歴史そのものです。

 

1 前回の街歩きの時に撮影した物です。塩瀬総本家の暖簾が掛かっております。

2 店内の写真を撮って良いとの許可を頂いたので撮影させて頂きました。

塩瀬総本家の看板が。

3 茶室(浄心庵)です。店内の奥にあります。お茶と和菓子は切ってもきれませんから。

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5 店内の雰囲気を。

6 購入して、帰って我が家で頂きました。五七の桐の紋がついていました。(沿革に、『後土御門帝(1464-1500)より五七の桐の紋を許される。』ときさいされています。)

7 柿の大好きな自分ですが、お土産に勿論、11月1日発売の柿大福も買ってきてくれました。

 

8 日本橋の奈良県のアンテナショップで柿を買ったのを思い出しました。美味しかったです。

8 こちらの志ほせ饅頭は少し日持ちがしますので後日頂きます。

 

 

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#318 -’24. 京都モダン建築祭で京都市役所本庁舎を訪れて

2024年11月22日 09時53分16秒 | 国内旅行

京都モダン建築祭の一つである京都市役所本庁舎です。

土日の閉庁日に京都モダン建築祭の一環として観覧する事ができました。公開場所は正庁の間市会議場屋上です。

1 竣工したのは1931年です。和暦で昭和6年です。

2  正面から眺めた京都市役所本庁舎です。昭和の面影を残す威風堂堂たる姿です。 

3 目黒雅叙園・百段階段のエレベーターを思い出させる重厚な螺鈿細工が施された京都市役所です。

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5 本庁舎の屋上です。正面にある丸い所が高射砲の台座のみ残っています。左手は植物に水を散布する配管が施されていました。プラスチックの人口的な歩道が施されています。

6 昭和一桁からの歴史が刻まれた庁舎です。

7 ホテルオークラかな?

8 夏には長居が出来ませんが、これからの季節には日光を浴びて居心地の良い屋上に成りそうです。

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11 正庁の間です。

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15 京都市会議場です。

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17 階段の踊り場には、京都の名所を現わすステンドグラスがはめ込まれていました。

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20 正面玄関からの出入りは出来ずに脇の自動ドアの所からの出入りでした。

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#317 -’24. 夕食を予約しておいた松山閣

2024年11月21日 14時34分29秒 | 訪問した食事処、お茶処

ホテルグランヴィア・京都での宿泊は夕食も朝食も付かないプランで狭くないお部屋と言う事で予約しました。

食事難民になる事を危惧して事前に到着時のランチと夕食は予約しました。でも、こちらのレストラン松山閣は少し残念でした。食事が悪かったとかの問題ではありません。予約時間が午後7時30分でしたからその時間にはお店に伺いました。和服を着たフロワーの責任者らしき方が店内をみまわし、端の何も見えない、二人掛けが隣にも並んでいる席でした。最悪の狭い席でした。良い席を確保した予約札の席もなく、席を変えて欲しいほどの所でした。隣の二人掛けの席が空いた後に来た東洋人は席に着くまでもなく、偶々空いた席に移動していきました。それ程の席と言う事です。

空席が出来るのが儲けに直結しますから、空いている席に通したようです。「ここで良いか?」「良い席が空くまで待ちますか?」位は聞いてほしかったです。

料理も良かったから、それこそ残念でした。レストランにとっては毎日のルーティンですが、旅人としては良い印象をもって帰宅したかった思いがありました。

1   伊勢丹11階のレストラン街の松山閣です。

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4 大好きな生ビールです。

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6  鳥獣戯画の湯呑みを拡大して載せました。

7   八寸がきました。

8    子持ち鮎甘露煮、焼目栗、海老、枝豆、ちらし麩

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10  向付けは、自家製生湯葉と鯛と生麩です。

 

11   松茸の土瓶蒸しです。

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13   自家製ゆば桶です。

   

14    サワラ幽庵焼です。

15   南瓜饅頭銀あんかけ

16   栗御飯、赤出し、香のもの

17 お土産ですが。買い求めせんでした。

18   福ゆばバームクーヘンです。鳥獣鳥獣戯画のお皿です。

19  鳥獣戯画が良く見えるように。

20 伊勢丹の上の階のレストランで食事をしましたので、大階段の所まで下りてきました。こちらで撮影しました。

21   京都競馬場の宣伝をしていました。

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26 階段を歩く人がいると画像が途切れますが、また、それが乙なものです。

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#316 -’24. 島津製作所創業記念資料館へ見学に

2024年11月20日 14時37分38秒 | 国内旅行

京都モダン建築祭実行委員会主催の京都モダン建築祭2024にお邪魔して来た。前期と後期に分かれて開催され、我が家は前期(11月2日~3日)開催日に行ってきました。過去最多の102の建物が参加との事です。数か所しか廻れませんが、事前にネットで購入してスマホにQRコードを入れておきました。

今回アップするのは企業内研究者がノーベル賞を受賞した島津製作所創業記念資料館です。(青字の所はHPから引用したものです。)

当資料館の建つ木屋町二条は、島津製作所の創業の地であり、源流ともいえる場所です。

創業の歴史

二条周辺に次々と勧業施設を設立しました。こうした状況の中、この地で仏具製造業を営んでいた初代島津源蔵は、教育用理化学器械の製造業へと転身します。
この精神は初代島津源蔵の長男である二代目源蔵に受け継がれます。彼は父親譲りの発明工夫の才能を発揮し、理化学器械のみならず医療用X線装置、蓄電池など新分野を切り拓きました。

A  京都モダン建築祭の小冊子内の公開建築一覧の一部を撮影した物です。

1  建物の全景です。HPからお借りしました。

2   島津製作所創業記念館入口です。

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4   建物の玄関へ

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6   桔梗が咲いていました。

7   レンゲショウマも可憐にさいていました。

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9   創業者島津源蔵の居間です。雨のため部屋中へあがることはできませんでした。

 10  床の間をアップして

11  1階窓には、ステンドグラス。桜と鴨川がモチーフで、「日本」という文字が隠れています。

12 入ってすぐに目を引くのが、大きな医療用 X線発生装置「ダイアナ号」です。

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15    2階展示室には、理化学器械や装置が展示されています。

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 19  高電圧発生装置です。回転させるとスパークが飛びます。

20 平面の紙の絵はなんだかわかりませんが、円柱鏡や円錐鏡に写った絵は分かる絵に変っています。

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その他、科学的に人間の感覚と異なる不思議な現象を起こす装置なども大変面白く拝見しました。科学好きの方には楽しい展示があります。

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