足利義満が描いた極楽浄土の世界
正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。
舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。
金閣寺は二度目の訪問です。一度目は修学旅行でした。
バス通りを降りて、金閣寺がグーグルマップでよくわかりませんでしので、通行人に聞いてしまいました。G・マップでいつも感じるのが方向感です。くそ面倒なので、尋ねられる人が近くに居る時はいつも聞いてしまいます。
バス通りから入る道を教えて頂き直ぐに分かりました。曲がった所から一本道です。
1 少し戻ればこちらの案内の看板がありました。世界文化遺産です。

2 金閣寺(鹿苑寺)が相国寺の塔頭の一つだと今回のスレッドを書くまでしりませんでした。

3 流石に世界遺産の金閣寺です。混み合っているのかもと思いましたが。

4 鹿苑寺のHPにもこれと同じ境内案内が載っていますのでその二でアップします。① の総門から始まり⑲ の不動堂までですが、全てアップするわけではですが、順にアップします。

5 世界遺産です。

6 昭和25年に放火されて焼失しました。五年後の昭和30年に再建されました。金閣寺より銀閣寺が好きな事はいぶし状の佇まいの事もありますが、歴史にはかないません。放火で焼失したとは悲しい限りです。市ヶ谷の駐屯地で自決した三島由紀夫も小説「金閣寺」を書している。海外に於いて人気のあった三島です。生きていればノーベル文学賞を受賞していたかもです。
ブラジルに行ってしまった兄が三島と同じ道場で小さいが筋肉質の鍛え上げた身体だと言っていました。

7 01番の総門です。勿論天皇家との所縁を示す5本線です。

8 正面に見えるのが05番の唐もんです。唐門の手前の左手の木は櫟樫(イチイガシ)です。

9 正面から撮影していませんが、03番の庫裏です。「禅宗独特の建物で、明応・文亀年間(1492~1504)の建物とみられます。」と記されています。

10 唐門の左手に有るのは拝観料を納める所です。

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13 金色に輝く07番の舎利殿 金閣 が見えてきました。舎利殿と手前の島は06番の葦原島です。舎利殿 金閣は三層になっており、二層と三層は漆の上から金箔が張られているとの事です。一層は寝殿造りで、二層は武家造(ぶけつくり)で、三層は中国風の禅宗仏殿造だそうです。屋根はこけら葺きです。こけら葺きの屋根で浜離宮をおもいだしましたので、興味のある方はこちらへ。

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16 好きな位置から思い通りの金閣寺の撮影が出来る程、参拝者は少ないのに驚きました。

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21 舎利殿 金閣と葦原島が分離していた島だとわかり易いかも。

その二に続く